教、境、郷
指示された場所へやって来はしたが、想像以上に酷いところだった。地図に忠実に従って歩いて来た割には、道の途中からは完全に山の中で、草木をかき分けて進まなければならず、全身擦り傷だらけになってしまった。これがまだ秋の終わりだということに感謝した。真夏であればおそらく、ここには辿り着けていない。というか死んでいる。
「お前、とりあえずここに行ってこい。なんかうさん臭い集会だから、自殺サークルとかカルト教団とかそんな類だろ。偵察してこい」
上司である葛城さんの一言だった。これこそまさに鶴の一声である。
「なんかさあ、危ない感じなんだよね。まあ、身に危険が生じることがあればすぐにほいっと帰って来い」
葛城さんの命令……というより意見は絶対だ。部下である桐崎には拒否権は無い。
「あ、目的地に着いたら連絡よろしく」
桐崎は葛城さんの言葉を思い出し、慌てて携帯を取り出した。葛城さんへ電話を掛ける。
「おう、桐崎か。無事に着いたのか。よし、まずは第一関門突破だな。んんん……よし、じゃあ、そこに目印付けとけ。もし何かあったら応援をよんで目印を頼りに君を探させるから」
「あの、……ここ、山のど真ん中ですよ。目印といっても……」
電話越しに葛城さんの笑い声が聞こえた。
「いいじゃないか。無いよりはましだろ」
「分かりました」
桐崎は指示通り目印に成りうるものの材料を探した。一番目についたのは……仏?なぜか山腹に大きな仏の像が安置されてあった。しかも普通の仏と違って顔がなかった。顔が無いというよりは、顔にあるはずの鼻や目や唇が何一つないのだ。まるでのっぺら坊だ。桐崎は顔の無い仏の側に近寄った。近くから眺めるとさらに異様だった。5メートルはありそうな仏が顔だけ下に向けて外界を見下ろしている。不気味だ。
「あの……あなたも境へ?」
「うわっ」
桐崎は驚いて仏の前へ倒れ込んだ。落ち着いて振り返ると、ぽつんと一人の女性が佇んでいた。
「えっと、申し訳ありません。つい、話しかけてしまいました」
「いえ………」
桐崎は立ち上がった。
「こちらこそすみません。この仏を見ていたらちょっとぼおっとしちゃって……」
女性は不思議そうな表情を浮かべながら、
「教のことですか?」
と言った。
「きょう?」
「ここにいらしたから方なので既にご存知なのかと思っていたんですが」
女性は顔を上げて、桐崎のずっと上、あの仏を見上げた。
「教えると書いて、教です。郷へ入るための道しるべとなります。教がここに存在するということは、ここが境のようですね」
道しるべ、仏ほど目印になるものはないだろう。葛城さんに依頼された目印を見つけることに成功した。
「きょうへの道しるべ?」
「はい。でもこのきょうというのは故郷の郷ですよ。ここは郷へ行くための境界、つまり境なんです」
郷。一体なんの話だ。
「郷って、この山奥の先にまだ村か何かあるんですか?」
「ふっ、本当に何も知らずに境へやってこられたんですね。それもまた必然。お名前をうかがってもよろしいですか?」
女性は何がおかしいのか、くすくす笑いが止まらない様子だった。葛城さんの言ってたうさん臭さがじわりと臭って来た。
「桐崎です」
「桐崎さんですか。ならさっそくエントリーさせましょう。ぜひ参加なさって下さい」
そう言ってこちらが口を挟む前に女性は携帯を取り出し、一言二言告げると、はい、もう完了しましたと言った。
「申し遅れました。わたしは成瀬と申します。この境の管理人を任されているんです」
「境?何ですか?今から何があるんです?」
成瀬と会話している内にぞろぞろと人が集まり始めているのが分かった。成瀬とは対称的に皆どこか不安げな表情をしている。やっぱり自殺サークルなのか。桐崎はにわかに危険を感じた。成瀬は時計を見た。
「間もなく時間ですね。ではあ、皆さん、教の周りへお集りください」
成瀬の声に一様に皆が教のもとへ集まってくる。成瀬はちらりと桐崎へ目を向ける。小悪魔的な笑顔が垣間見えた。
「それではただいまより、入郷審査を行います。審査はこの奥の、とある屋敷で執り行います。ちゃんと私の後を付いて来てください。迷ったら大変ですので」
成瀬のかけ声で数十名の人々が列をつくる。桐崎は状況を把握するために最後尾に並んだ。この謎の集会に参加したメンバーを観察すると自分を含め、ほとんどの人間が成人であるなか、ひとりだけがまだ高校生くらいの青年がいるのに気がついた。これはカルト教団である可能性があるな、と携帯にメモしておいた。直後、携帯に着信。
「おい、そっちはどうなってる?目印はつけたか」
葛城さんだった。
「あの、目印というかかなり目立つものがあるのでそれを目印にしてください。肝心の目印なんですが、仏なんです」
「仏?山のなかに仏があるのか。なんか怪しくなってきたな」
「えーー、ここからは携帯及び電子機器類の使用は禁止させていただきます。おそらく屋敷では携帯の電波は入らなくなると思います。ご了承ください」
成瀬の声が飛び込んで来た。明らかに桐崎に対する注意だった。
「すみません。携帯に使用が禁止されました。どうしましょう?念のため盗聴しておきますか?」
葛城さんはうーんと低い唸り声を続けて、
「大丈夫だ。桐崎君ならこのくらいお茶の子さいさいだろ。後は君の判断に任せよう。万が一何かあったら例の方法で」
「了解しました」
「幸運を」
電話は一方的に切られた。例の方法。できればそんな作戦は取りたくないが、葛城さんの万が一とは、必ず起こるということを意味する。葛城さんはここで何が行われるのか知っていたんだ。だが、“破りのキリサキ”の名にかけて、与えられた任務は遂行する。それだけだ。