4年前4
雨で濡れた着物とあざだらけの身体を引きずって、俺は駅前に向かった。
通行人は誰も俺を見ない。俺は、遅まきながら気付いた。秋葉の人間は、街の人に敬意を払われていたのではなく、無視されていたのだ。
秋葉の家を通さなければ交友関係は絶無である俺の頼れる人間は桃花だけだった。
駅前に行けば桃花がいる。
そんな淡い期待を持って俺は重い体を引きずった。
だが、駅前に桃花の姿はなかった。
代わりに小柄な少女がひとりで立っている。すみれだ。すみれは俺を見つけると駆け寄ってきた。
「巧さま!」
「すみれ、桃花は?」
すみれは傘で表情を隠した。それで、なんとなくわかってしまった。
「桃花さまはいません。っ…、申し訳、ありません」
「言い辛いかもしれないけど、はっきり言ってくれ。それが務めだろ?」
すみれは涙声で言った。
「とうか、さまと、たくみさまは、金輪際、他人だと。もし見かけても、ぜったいにこえを、かけるな、と」
すみれはその場にしゃがみこんだ。
嫌なことをさせたなあ。ま、ショックはショックだが、桃花がここにいないことで覚悟は出来ていた。欲を言うなら直接言って欲しかったな。
「わかった。すみれ、ご苦労様。帰っていいよ」
俺はすみれに背を向けた。
さて、当てがなくなったがどうしよう、と、やけくそ気味に考え始めたときだった。
すみれは傘を放り出し、俺の背中に抱きついてきた。あざを押されて痛かったってのは内緒だ。
「おい、すみれ」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
すみれは俺の背中で泣いていた。俺はすみれに向き直り、すみれの顔を覗き込んだ。
「なにを謝っているんだ? おまえのせいじゃないだろ?」
「ごめんなさい! わたしには、巧さまを助けられない! なにもできない!」
俺は、この言葉に救われた。
秋葉の家も、桃花も、すみれと同じだったのだろう。
どうやっても俺を守れない。だから、仕方なく俺を切った。
この言葉がなければ、俺は秋葉の家も桃花のことも、陰湿にうらみ続けたかもしれない。
俺は雨で濡れた着物ですみれを抱きしめた。すみれの温もりが伝わる。
「俺は大丈夫だから。おまえはなにも心配するな」
「でも、でも!」
俺はすみれの涙で濁った目を見た。
「すみれ、大丈夫だから」
瞳にキスをする。俺にとってすみれは佳苗以上に身近な妹のような存在だ。
「……はい!」
すみれは嗚咽を上げているものの、気丈にも頷いた。
「桃花を頼むな。あいつはおまえがいないとなにもできないから」
「はい、はい!」
俺はもう一度だけすみれを抱きしめて、離れた。
「じゃあな、すみれ。俺は、行く」
元気でやれ、とか、幸せになれ、とか色んな言葉が浮かんだが、どれも陳腐に思えて言うのをやめた。
ただ、行くと、すみれに伝えられればいいと、そう思った。
こうして俺は秋葉の家を出た。その後、紆余曲折あって黒金に入り、七草学園に転入することになるが、秋葉の家が派遣した弁護士が俺を見つけ出して、財産相続破棄の書類にサインをしたのは転入する1ヶ月前のことだった。