災禍
鶴見は、目を見開いた。通路一面に、無造作に票がばらまかれてあったのだ。鶴見は今、ちょうど8号室の部屋の前にいるのだが、左右どちら側にも大量の票が置かれてあり、行く手を阻んでいた。鶴見はすぐに票から離れ、瀬戸達のいる銀行ルームへと、階段を駆け上がった。鶴見は、二階のルームエリアで見た光景を瀬戸に伝えた。瀬戸の顔が曇る。
「こちらの動きがばれたな……。それにしても、まさか票を並べてルームエリアを通行不可能にするとは……」
「待て、それじゃあ、どうやって志村に近づけばいいんだ」
柴崎が瀬戸に向かって言った。
「今、志村の部屋は解放されているから、票をルームエリア周りに置いたのは、志村の可能性が高い。それか、たまたま別の誰かが交渉権を行使した、という可能性もあるけど、残りのマイル数で余裕のあるプレイヤーといえば……」
瀬戸は、紀村と交渉するために用意したメモ紙を取り出した。10000マイル以上を有するプレイヤーは、斉藤、佐原、紀村、桐崎、志村、森の六人だ。今、王国入りしている斉藤、佐原、紀村、桐崎は除いてよいだろう。ということは、森も可能か…。城屋が現在コントロールできるプレイヤーは、三島、森、志村、松井の四人。部屋の近さから考えると、7号室側の票は三島、9号室側の票は森が置いたと考えるのが妥当だ。しかし、票を失うといことは、コントロール能力を下げる、ということでもある。そんなリスクを負うだろうか?
「あ……瀬戸、とんでもない可能性に気が付いた。票が、俺たちを完全にコントロールしているときは、記憶も失うのか?」
瀬戸は、柴崎を見て硬直した。
「票を置いたのは、おまえたちか」
「その可能性もある」
思わず城屋の狡猾さに、ゾッとしてしまった。瀬戸たちの企みに勘づいた城屋は、柴崎たちが銀行ルームに来る途中に票を置くように、コントロールしていた、ということか。
「だがそのサキとかいうやつの話だと、例の言葉を言わなければ、操られないんだろ?」
八尋が瀬戸と柴崎の二人を見て言った。Who、Whatに関係する日本語を話すのは、危険なので例の言葉と呼称するように決めていた。
「ああ、だがそれはあくまでシロヤシステムの起動に関してだ。すでに起動済みで、票から離れたために、一時的に城屋からの支配を逃れているだけ、という場合があり得る」
なるほど、と八尋は顔を曇らせた。
「今、誰がシロヤシステムを発動させているか、判断がつかない。楽観的に対策を練るのはやめよう。正念場だ。少しでも手を誤ると、全員、やられる」
瀬戸は、決然と言った。城屋は本気で、殲滅を狙っているからだ。くそっ、何もかも城屋には先を読まれている。また、負けるのか…。何のためにこれまでやってきた、ようやく境まで戻ってこれたというのに、俺にはまだやらなければならないことがあるというのに。
「おい、セト、聞いているか。集中しろ、正念場といったのはおまえだろ」
トランシーバーからかすかに漏れて聞こえた声は、いつもの桐崎よりもやや低い声だ。サキの声。瀬戸は慌ててトランシーバーを口に近づけた。
「聞こえています、なんでしょうか」
「馬鹿、トランシーバーではないぞ、今、おまえの脳に直接語り掛けている。第二世代の通信システムを手にしていると言っただろ。おまえが皆を票から隔離したおかげで再度、混信することができた。この卓越した我が技術は、重ね合わせの理が成立していることから分かるように、お互いの人格が高度に独立し、過干渉であるゆえ―――」
「――おい、ちょっと、悪い癖だぞ、サキ、今はそんな見栄張ってる場合じゃ…」
佐原の声は、トランシーバーから聞こえた。サキの声は、トランシーバーと脳の両者から聞こえるためか、妙にエコーが入って、何とも聞きにくい。この状況下で、まるで事態を楽しんでるかのようにサキとメシアのやりとりを聞いて、不思議と平静さを取り戻すことができた。やはり、最後までたどり着いた者たちは、強いな、と瀬戸は面白くなったのだ。
「すまん、話を戻すが、今から高瀬がおまえと混信したい、とのことだった。おまえらの知るところで言うと、斉藤だ。それと、今フローネ、すなわち紀村をレセプタとして使用しているから彼女にはあまり話しかけるな。脳の容量を増やしたくない。最悪の場合、神経系が破損する。わかったな?それでは、遮断する」
ちょうどそのとき、鳥越が瀬戸のところに駆け寄って来た。
「瀬戸!まだ一階は、天井まで届いてないから、俺と竜谷で泳いで反対側から志村の部屋を目指そうと思うんだが」
「ナイスアイデアだ、頼む」
瀬戸は、鳥越に強くうなずいた。頭がずーーんと重くなるのを感じた。意識していると、他者が自分の脳に干渉する感覚が分かる。
「やあ、数時間ぶりの会話だな」
瀬戸は眉をひそめた。高瀬という男ではない?
