登山仲間に入れてください!
7月6日午後16時20分頃・・・
若宮朱莉が引越ししてきたことについてあれこれ頭を悩ましていると、水城涼真の部屋のチャイムが鳴った。ドアが開くと上下とも黒いジャージ姿でマスクも外してポニーテールの若宮朱莉が目の前に立っていた
若宮朱莉「涼真さん、入居に関する書類を持ってきました」
水城涼真「ありがとう、書類は後で確認しとくわな。とりあえず中に入ってもらってもええかな?」
若宮朱莉「はい。おじゃまします・・・」
先ほどと同じように部屋にある小さなテーブルの手前に座布団を敷いて、若宮朱莉に「そこに座って」と言った。水城涼真は二つのカップに紅茶を入れて、若宮朱莉が座っているテーブルの前に「どうぞ」と言ってカップを置くと、テーブルの向かい側にも座布団を敷いて座った。
水城涼真「ちょっと話が長くなるけど、時間は大丈夫?」
若宮朱莉「大丈夫です。今日は引っ越し作業がありますので仕事はオフです」
水城涼真「それやったらよかった」
若宮朱莉「登山面接するとおっしゃっていましたね?」
水城涼真「まあ面接って表現が正しいかわからんけど、まずは俺の登山スタイルから説明していって、それから朱莉ちゃんにいろいろ質問させてもらいたい」
若宮朱莉「わかりました」
水城涼真「突然やったけど、朱莉ちゃんの登山に対する意気込みは十分に伝わったんやけど、それだけでは軽々しく山に連れていかれへんねん。厳しいようやけど、一緒に登山するってことはお互いに命を預けるってことになるからな」
若宮朱莉「なるほど、つまり信頼関係も必要になるということですね?」
水城涼真「そういうことやね。じゃあ、俺がどんな登山をしてるか、沢登りも含めてやけど、そのスタイルを説明していくわな」
若宮朱莉「お願いします」
水城涼真は紅茶を一口飲むと、静かにカップをテーブルの上に置いて口を開いた。
水城涼真「岩湧山でも言ったけど、俺は時間と金と体力さえあれば誰でも登れるような山には魅力は感じないんよ。それに低山とか高山っていう拘りもあれへん。簡単に言えばその山に登って楽しいかどうかってだけで、単純な理由やねん。ただ、その楽しむってことにもいくつかあって、誰も見たことのないような景色を見て新しい発見をすること、人間があまり入り込まない秘境の地を訪れること、誰も知らないようなルートを歩くこと、沢登りは完全に童心に返ること、雪山登山は人がいない自然の雰囲気を味わうこと、バックカントリースキーは3000メートル級の山に行くことが多いんやけど、登頂した達成感のあとに童心に返って自分の登ってきたところを滑走すること、あとは山だけやなくて海に潜って撮影しにいくこともある。まず俺のやってることって大まかに言えばこんな感じやわ。ただ、ここからが重要になってくるんやけど、そのためにはあらゆる手段を使うわけで、それは命がけでやってることでもあるんよ。たとえば先日の岩湧山の夜景を見に行ったのは取材も兼ねてやったけど、あの夜景を見るための手段がナイトハイクと言えば伝わりやすいかな。あと地図にないルート(バリエーションルート)を歩くにも、沢登りをするにも、崖があったりしてロッククライミングやロープワークの技術が必要になることがあるんやけど、俺はそのための手段として本格的やないけど、たまにロッククライミングもするんよ。まとめると、命がけであらゆる手段を使いながら自分が求める非日常を手に入れるというのが俺の登山スタイルやねん」
この水城涼真の説明を聞いた若宮朱莉はなぜか目を輝かせていた。
若宮朱莉「とても素晴らしいです!そんな人生に比べると、わたしなんてちっぽけに思いました。それにやはり涼真さんの登山に対する感性は父によく似ています」
水城涼真「お父さんとは気が合ってたとは思うよ。でも、ここで質問なんやけど、朱莉ちゃん個人としては登山に対してどう思ってるん?」
若宮朱莉「先日、岩湧山からの夜景を見た時からですが、今の涼真さんの話を聞いていて、わたしもそんな登山をして非日常を体験したいと思いました!」
水城涼真「そうなんや・・・」
若宮朱莉「わたしって子供の頃から父と感性が似ているとよく言われていました。ただ、この年まで登山のことは知らなかっただけで、本当は父と共感できるものがあったという発見をしたのかもしれません」
ここで水城涼真は少し心を打たれていた。ただ、まだ引っかかっている部分もある。若宮朱莉が自分と同じような感性を持っているにしても、相手は若い女性でしかも人気タレントである。恋愛感情など変な意識はないが、男女という点についてもハッキリ聞いておかなければならない。
水城涼真「朱莉ちゃんが俺の登山スタイルに興味を持ってくれたんはわかった。それとは別にちょっと恥ずかしい質問をしてもええかな?」
若宮朱莉「恥ずかしい質問ってなんでしょう?」
