秘技といい女
「申し訳ありませんが本気で当たらせて頂きます」
「ああ、そうしろ。俺もそうさせてもらうからな」
俺は上野に合わせて腰を落とした。
「残念ですね。巧さまが常体の時に手合わせさせてもらいたかったです」
「……わかるか?」
俺の身体は時伏せの副作用でぼろぼろだ。だが、泣き言も言ってられない。
俺と上野はゆっくりと間合いを詰める。
手と手が触れる瞬間、上野が俺の手首を掴んだ。
マービンの機械仕掛けの身体を片手で捻じ切るほどの握力で俺を引き込む。
俺は逆らわずに上野の懐に飛び込んだ。
上野は、急に手を離すと俺から離れた。
「強くなられましたな」
「ああ。これでも実戦には事欠かないんでね」
俺は、前に出た。
拳を打ち合う。
お互いの手の内はわかっている。これは投げにつなげるための、組み手争いのようなものだ。
そう思っていた。
「な?」
俺の掌底は空を切った。
一瞬だけ上野の姿を見失う。
とん、と背中に、物理的には軽い、精神的には重い衝撃が走る。
上野が俺に背中を合わせてきたのだ。
「こんな型は習っていないぞ」
「はい。これは、秘技とでも言いましょうか」
俺は、この型の意味を悟った。
俺の使う武術の投げは相手の力を利用する合気道のそれに近い。この型は先に相手に動かさせ、それに対応して投げるのだ。
つまり、先に動いたほうが負けだ。
俺は舌打ちする。
俺は先に行かなくてはならない。寮が襲撃されているのだ。
俺は、意を決して動いた。
その時、時詠みが発動した。
俺の身体は宙を舞う。
投げ飛ばされた俺は、背中から地面に落ちた。
激しい頭痛と共に、むせ返る。
「お見事です」
立っている上野は言った。
「上野、おまえ俺を殺すつもりだったな?」
「本気で当たらせてもらうと申しました」
上野は、右手の小指を押さえた。
上野の小指は、折れていた。
投げられる瞬間、俺は上野の小指を叩き折って投げから逃れたのだ。
俺はよろけながらも立ち上がった。
「上野、俺は行くよ。今は秋葉家よりも守りたいものがあるんだ」
「承知しました。巧さま、行ってらっしゃいませ」
上野は恭しく俺に頭を下げた。
ふと見ると香苗が俺を見上げている。俺は香苗に笑いかけた。
「香苗。もっと鍛えておけ。どんなに気取ったって、結局制御できるのは自分自身だけだからな」
俺はぽかんとしている香苗に背を向け、門に向かった。
そこには、今まで出番を待っていたかのように、桃花が立っていた。
「遅かったわね」
完璧な作り笑いを見せる桃花を俺は無視して門を潜ろうとした。
「おじさまもおばさまも最初は本当にあなたとの和解を望んでいたのよ。それはわかってあげて」
俺は足を止めた。
「今さら、どうでもいいことだな。結局和解はならなかったんだから」
「ええ、そうね。私は、今回のことに私が絡んでいないことを知っておいてもらいたかったの。すみれがあなたのところに行くのを止めなかったのも、あなたのことを思ってなのよ」
「それもどうでもいい。結局、俺とおまえも赤の他人だ」
「へえ、許婚にそんなことを言っていいの?」
桃花はそう言うと、ちゃらと鍵を鳴らした。
「私、この間バイク買ったのよね。ここから憶良市まで電車なら乗り換え時間も入れて4時間はかかるわね。でも、バイクなら2時間もあれば行けるかな」
俺は桃花の顔を見た。
俺の妻になる予定だった女は、余裕の表情を俺に向けている。
「……いいのか? 勝手なことして」
「いいのよ。東家も秋葉家も関係ない。私があなたのためにやりたいんだから。それができる程度には成長したつもりよ」
桃花はにやりと歯を見せて笑った。造形美のない、地の笑いだった。
「俺はおまえを見損なっていたみたいだな。おまえ、いい女だよ」
「当然でしょう? これでもタレント好感度で上位にいるんだから」
俺は桃花から鍵を受け取る。
「助かるよ。恩に着る」
「今度会う時までにお返しを考えておきなさいよ」
俺と桃花は笑いあった。
そして、俺は秋葉邸の門を潜って外に出た。