「俺はね、ネイティブなんだ。まあ言っても仕方ないだろうけど。それで高瀬っていう男がなんか言いたいことあるみたいだから、伝えるよ。これは貸しだぞ」
瀬戸は瞬時に思考した。今、話しかけている人物は紛れもなく斉藤だ。なら、ネイティブとは、混信されても自我の有意性を保てるということか?
「言われた通り伝えるぞ。『城屋を倒すことが我々の目的だ。我々のリーダーは、葛城だ。葛城は、城屋を打倒すべく、ある罠を仕掛けた。それが、部屋のすり替えだ。城屋は白い箱を、1号室だけだと考えている。しかし、君が気が付いたように、志村のいる2号室も白い箱だ。ゆえに、2号室を開けば、水の供給元の一つを断つことができる。そこで、』」
「待て、斉藤、ネイティブなんだな?」
瀬戸は斉藤がしゃべりかけるのを妨げて、聞き返した。
「さすがだな、察しがいい」
斉藤のにやけ顔が思い浮かぶ。
「俺なら、城屋を恐れることはない。票をばらまかれていようとな」
斉藤は、ルームエリアに散らばった票を拾い集め、びりびりに引き裂いた。高性能な紙切れだというが、簡単に破棄できるんだな、と内心で思った。そして悠々と歩きだした。斉藤は、志村の部屋の前で立ち止まった。迷わず部屋の扉を開けた。そこには待ち構えてたかのように、志村がぼうーっとした表情で突っ立っていた。斉藤は、間髪入れずに足で志村の身体を押し倒した。どすっという鈍い音と共に軽々と志村の身体が吹っ飛んだ。肩から着地した志村は、苦しそうにうめいた。そして笑みを浮かべる。
「この躯体は、悪く無かろうに」
「うるさいな、城屋。いいんだよ、こいつは俺を裏切った。その分の一発だ。次の一発は、お前の分だ、喜べ」
斉藤は、ずかずかと部屋に押し入り、志村を見下げた。志村は倒れたまま口を開いた。
「見ていろ、といったはずだ」
「俺は瀬戸を脱落させたいだけだ。そのためにお前に協力して、傍観していた。だが、悪いな、状況が変わった。お前を先に脱落させる算段がついたからなあ。これで志村の部屋は、開いた。お前の負けだ」
志村は、さらにいびつに口元を緩ませ、笑った。
「おめでたいな、まったく。ルータが票だと看破したことは見事だが、予想通りだ。そして票を撒いた。そしたら、どうする?斉藤を使うしかない。勘違いするな、我がお前を招いたのだ」
後方で、ばんっと大きな音を立てて扉が閉まった。斉藤は振り返り、扉を開けようとしたが、外で誰かが押し返しているのか、びくともしない。それにしても、ものすごい力だ、とても一人の力じゃない。おかしい、もう票を持つ人物は限られている。仮に三島や森、松井が操られてこの扉を封鎖しているのなら、外で待機している柴崎や瀬戸たちが、邪魔する段取りだ。それに、いくら城屋といえど、同時に操れる人物は限られているはずだ。斉藤は、志村に向き直った。
「貴様あっ、何をしたっ」
「我にとって一番の脅威は、お前だった。ネイティブだと判明してから、お前だけを嵌める計画で動いた。瀬戸、紀村、ははは笑わせるな。ネイティブでもない奴らに、何の危険があろうか。お前も志村もここで死ね」
志村の眼つきが変容した。獲物を捕らえる獣の眼。斉藤は、臨戦態勢を取った。志村の姿が視界から外れる。斉藤は、反射的に上を見上げた。
「のろい!!!」
みぞおちを凄まじいパワーで殴打される感触が伝わるとともに、志村をようやく視界に捉えた。志村は、斉藤の視界を外れたのではなく、斉藤の眼が、志村を認識できなかったのだ。斉藤の身体は、宙に浮き、ダイレクトに扉にぶち当たった。
「うごっ」
叩きつけられたことで、全身にしびれが走る。くそっ、これは想定外っ。斉藤は、うつ伏せに倒れこんだ。頭を足で踏みつけられる。
「城屋、城屋とうるさいやつらめ。シロヤは、すでに過去の遺産、荒廃したシステムだ。わが境界人は、常に進化する。これもその一つ。操った躯体に、超人的なパワーを与える。”天”御前のパワーだ」
斉藤は、かすむ意識の中で、たしかに聞いた。”天”御前、だと?
