夕食
見慣れぬ天井を眺めながら目を覚ます。今、俺は秋葉邸に戻ってきているんだと思い出すまできっかり1秒かかった。
日は暮れている。俺は、寝癖の付いた髪を掻き乱しながらゆっくりと上体を起こした。
「……、うお!」
左右を確認すると新橋と恵比寿が寝ていた。なんか、距離が近い。
いつの間にか俺たちは川の字で寝ていた。こんなところ正志に見られたら面倒なことになる。
俺はその状態から逃げ出すように立ち上がり、部屋の明かりを点けた。
「巧さま、いらっしゃいますか?」
縁側から使用人に声をかけられる。俺は縁側に顔を出した。
「ああ、ここにいるよ」
「あ、すいません。玄関ではご返事がなかったものでこちらに伺いました」
まだ年若い使用人さんは恐縮する。
「悪い。寝ていたからね。それで、なんの用?」
「夕食の準備ができました。こちらにお運びしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、頼むよ。それで、親父はまだ帰宅していないのか?」
「お館さまはもうずいぶん前にお戻りですよ」
そう言って使用人さんは恭しく頭を下げて去っていった。
しかし、親父は帰っているのに俺を呼びに来ないな。まさか無理やりここに呼び出しておいて俺から挨拶に来させる気でもないだろうに。
俺は、なにか違和感を覚えた。
夕飯は懐石料理だった。鯉こくはなかったが、新橋はおいしそうに箸を運んでいる。
「洋子先輩。この煮物、おいしいですよ」
「あ、これはうまいわね。よく味が染みてる」
心なしかこの2人、仲良くなってる。俺がいない間になにかあったかな? 善哉善哉。
「おい、巧」
「ん?なんだ、正志」
「なんかおまえ、恵比寿と仲良くなってないか?」
「俺と? いつも通りだろう?」
俺たちは夕飯が終わると食い終わった食器を厨房に運んだ。寮ではいつもしていることだ。どうでもいいことながら食器洗いは当番制でやっている。
「た、巧さま! そのようなことは私どもでやりますから!」
「ああ、いいよいいよ。このぐらいなら俺たちでもできるから。ご馳走様」
「……、本当に巧さまですか?」
年老いた料理長は訝しげに俺を見る。どういう意味だ?
「巧さまにそのようなこと言って頂けたのは初めてですから」
「ああ。これでも外で苦労してきたからね」
世間の荒波に揉まれて俺もまるくなったのだろう。昔の俺のような傲慢な態度は世間一般では通用しなかったわけだ。
もっとも、今の俺が無理しているってこともないわけで、いつも眉間に皺を寄せていたような昔よりずっと自然体でいると思う。
「巧、あんたかなり最低だったのね」
「否定できないな、残念ながら」
俺たちは厨房の人たちと少し談笑した。こんなことは確かに昔にはなかったことだ。
離れに戻るために日本庭園を横切る。久しぶりだからか、やけに静かに感じる。微かな違和感。その静寂を引き裂くように女2人は喋りまくっている。
「巧、巧!ちょっと、聞いてるの?」
「あ、悪い。聞いていなかった」
「まったく、ちゃんと聞いてなさいよ」
俺は、そこで正志がさっきから俺を睨んでいる理由に気付いた。
「なあ恵比寿。なんで俺を名前で呼んでいるんだ?」
「なにか文句ある?」
恵比寿は俺を見る。目つきがきついため凄まれると迫力がある。
「いや、文句はない、けど……」
俺の言を聞き、恵比寿は勝ち誇ったように笑った。