テニス部主将渋谷明彦
ボールを叩くラケットの音。俺は硬いコートを蹴ってボールに食らいついた。
「お、よく追いついたな」
渋谷先輩は必死で返したボールを容赦なく俺に突き返した。
ボールは俺の横を過ぎ去って背後のフェンスにぶち当たる。
俺は肩で息をして膝に手を着いた。
「なんだ? もうばてたのか?」
俺は大きく息を吸い込んで身体を起こした。
「なんの、まだまだです」
昼休み、俺は渋谷先輩の呼び出しを受けた。
テニス部の練習に参加するように、とのことだ。月に1、2回はあることだ。
俺は基本的にどの部活にも所属せずに独錬で鍛えている。だが、それだと練習方法もパターン化してしまうので、たまに違うことをするのは俺のためにもなリ、ありがたいことだった。
テニスの実力は正直、部の1年にも勝てない程度だが、渋谷先輩いわく「この学校で俺の球に反応できるのは男ではおまえだけだ」ということになるらしい。
俺はしばらく翻弄された後、コートの脇に腰かけた。渋谷先輩に水筒を渡される。中にはスポーツ飲料が入っていた。
「疲れたか?」
「ええ。体力には自身があるつもりなんですが」
「体力はなれないことには余計に消費するからな。気にすることはないぞ」
渋谷先輩は俺の横に腰かけた。近いので少しだけ離れる。
「この間、『愚者』とやり合ったんだろう?どうだった?」
「……ここでする話題じゃないと思いますけど」
「かまわん。誰も聞いていないし、聞いてもわからんだろうからな」
俺は周りを見た。コートは今、別のテニス部員が使っている。
昼休みまで練習に使っているだけあって七草学園はテニスでは強豪校で通っている。
他の部員は渋谷先輩とは離れたところでそれぞれ練習していた。渋谷先輩と他の部員に、俺以上に距離を感じた。
この人は自分が同性愛者だってことを隠していない。当然風当たりは厳しいがそんなものは無視して我が道を行っている。
自分にはなにが必要で、なにをすればいいのかがわかっている強い人だ。
「やり合ったと言っても軽く話した程度ですよ。あいつは能力を使いもしなかったし」
「『愚者』、神田惣一か。戦って勝てるか?」
「難しいですね。負ける気もないけど」
居合いで斬りつけられたことを思い出す。時詠みがなければ確実に殺されていたな。
渋谷先輩は俺に美笑を向けた。
「いい気分転換になったろ?」
……飯田恵の件だ。
この人は俺たちの誰かが困っていたら自然に手を差し伸べてくれるいい人だ。
ちなみに馬場先輩は俺たちを助けるのは義務と思っているところがある。岡地先輩に至っては「私のものは私のもの。君のものも私のもの。私のものを守るのは当然でしょ?」ってことになるらしい。
「おまえが調子悪いと寮全体の雰囲気が悪くなる。落ち込むなとは言わないがうまく切り替えろよ」
「ええ、わかってはいるんですが」
「知り合いを手にかけたんだから落ち込むのは当然だが、自分を責める必要はない。黒金をやっていれば嫌でもこういうことはあるんだからな」
「それは割り切ってはいるんですけどね」
「そうか。ああ、それならいい」
渋谷先輩は俺の太ももに手を置いてきた。俺はその手を払い、立ち上がった。
「昼休みが終わるまでまだ時間があります。もう少し付き合ってください」
俺は空いたコートに入った。