東桃花登場
校門前にはすでに人だかりが出来ている。その中心は3人の男女だった。
ひとりは背の高い、豪奢な茶髪の女。ひとりは背の低い、ショートカットの少女。もうひとりは、俺の知らないごつい黒服の男。
黒服の男は群がる馬鹿男子学生たちを抑えている。
その黒服の男の脇をすり抜け、色の白い男(その時は気付かなかったが正志だった)が茶髪女に走りこんだ。
その進行方向に背の低い少女が立つ。
すっと、少女は身を屈め、体重を乗せた肘を正志のみぞおちに叩き込んだ。
息が止まった正志に少女は、垂直に飛び上がって正志の顎につま先を滑らせる。ギャラリーにはスカートが捲くりあがってスパッツが丸見えだ。
うん、流れるようないい動きだ。
正志の意識はそのままどこか遠い星にまで飛んでいった。
その一部始終を見ていた周りの馬鹿どもは一瞬で黙った。
俺はその群れを掻き分けてわざと3人にゆっくりと近づいた。
今まで黙っていた茶髪女は俺に気付くと背の小さい少女の前に出た。
「久しぶりね、巧。4年振りかしら?」
非の打ち所のない作り笑いを見せてそう言う茶髪女を俺は無視して、隣にいる少女に声をかける。
「よ、すみれ。久しぶり。元気にしてたか?」
「巧さま、露骨に桃花さまを無視するのは止めてください。後で私がお小言をもらいます」
この少女は上野すみれ(うえのすみれ)。茶髪女の乳母姉妹で確か俺のひとつ下だから高校1年、新橋と同学年だ。この娘の親父は俺の実家の執事で俺の武道のお師匠さんでもある。
……仕方ない。俺は初めて茶髪女、東桃花に向き合った。
作り笑いにひびは入っていない。面の皮は厚くなってるな。
「おまえでも理解できるようにわかりやすく言ってやる。迷惑してるんだよ。俺にはかまうな」
「随分な言い草ね。久しぶりに再会した許婚に対して」
「婚約は解消されてるぞ。おまえにも、東家にとっても俺はまったくの他人だろ?」
「寂しいことを言うのね。私とあなたの仲じゃない」
よく言うよ。しかし、背中の視線が痛い。このプライドだけはやたら高い女は用件を済ませないと帰らないだろう。
俺は少しだけ譲歩した。
「それで、なんの用だ?」
「あら、あなたに会いに来たでは駄目?」
「早く言えよ。これでも我慢してるんだから」
桃花はわざとらしく肩を竦めると本題に入った。
「おば様に頼まれたのよ。あなたとおじ様の仲を取り持ってくれって」
「勘違いしているな。俺が縁を切ったのは親父じゃなくて秋葉家そのものだ。ついでに言うと俺は一方的に縁を切られたんだしな」
「だから、私が仲介しているんでしょ」
「おまえにも縁を切られたはずだけど?」
「細かいことに拘るのね。とにかく、一度実家に戻っておじ様と話してみたらどう?」
「それはいい話じゃない?」
突然、本当に突然そう言い出したのは恵比寿だった。いつ来たのか俺の後ろにいる。
恵比寿は主導権を握るように俺の横に立った。
「東桃花さんね。あなたが秋葉と知り合いだったなんて驚きだわ」
「恵比寿洋子さんですね。お話は聞いていますよ」
「どんな話を聞いているのか興味があるわね」
恵比寿はきつい目で俺を見た。いや、俺じゃないぞ。どうせ桃花が探偵でも雇って俺の周りを嗅ぎまわったのだろう。
「そうね。今度の連休なんていいんじゃないかしら?私が責任持って秋葉を連れて行ってあげる」
「おい、恵比寿!どういうつもりだ!」
恵比寿はついと俺に顔を寄せると小声で言った。
「私だけ実家に帰るなんて不公平でしょう?あなたも道連れにしてやるから」
「……地獄にはひとりで落ちてくれないかなあ」
「あんただけが地獄に落ちるなら温かく見捨ててあげるわよ」
桃花は俺と恵比寿が顔を寄せ合って話しているのを作り笑いのまま見ていた。眉が1ミリほど吊り上っているのに気付いたのは俺とすみれだけだろう。
「東さん、秋葉も承知してくれたわ」
「桃花でいいですよ、洋子さん」
「ええ、桃花。それじゃあ来週の、そうね、日曜日に秋葉と伺うわ」
俺は断じて承知していない。
しかし、なんだ?なんでこんなに恵比寿と桃花の間で緊張感が高まっているんだ?
「それでは日曜日に。お待ちしていますね」
やっと帰ってくれる、そう思ったときだった。今まで背景と化していた黒服が俺の前に出た。
「取り消せ」
「桃花、こいつはなにを言っているんだ?」
「お嬢様に対する無礼な発言を取り消せ!」
ああ、なるほど、そういうこと。忠犬きどりか。
しかし、俺は桃花に無礼じゃない発言をしただろうか?と、すると発言全てを取り消すことになるな。そうすると来週実家に行かなくてもいいかなあ、なんてことを考えていると黒服は俺の襟を掴んだ。
「やめなさい、四谷!」
「いいえ、やりなさい、四谷」
制止するすみれに煽る桃花。
黒服、四谷は桃花の言に従い俺を締め上げた。
俺は、四谷の肘を押した。四谷は腕を通して肩を押される。押された肩を戻すために反射的に身体が前に傾く。俺はその反動を利用して四谷を回した。
四谷は受身も取れずに背中から地に落ちた。
俺は乱されたブレザーを調えた。
「こんなのを護衛にしてるのか?役に立たないだろ」
「護衛にはすみれがいるもの。でも、すみれじゃあ防犯にはならないでしょ?」
まあ、すみれは見た目、目立たないひ弱な女の子って感じだからなあ。こいつを見て返り討ちに遭うとは、普通は思わないだろう。
桃花は最後に満足そうな作り笑いを俺に見せて背を向けた。すみれは俺に軽く一礼すると、桃花の後についていった。四谷は置いてけぼりだ。
「……恵比寿。恨むからな」
「因果応報でしょ。ざまあないわね」
こうして俺の週末の予定は(強引に)決められた。きわめてどうでもいいことながら、後で俺を質問攻めにする馬鹿ども(正志含む)は正直うざかった。