平和なフォートフィフス
ばたんと、大きな音を立ててフォートフィフスの重い扉は開かれた。
原正志はエントランスに駆け込み、左右を見渡す。誰もいないのを確認すると階段を駆け上った。
テラスに馬場久菜と岡地留美を見つけ、正志は駆け寄る。
「あ、おかえり正志くん。お土産は?」
「岡地先輩!巧たちは?」
「な、なによう急に。3人なら明日まで戻らないよ」
正志は携帯を取り出すと巧にメールを送った。内容は「いつまで恵比寿の実家にいるつもりだ!」。
久菜は正志の慌てようなど無視するようにゆっくりとティーカップを口に運んだ。
憶良市は昨日の雨空とは違い、晴天が広がっていた。
テラスは、フォートフィフスが山間にあることもあり、憶良市を展望できる見晴らしのいい場所だった。
「しっかし、巧くんもやるよねー。昨日はきっとぬぷぬぷのぐぽぐぽのべちゃべちゃだよ♪」
正志の手が止まり、久菜は口に運んだ紅茶を噴き出しかける。
「留美、その擬音はやめて。なにか汚いわ」
留美と久菜は、正反対の性格だが仲がいい。
「それで、正志くんはどうしたのかな~? 3人が心配になったのかな~?」
留美は八重歯を見せて正志を下から覗き込む。
正志は黙った。
正志の携帯に返信メールが届く。『昼ご馳走になって俺の実家に行く予定(涙)。帰るのは明日。長居はしないから昼には着くと思う』。
正志はそのメールを見てさらにメールを返した。『俺もそっちに行く!』。
「先輩! 俺はこのまま巧の実家に行きます!」
それだけを言って正志はテラスから出て行った。
留美は頬杖をついて正志を見送る。
「いや~、青いね、青い春だね!」
「赤面してしまうわ」
久菜は恥ずかしそうに町を見下ろした。
「ねえ、くーちゃん。たくみくん、ぬぷぬぷしたと思う?」
「……無理ね。彼、にぶいから」
「そうだね~、たくみくんはにぶいからね~。きっと女の子が夜、部屋に来てもそのまま帰しちゃうんだよ。ちゅーもしないんじゃないかな。カイショなしだね。みいちゃんが苦労するわけだよ」
「いいことよ。学生の本分は勉学なのだから」
久菜はなにを想像したのか頬を赤く染め、目を閉じた。
留美はそんな久菜を見て笑う。
そして、あることに気付き愕然とした。
「しまった!お土産もらってない!」
原正志は焦っていた。
正志は月に一度は実家に帰っている。実家の居心地がいいということもあるが、それは家長命令だからだ。
正志の価値基準の中で家族というものはかなりの上位に位置する。逆らう意思も必要もなかった。
だが、今回はそれが仇になった。
秋葉巧が、正志が密かに、実際は正志と洋子の当人同士以外にはばれているのだが、想っている恵比寿洋子の実家を訪問したのだ。
初めはなんの心配もしていなかったが、実家でなんでも相談しているひとつ上の姉に言ったところ、煽られた。
いわく、そんな余裕があるのか? 寝取られるぞ、と。
不安は時を追うごとに増大していく。
正志は我慢ができずに朝一の電車で寮に戻ってきたのだった。
そして、正志は、今度は新幹線に乗り、巧の実家に向うのだった。