4年前1
ばん!と、相手を畳に叩きつける音が響く。
「次!」
俺は今倒した奴を無視して周りの練習生に言った。だが、誰も俺の前には出なかった。
俺は胴衣の襟を正して舌打ちする。
「巧さま、今日はこの辺りにしたらいかがですか」
上野はやんわりと俺を諭した。
俺の習った武道は投げ技を主体にした古武道だ。才能もあったのだろうし努力もした。結果、俺が中学2年になる頃には大人も含めて俺より強いのは師匠の上野だけになっていた。
「上野、すみれはどうしたんだ?」
「今日は桃花さまのお側付きです」
「俺の相手になるのがおまえとすみれだけでは練習にならん!」
俺は練習生に挨拶もせず、神棚に礼もせずに道場を後にした。そのまま屋敷を出てランニングを開始した。
時折すれ違う住民は俺に目を合わせずに軽く頭を下げる。俺はそんな人たちも当然のように無視した。
この街では秋葉は特別な人間だった。なにをやってもいいし、許される。
秋葉は選ばれた人間なのだ。
当時の俺はそう思っていた。
いつものランニングコースを折り返し、帰路に着く頃、俺はその視線に気付いた。
頬が緩む。こういうことはたまにあるのだ。
俺はランニングコースを外れ、人気のない土手に下りた。
それを合図にわらわらと10人ほどが俺を囲んだ。中には道場で見知った顔もある。
「なにか用か?」
「巧さん、あんた生意気だよ」
「ああ、よく言われるね、愚民にはそう見えるんだな」
俺は数を頼りに俺を囲んでいる男たちを鼻で笑った。
「一応、聞いておいてやる。秋葉にたて突く覚悟はあるんだろうな?」
この街では7割以上が秋葉と東の関連会社に就職している。秋葉の家と対立するということはこの街から、いや、この地方から出て行くことになる。
「ああ、俺たちは昨日、工場を解雇されてな」
「それで復讐か。そんなことを考えるから解雇されるんだよ」
男たちは一斉に俺に向かってきた。俺は余裕を持って男たちに対する。
1人目の顎に掌底を叩き込み2人目を投げ飛ばす。3人目は小手投げで転がし、4人目の眉間に拳をめり込ませた。
そして、5人目に対する時、それは起きた。突然目の前が赤く染まった。そして、自身が後ろから後頭部を殴られている映像が浮かぶ。
時詠みだ。
今まで命の危険に触れる機会がなかったからだろう、これが俺の能力が初めて発現した瞬間だった。
俺はとっさに身を屈めた。空気を叩く音が過ぎ去った。振り返ると、男がスパナを持っていた。こんなもので後頭部を殴られればそりゃあ死ぬな。
「危ねえだろうが!」
俺は男の腕を取り、思い切り回した。乾いた音がして男の腕は折れ、地面に落ちた。情けない悲鳴を上げて転がっているスパナを持っていた男を見て、残りの5人はたじろいだ。
俺は、急に始まった刺し込む頭痛に軽く目眩みを起こした。
頭を一度振って頭痛を追い出すと、残っている男たちに言った。
「まだやるか?」
その中のひとりの男の行動は明快だった。拳銃を取り出したのだ。
「数を頼まなければなにもできない雑魚に人を殺す度胸があるのかよ」
俺はこの時、集団心理というものの理解が浅かった。人は、一人ではできなくても群れれば気が強くなるのだ。
拳銃を持った男は周りに自分の度胸を見せ付けるように引き金に力を入れた。
俺は内心焦った。
そして、今日二度目の時詠みが発動する。
視界が赤く染まり、銃弾の軌跡が見える。
撃つ弾は2発、タイミングもわかった。
一発目を俺は身体を逸らしてかわし、2発目を屈んでかわす。そして、発砲者に近づくと即頭部に上段蹴りを叩き込んだ。
残りの4人はそれを見て逃げ出した。
今なにが起こったのか俺には理解できなかったが、その時は頭痛が激しくて思考を放棄した。
俺は、よろけながら秋葉邸に帰った。