『天秤』
新橋美異と恵比寿洋子、原正志の3人は竹林の中を走った。
塀までの距離は100メートルもないだろう。その中間まで来たところで美異は急に足を止めた。
「ちょっと、どうしたのよ、美異!」
美異は手で洋子を制した。洋子は美異の背後の人影に気付いた。人影、『鷲』は美異に言った。
「失礼いたします。『正義』に関して報告があります」
「……どうしました?」
「『正義』が憶良市に入りました」
「フォートフィフスは?」
「現在、マニゴルドの襲撃を受けています」
美異は舌打ちをした。
「洋子先輩。少し状況が危険です。私、先に行きますね」
「え、ちょっと、みこ…」
美異は周りの重力を軽くして、一気に飛び上がった。竹林を突きぬけ、そのまま秋葉邸を出る。
洋子は飛び去った美異を見上げた。視線を戻したときには『鷲』の姿もない。
「な、なんだったんだ?今の」
「さあね」
洋子は、正志の突然だが当然の疑問を軽くあしらい、周囲を警戒した。
おかしい。美異の行動は目立ったはずだ。それでも、当然あるはずのマニゴルドからの襲撃はない。
洋子は竹に触り、竹林内を探った。
50を超える死体がある。
これはマニゴルドの騎士たちのものだった。
そして、生きているのは3人。
洋子は竹から手を離して、藪を払った。
そこには、隠されているようにマニゴルドの騎士がいた。
「なんだ?死んでいるのか?」
正志は足の先で騎士の兜を蹴った。兜は外れ、苦悶の表情が現れる。
ごぽりと、口から液体がこぼれる。
その騎士は、溺死していた。
洋子は意を決して叫んだ。
「いるのはわかっているのよ、出てきなさい!」
竹林の中に生存者は3名。ひとりは洋子、ひとりは正志。すでに美異はいない以上、もうひとりがここにいるはずなのだ。
それは、最初はただの水溜りだった。その水溜りはぶくぶくと泡立つと、ゆっくりと人型になっていった。
「よく気付いたね」
人型は、小柄な黒人の女になるとそう言った。
「……白金ね」
「ああ。『正義』に仕える使徒、『天秤』だ。あんたたちが死ぬまでの短い間、覚えておきな」
『天秤』は厚い唇を吊り上げた。
「『正義』?『正義』がなんの用なのよ」
「私の目的は美異さまを憶良市に行かせること。邪魔なマニゴルドには死んでもらったけど、あんたたちに用はな…」
『天秤』の言は止まった。
『天秤』はゆっくりと自分の胸を見る。そこには、地から伸びた竹が突き刺さっていた。
「私たちもあんたに用はないわ。どきなさい」
『天秤』は洋子を見ると、にやりと笑った。ずるりと、竹が『天秤』の身体をずれ、抜ける。
「……液状になっているの?」
「あんた、恵比寿洋子かい? あの『プラントパペティア』の」
「白金に名前が知られていても嬉しくないわ、ね!」
洋子は跳ねた。『天秤』が洋子に飛び掛ったのだ。
自らの意思で妨害するように竹や藪が『天秤』の進行を阻む。
だが、『天秤』は障害物を避けることもなく洋子に迫った。