昔の出会い2
「それで、その娘とはどうなったんですか?」
新橋は、俺ののろけにもならないような初恋話になぜか食いついた。聞いていて楽しい話でもないと思うんだけどなあ。
「いや、それっきり。実際には5分も一緒にいなかったけどな」
「その娘、その後どうしたんでしょうね」
「多分、死んだんじゃないかな」
新橋はきょとんとする。俺は話の補足をした。
「あの後、俺の行った海岸一帯に津波が来てね。カルト雑誌では小隕石の衝突が原因とか言っていたけど。死者は100人を超えた大災害になったんだ。今思えばあの津波もストゥレーガの誰かが起こしたものかもしれないな。俺はぎりぎり被害には遭わなかったけど、浜に残った彼女は波に飲まれただろうな」
俺はベンチから立ち上がり、コーヒーの缶をゴミ箱に捨てた。
「それで、彼女のことが少しでもわかればと思って、彼女の着ていた服を調べてみたんだ。よく調べると違ったんだけど、巫女装束みたいに見えた俺は時間の空いた時に近隣の神社を巡ってみて、それで巫女さんが好きになったんだな」
新橋もベンチから立ち上がり、缶を捨てる。そして、自分の腕を俺の腕に絡めてくる。
新橋は、あの娘に似ている。だが、纏っている雰囲気がまるで違った。
「さて、下らない長話も終わりにして、そろそろ戻るか。恵比寿の感動の再会もそろそろ終わっている頃だろう」
俺たちは来た道を戻ろうとした。
その時、船から魚の荷下ろしをしている漁師と目が合った。
歳は30前後だろう漁師は俺と目が合うと、不機嫌そうに魚を投げつけてきた。びちゃりと、嫌な音を立てて魚は俺の足元で跳ねた。
「こんなもんは売り物にならん。やる」
一方的に漁師はそれだけを言うと、話は終わりとばかりに作業に戻った。
投げつけられた魚は、エラが不恰好に発達していた。
そういうのは多いのだろう、漁師は箱の中から規格外の魚を見つけると、鷲づかみにして海に放り投げていた。
俺は軽く息を吐くと、怖い目で漁師を睨んでいる新橋の腕を軽く引いた。
「ほら、行くぞ」
「あ、はい」
新橋は、両腕で俺の腕を抱きしめてきた。俺たちは、腕を絡めたまま神社に戻った。
新橋美異は秋葉巧の腕に抱きついたまま、昔のことを思い出した。巧と、初めて会った、あの海での出来事だ。
美異は肩にかけられたジャケットを抱きながら、巧が浜から去る姿を見ていた。
異常がある。心拍数が上がっているのだ。
だが、不快ではない。こんなことは初めてだった。
新橋美異は物心がつく頃には白金にいた。
白金として成長し、実績を重ね、そして、今ここにいた。
幼稚園、小学校、中学校、と一連の中で幼少時代を過ごすように、美異がここにいることはごく自然なことだった。
白金では強きことが自身と仲間を守る手段であり、強きことでその地位を確立する。
それには戦うのがもっともわかりやすい証明方法だった。
ゆえに美異は最高幹部であり、もっとも強きものとされる22人の大アルカナの称号を持つものに挑んだ。
その自然な流れの中に微かなノイズが走る。
美異は昂る気持ちを抑えることなく、船の縁に手をかけて立ち上がった。
足元には血溜まりが出来ている。
美異の血だ。
後に巧が気付くように、美異の着ているのは巫女装束ではなかった。それは、死者の着る、白装束だった。
緋袴に見えた下半身は、美異の血で赤く染まっていたのだ。
美異は火照った気持ちを抑えるために冷たい海風を肺の中に吸い込んだ。そして、荒涼とした灰色の海に向かって叫ぶ。
「そろそろ終わらせましょう、『世界』!」
その声に呼応するように海の中から、30前後の女性が姿を現す。ウェーブのかかった長い銀髪、赤い唇の右下にはほくろがある。
女性、『世界』はゆっくりと海から浜に上がった。その姿には一粒の水滴も付いてはいない。
「もう隠れんぼはいいのですか、美異?」
「『世界』、私は今不思議な気持ちなんです。とても気持ちいい。あなたにはこの気持ちがわかりますか?」
「ええ、見ていました。かわいい少年でしたね。あなたにお似合いでしたよ」
「ああ、『世界』。こんな気持ちは初めてです。胸の高まりが収まらない」
「うふふ。いいことを教えて差し上げます。それは、恋ですよ」
「恋?そうですか。これが、恋……」
「そうだ。あなたが寂しくないようにあの少年も殺してあげましょう。それならあなたも安心して死ねるでしょう?」
美異は『世界』の言葉が聞えないのか、下を向いてなにかを呟いている。そして、なにかが切れたように突然大声で笑い出した。
「ああ、凄いわ。私にこんな感情があったなんて! 凄い、凄い!」
『世界』は眉をひそめ、腕を組んで豊満な胸を支えた。
美異は笑いを収めると、凄惨な笑顔で『世界』を見た。
「『世界』、私はこの気持ちに浸っていたい。あなたは、邪魔です」
「……状況はわかっているのですか?あなたは満身創痍で立っているのもやっとではないですか。それでも私を、倒せると?」
確かに美異の身体は傷だらけだった。白装束で見えないが美異の左足は千切れかけている。その傷は全て目の前の女性、『世界』が美異に与えたものだった。
『世界』は腕組みを解くと、人差し指を立てた。すると、『世界』の背後の海から100を超える水球が浮かび上がる。
「もうわかっているでしょう?私の力は『水』です」
『世界』は人差し指を折り、美異に向けた。水球はまるで一斉に投げ飛ばされたように美異に向かっていった。空気抵抗により、水球は槍へと姿を変える。
だが、水槍はそれが自らの意思であるように直前で美異を避けた。
美異が周囲の重力を変え、軌道を逸らしたのだ。
外れた一本は提に突き刺さり、粉々に砕く。水槍は、たとえ一本でも直撃するなら美異の小さな身体をたやすく破壊するだけの力を持っていた。
「超重力、厄介な力ですね。さすがに私に挑むだけのことはある」
『世界』は突然美異に背を向けた。
それと同時にあるものが消える。
音だ。
半永久的に聞こえていた波の音が消失した。
「それでもあなたには私を攻撃する方法がない。あなたの射程は、せいぜいが30メートル。射程外にいる私には手も足もでない。そうでしょう?」
「今のが見えなかったのですか? 私には遠距離攻撃は通用しませんよ」
「それは、どうかしら?」
音が戻った。
ごく小さなさざ波、それは次第に大きくなっていく。
そして、それは美異の前に姿を現した。
津波だ。
30メートルは超えるだろう巨大な津波が浜に迫っていた。
すでに音は轟音と化している。
「あなたは溺死と圧死、どちらで死ぬのかしら?」
『世界』は美異に笑いかけた。
津波は海に近い『世界』から飲み込む。
津波は勢いを減じることもなく、美異に迫った。
そして、津波は町を飲み込んだ。