甲子園の怪物
甲子園の、焦げ付くような九回裏。
スコアボードは二対一。我が母校、光風高校は一点差で負けている。だが、一死二塁。一打同点、長打が出れば逆転サヨナラのチャンスである。
「監督。大丈夫ですか? こうなると、相手チームも噂の化物を投入するかもしれないですね」
「ああ、ここは相手がどう出るのかだな」
相手チームはタイムを取った。ピッチャー交代の合図である。
そして、マウンドに登ったそれを見た瞬間、ベンチの空気は凍りついた。
あんなピッチャーから打てるわけがない……。誰かがベンチでそう呟いた。
そう、相手チームが送り出してきたのは、噂以上の化物のような秘密兵器だった。
「おい、佐藤」
私は、チームの頭脳担当の部員に声をかける。
「……はい、監督。わかってます。これは想像以上ですね」
マウンド上の男は、高校生という括りに入れるにはあまりに無理があった。
ユニフォームははち切れんばかりの筋肉に圧迫されてピチピチと悲鳴を上げ、血管が浮き出た首筋は丸太のように太い。血走った目はあらぬ方向を向き、口角からは絶え間なくヨダレが垂れ落ちている。浮き出た血管はぴくぴくと脈打ち、まるでこちらを威嚇しているかのようだ。
「Я вас всех здесь убью!!!」
化物は、我がベンチを指差し、スタジアム全体を震わせるような怒声で叫ぶ。うるさい。
「佐藤……なんて言ってるんだ? あれは」
「ああ、あれはロシア語ですね」
佐藤はタブレットを叩きながら答える。
「『貴様ら全員、今ここでぶち殺してやる』……と言っています」
「そうか。まさに化物だな」
「はい、まさに。あんな化物、どうしましょうか?」
部員たちの顔には、野球への情熱ではなく、本能的な生存本能による拒絶反応が浮かんでいた。無理もない。あんな男が投げる球は、もはや凶器という言葉ですら生ぬるいのだろう。
しかし、私は監督だ。勝つためなら何でもしてやろう。私は微笑みながら部員たちへと話しかける。
「安心しろ。私には策がある。任せてくれ」
私は力強く頷き、ベンチを蹴った。
「審判、タイムだ!」
私はバッターボックスへは向かわず、球審のもとへ歩み寄った。そして、審判にある一言を告げ、ある手続きを求めた。
審判は深く頷き、すぐさま他の審判が集まってくる。
やがて、審判団がマウンドへ向かった。警備員も一緒に連れてきたようだ。
彼らは、いまだにロシア語で呪詛を吐き続けている化物を捕らえに行った。……あ、人って殴られて空を飛べるんだな……。
捕らえられたピッチャーは、そのまま引きずりながら一塁側ベンチの奥へと連行されていった。
場内は静まり返っている。
やがて、落ち着いた声のアナウンスが流れた。
『……お知らせいたします。ただいまのピッチャー、簡易ドーピング検査の結果、陽性反応が出たため、失格となります。ピッチャーの交代をお知らせします……』
スタンドからどよめきが上がる。
私はベンチに戻り、腕組みをして深く腰掛けた。
「見たか。これが勝利への近道だ」
「流石です、監督。頼りになります」
こうして化物ピッチャーの脅威は去ったのだ……。
なお、試合は代わりに出てきた、普通の控えピッチャーに抑えられて負けた。
普通の野球小説を書いてる作者様、ごめんなさい。