水城涼真「お父さんの登山計画ノートに記載されてる山もそうなんやけど、俺の行く山にはトイレなんてほとんどないんよ。もし、途中でトイレに行きたくなったら、少し離れた木陰や岩陰でするしかないんやけど、それに抵抗はない?」
若宮朱莉「それは慣れっこです。ロケ中でトイレに行きたくなった時に車の中でしています。ここだけの話ですが、マイクをオフにしていなくて音声さんに音を聴かれたことすらありました。木陰や岩陰があるほうが安心してできますよ」
水城涼真「それなら大丈夫そうやな。あと、沢登りの後なんかは絶対やねんけど、簡易テントが設営できんかった場合、離れた場所で着替えなあかん。下手したら誰かに見られる可能性もあるんやけど、これは抵抗ある?」
若宮朱莉「それもロケ中によくあることですよ。車の中で着替えることがあるのですが、何度か見られてしまったことがありました。正直、見られると恥ずかしい気持ちはありますが、そうなったら仕方がないなくらいにしか思っていません」
水城涼真「それも大丈夫そうやな。それにしても芸能界っていろいろあるんやね」
若宮朱莉「あの、わたし父や涼真さんの非日常をたくさん体験したいです!」
この段階で水城涼真は非日常的な感覚を体験したいという若宮朱莉の願望を叶えてあげたいという気持ちになったが、ハッキリ言っておかないいけないこともあった。
水城涼真「あんな、お父さんの登山計画ノートに記載されてる山を制覇しようと思ったら、その倍以上の山に登らなあかんし知識や技術も身に付けないとあかんのやけど、その覚悟はある?正直、一年、いやもっとかかると思う」
若宮朱莉「もちろん!それを覚悟に引越ししてきました」
水城涼真「あと、俺の登山に山岳ガイドなんておらんし、自分のことは自分でする、協力体制で何かする時は、役割分担をしてそれぞれが自分の出来ることをしていかなあかんのやけど、朱莉ちゃんはそれできる?」
若宮朱莉「最初のうちはご迷惑をおかけするかもしれませんが、出来る限り自分のことは自分でするように心がけます」
水城涼真「わかった・・・もう一つだけあるんやけど、ちょっとどうするか考えるから待ってな」
若宮朱莉「はい・・・」
水城涼真は自分が信頼している登山仲間について考えていた。若宮朱莉の目的は父親の登山計画ノートの山を達成させることであって、自分や登山仲間の目的とは異なっているのだ。しかし、若宮朱莉の登山技術を向上させるには登山仲間の協力が必要不可欠である。事情を話せば協力してもらえるとは思うが信頼関係は構築しておかなければならない。それについて若宮朱莉がどう考えているのかハッキリさせておく必要がある。
水城涼真「あんな、俺には信頼できる男性二人の登山仲間がいるやけど、これから朱莉ちゃんに登山のことを教えていくには、俺一人では無理なこともあるんよ。だからその登山仲間にも協力してもらわなあかんねん。でも、それには問題があるんよな」
若宮朱莉「どのような問題ですか?」
水城涼真「朱莉ちゃんの最終目的は、お父さんの登山計画ノートに書かれた山を制覇することが目的やと思うけど、俺らには最終目的なんてあれへんというか永遠に非日常を求め続けるんやろうなって思うんよ。それについてどう思う?」
若宮朱莉「あの、父の登山計画ノートの山を制覇することが最終目的ではありません。ただ、登山や非日常の体験というものがわかっていませんので曖昧な発言になってしまいますが、わたしは父や涼真さんのように非日常を求め続けていくような生き方をしていきたいと思っています。その覚悟で引越ししてきました」
水城涼真「わかったけど、それやとどうすればええんやろ・・・」
その瞬間、若宮朱莉は目を輝かせながら「そういうことであれば」と呟いた。水城涼真は「ん?」と不思議そうな表情をした。
若宮朱莉「涼真さん、わたしを登山仲間に入れてください!」
突然大声でこの発言した若宮朱莉に対して水城涼真は驚いた。まさかこういう話の展開になるとは予想していなかったのだ。ただし、これに関しては独自で判断できず登山仲間である二人の意見も必要になってくるのだ。
水城涼真「それは俺だけの判断で決めれないから、とりあえず他の二人の意見を聞いてからになるよ」
若宮朱莉「それもそうですね。わかりました」
水城涼真「最後に聞いておきたいんやけど、最近登山に詳しい若い女性が増えてきてネットで山行記録動画とか配信してるけど、俺らと一緒に登山をするなら、そういう女性より詳しくならんとあかんし、辛い訓練もしていく。もちろん朱莉ちゃんを女性扱いせんこともあるけど、そういう覚悟もあるってことやな?」
若宮朱莉「もちろんあります!非日常を体験するための訓練だと思えば苦にならないと思いますし・・・」
水城涼真「それやったら、早速やけど一緒に山に行ってみよか。まずは登山装備を揃えなあかんけどな」
若宮朱莉「ありがとうございます!是非、連れていってください!!」
若宮朱莉は喜びながら少し冷めた紅茶を一口飲むと一つの疑問が湧いてきた。