「冥途まで語り継げ、愚人よ。死にぞこないの、腐れメシア、シロヤの能力では到底計り知れない、根源的な力だ。次世代の共通思考システム、”サイカ”は、一度に100人規模の思考を操り支配する。今、ここの扉を塞いでいるのは、数十名の躯体、すなわち、紀村・松井・瀬戸・鶴見・柴崎・竜谷・森・美里・桐崎・鳥越・八尋・仲間・佐原・三島だ。この程度の人数なら、この志村のように、”サイカ”によって超人化することまで可能だ。それにルータなどなくとも、”サイカ”の到達範囲は、数百メートル、この屋敷内ならどこでも手に取るように操れる」
それを聞いて、斉藤は、しわがれた声で笑った。
「ネイティブ、一人も操れないで、よく言うぜ、サイカ様よ」
カチッと鍵のかかる音がした。時間切れだ。交渉時間が切れたのだ。
「終わりだ」
ふわっとした感覚で、エレベーターが機能し始めたことを感じた。
「おい、冥途の土産に海中での思い出も追加したいからカーテン開けてくれよ」
「いいだろう」
志村は、斉藤の頭から足をどけると、窓に近寄り、カーテンに手をかけようとして、動きを止めた。
「、、海中?」
志村が素早く振り返る間に、斉藤は俊敏に起き上がり、すぐ近くの風呂場に飛び込んだ。斉藤の指示通り、風呂に擦り切れになるまで湯が張られていた。もっとも、冷めきっているが。斉藤は風呂に盛大にダイブした。
「ド――――――――――――――――――――――――ン」
強烈な破裂音が鳴り響き、水中にいる斉藤の耳の鼓膜を切り裂いた。と同時に、全身に悪寒の走るような、振動が伝わる。気を失いそうになる中で、誰かが斉藤の身体を抱きかかえ、泳いでいるのが分かった。周囲は完全に水没しているのも分かる。作戦成功だな、と斉藤は安心したのち、意識を失った。
葛城と鳴門咲は、S県にある、広大な湖を見渡していた。比恵湖だ。
「世界でも屈指の古い水源だ。やつらが目をつけないわけがない。ところで、今何時だ?」
「9:10分過ぎよ。潮が引いてるって、ここ湖じゃない」
「サメが泳いでたら、淡水だって海水だと思うだろ?」
葛城は、酸素ボンベをコツコツと叩いてチューブを口にくわえた。もう、泳ぐぞ、ということらしい。葛城は、さっそく湖の中へ潜っていった。鳴門咲も後を追う。ここからの会話は、葛城のテレパシーで行う予定だ。湖の中は、綺麗とは言えなかった。汚れている。しかし、葛城は迷いなくシュルシュルと進んでいく。
(聞こえるか?彼らの時間スケールだと、もうじき選挙が終わるころだ。うまく段取り通り、進めば、次は嵐。俺たちの出番ってこと)
(気持ち悪いね、テレパシー。むずむずする。それで、わたしは何をすればいいの?)
(俺の会話に付き合ってくれればいい、君の出番は既に終わってる。ところで、俺がどうやって屋敷を爆破したか、知ってるか?)
(さあ?由紀ちゃんに今度、聞いてみよっと)
葛城がしばらく黙った。効き目があった。それからしばらくは、無音で泳ぎ続けた。
(この排水・吸引システムを利用して、爆弾を供給してもらったんだ)
鳴門咲は、つかんでた葛城の足首を思い切り捻った。
(いたっ!)
(これ、酸素ボンベじゃなくて、もしかしてプロパンガス??)
(城屋は、意地悪だから、完全に制圧するのではなく、嫌らしい方法で追い込むはずだ。つまり、わずかな希望を残す。その甘さを突く。流入口を塞ぐ箱は、そのまま残し、中に人を取り残すだろう。この人質を救えば、形勢逆転だ)
(そうだとしても危険すぎる、ここで暴発する可能性の方が高い。まったく…)
(アナログな方法じゃないと勝てない)
(それにしてもどうやって爆発させるの?水中だと威力が弱い)
(水中ならね。お、ここだ)
葛城はそういうと、水面へ向かった。水上に顔を出すと、周囲は壁に囲まれていた。
「ここ、もしかして」
「そう、そのもしかしてだ。境だ」
葛城は、鳴門咲に向ってウインクした。
「気をつけろよ。これは水に見えるが、違う。郷独特の自然水で、可燃性だ。以前、このルートを通て脱出した。戻ってきたな」
葛城は、つーーんとするような、重い意識体が葛城の脳内へ侵入するのを感じた。葛城は咄嗟に、鳴門咲をハックした。鳴門咲が操作される前に葛城が乗っ取ったのだ。
「あいつら、完成させたのか…”災禍”を」
そのとき、誰かと視線が合った。その二人は、こちらに向かって泳いで来るようだった。