若宮朱莉「涼真さん、一つだけわからないことがあるのですがいいでしょうか?」
水城涼真「わからないこと?」
若宮朱莉「父には大阪で登山仲間がいたと思いますか?」
水城涼真「登山仲間だったかどうかはわからんけど、一緒に山へ行った人なら居たと思うわ。登山計画ノートに書かれてた山の中には、とても単独でいけないところもあったし、特に沢登りなんて単独でするもんやないし」
若宮朱莉「なるほどです・・・」
水城涼真「ところで、俺らの登山仲間になるんやったらもう少しフレンドリーに話してほしい。岩湧山でも言ったけど山での遠慮や気遣いはあかんからな」
若宮朱莉「そうでしたね。じゃあ、遠慮なくわがままも言っちゃいます!」
そんな話をしながら二人とも笑顔になっていると、外から階段を駆け上がってくる足音が聴こえてきた。そして部屋のドアがノックされると、水城涼真は「はい」と言って急いで玄関へ向かった。するとドアを開けると妹の志帆が立っていた。
水城涼真「なんやお前か。どないしたん?」
水城志帆「そんな言い方ないやろ。夕ご飯は何がええか聞きにきたんよ・・・って、お客さんがきてるん?」
水城涼真「ああ、今日から103号室に入居する本条さんが来てるんや。お前も挨拶しとけ!」
水城志帆「そうやったな。じゃあちょっと部屋に上がるわな」
そういって水城志帆はドアを閉めて部屋に入ると「ええーーーーーーっ!」と大きな声で叫んだ。
水城涼真「朱莉ちゃん、紹介しとくわな。こいつは妹の志帆、今年で20歳になるやんけど、美容師を目指して専門学校に通ってるんよ」
若宮朱莉「志帆さん、はじめまして!今日から103号室に入居する本条明里です。今後ともよろしくお願いします」
水城志帆「えっと、若宮朱莉さんですよね?・・・ああーーーたしか本条明里ってのが本名やったわ」
水城涼真「しーっ!声が大きいねん。そこまで騒ぐことでもないやろ」
水城志帆「だって、あかりんが目の前におるんやで・・・サインでももらおうかな!?」
水城涼真「アホか!お前どんだけミーハーやねん。そういう特別扱いはしたらあかん」
若宮朱莉「志帆ちゃんってお呼びしてもいいですか?涼真さんの妹にしては美人系でしたので驚きました」
水城志帆「是非そう呼んでください。わたしはあかりんと呼んでもいいですか?」
若宮朱莉「はい。じゃあ志帆ちゃん、これからはわたしと仲良くしてくださいね」
水城涼真「志帆は一部の男性から人気はあるみたいやけど、俺には全く理解できんのよ」
水城志帆「お兄ぃには一生わからんと思うわ。それより夕食の買い物行くんやけど、今夜はあかりんも一緒にここで食べへん?」
若宮朱莉「ちょうど、夕食をどうしようか迷っていましたので助かります」
水城志帆「あかりんのウェルカムパーティーってことで、今日の夕食は奮発してすき焼きにするわ」
水城涼真「ウェルカムパーティーはええけど、その会場がなんで俺の部屋になってるねん」
水城志帆「細かい事をごちゃごちゃ気にするな。じゃあ買い物行ってくるわな」
そういって即座に妹の志帆は近所のスーパーへ買い物に出かけた。
若宮朱莉「わたし、志帆ちゃんの明るい性格は大好きですよ。お友だちになれそうな気がします」
水城涼真「それならよかったけど、俺と志帆は全く逆の性格やからな・・・」
若宮朱莉「それもすぐに気づきましたよ。でも、逆だからこそ上手くいっているんだと思います。
水城涼真「まあ、志帆はずっと俺の夕食を作ってくれてたから料理は得意やと思う」
若宮朱莉「わたし、すき焼きは大好きなのですが、こうやってみんなで鍋をつついて食べるのは子供の頃以来なのでとても楽しみです」
その後、妹の志帆が買い物を終えて戻ってくると、さっさと準備をはじめた。そして志帆が作ったすき焼き鍋を部屋にある小さなテーブルの上に置くと、三人で囲んですき焼きを食べていた。若宮朱莉は童心に戻ったかのように目を輝かせながら「とても美味しくて、なんだ懐かしいです」と呟いた。水城涼真がビールの缶を開けると、若宮朱莉も「わたしもビール頂いてもいいですか?」と言った。妹の志帆がビールを出して若宮朱莉に差し出すと「ビールは最高ですね」といいながらゴクゴクと飲んでいた。
水城涼真「朱莉ちゃん、ビール好きなんやったら今後苦労するで」
若宮朱莉「苦労ですか?」
水城涼真「テント泊するとき、俺らは分担してビールを大量に持っていくんやけど、当然荷物は重くなる」
若宮朱莉「山でそんなに飲まれるのですか?」
水城涼真「俺らは酒がないと山に登らないんやけど、まあこれは後で詳しく説明するわ」
若宮朱莉「山でビールを飲むなんて最高じゃないですかって、わたしのビール好きがバレちゃいましたね・・・」
そんな話をしながらこの日は終わったのだが、若宮朱莉を登山仲間に入れるという課題はまだ残っているのだ。どちらにしてもまずは装備を揃えるところからはじめなければならない。




