厳冬期トラバースが命がけの稲村ヶ岳
1月15日午前10時20分・・・
今週末、若宮朱莉はCMの出演とバラエティー番組の収録で東京に行かなければならなかった。その振替休日として18日から19日の午前中まで仕事はオフになったとのことだったので、水城涼真と若宮朱莉は18日に大峰山脈の稲村ヶ岳へいく予定を立てていた。偶然も樫田裕は20日の土曜日に特別出勤しなければならなくなり、その振替休日を18日としてもらえたとのことで3人で行くことが決まっていた。水城涼真は18日の天川村付近の天気と現在の積雪量を調べていると、突然スマホの着信音が鳴った。すぐさま電話に出てみるとアウトドアウォーカーの雑誌編集部の片瀬彩羽からだった。
片瀬彩羽「水城さん、あけましておめでとうございます」
水城涼真「あけましておめでとうございます」
片瀬彩羽「今少しお時間よろしいでしょうか?」
水城涼真「はい、大丈夫ですよ」
片瀬彩羽「実はアウトドアウォーカー3月号に雪夜景と雪山ナイトハイク特集の掲載を考えておりまして、水城さんには取材も兼ねて執筆をお願いしたいのです」
水城涼真「雪夜景ですか。もう金剛山での雪夜景は何度も掲載していますので、別の山にしたほうがよさそうですですね」
片瀬彩羽「そうなんですよ。ですので今回は金剛山以外の山でお願いしたいのです」
水城涼真「うーん、そうですね。一つだけ思い当たる山がありますが、うちから遠いんですよね」
片瀬彩羽「それはどこの山ですか?」
水城涼真「山梨県富士吉田市にある杓子山です。月が出ていることが条件になりますが、あそこなら富士山も撮影できますし、ちょうどいいと思います」
片瀬彩羽「雪夜景で富士山まで撮影できるシチュエーションはバッチリですね。よろしければ雑誌の表紙にさせていただくかもしれません」
水城涼真「ただ、納期はいつなんですが?」
片瀬彩羽「ギリギリなんですが2月9日までにお願いしたいと思っております」
水城涼真「月の出が2月上旬ですので本当にギリギリですね」
片瀬彩羽「もちろん、交通費や宿泊費はこちらがお支払いしますのでよろしくお願いします」
水城涼真「わかりました。なんとかやってみます」
片瀬彩羽との電話を切った後、水城涼真は山梨県富士吉田市の月の出の情報を調べていた。月明りがないと富士山や山頂の様子が上手く撮影できないのだ。天気はまだわからないが月の出を考えると2月4日が一番適していたので、その前後の日で予定を調整していた。
午後22時10分・・・
水城涼真はシャワーを浴びて缶ビールを片手にテーブルでまったりしていると部屋のチャイムがなった。水城涼真は「朱莉ちゃん、入って!」と少し大きな声で言った。今日の昼間にSNSのメッセージで夜に部屋へ来てほしいと呼んでいたのだ。玄関のドアが開くと若宮朱莉が「お邪魔します」と言って部屋に入ってきた。
水城涼真「朱莉ちゃん、2月3日と4日は空いてる?」
若宮朱莉「空いていますよ。ただ5日の夕方から大阪で仕事です」
水城涼真「雑誌の取材で4日に山梨県にある杓子山っていう山に雪山ナイトハイクしないといけないんやけど、朱莉ちゃん一緒に来る?」
若宮朱莉「雪山ナイトハイク・・・ぜひご一緒したいです!」
水城涼真「今回は新幹線やなくて車で移動するから、結構しんどいかもしれんけど大丈夫?」
若宮朱莉「車の長距離移動には慣れていますので大丈夫ですよ!それより、涼真さんのほうこそ運転でお疲れになりませんか?」
水城涼真「俺も慣れてるから大丈夫や!それと、せっかくやからバックカントリーの練習としてスキー場に行こうと思ってるんよ」
若宮朱莉「なるほど。いよいよスキーの練習ですね!もちろんついて行きますよ!!」
水城涼真「あとな、せっかく首都圏に行くんやから天音さんもどうかなって思ってるんやけど、ちょっと誘ってみてくれへん?」
若宮朱莉「わかりました。部屋に戻ったら聞いてみますね」
そんな話をして若宮朱莉は急いで103号室へ戻っていった。
午後22時45分・・・
若宮朱莉は部屋に戻ると早速SNSの通話ボタンを押して天音琴美を呼び出した。すると2コールほどで天音琴美が通話に出た。
若宮朱莉「こんな夜遅くにごめんなさい。天音さん、今大丈夫ですか?」
天音琴美「今、ぼーっとしてただけだから大丈夫よ。どうしたの?」
若宮朱莉「来月の2月4日なのですが、涼真さんと一緒に山梨県の杓子山へ雪山ナイトハイクの予定していまして、天音さんもご一緒にどうかなあって思ってお誘いしてみました」
天音琴美「雪山ナイトハイクって、またあたしには考えられない登山をするのね!?杓子山はまだ登ったことがないからご一緒したいけど、予定を確認するからちょっと待ってね」
若宮朱莉「はい」
天音琴美「えっと2月4日から5日の13時までオフだから大丈夫そう。じゃあマネージャーに内緒でご一緒させていただくね」
若宮朱莉「予定が空いていてよかったです!涼真さんにもそのようにお伝えしておきますね」
天音琴美「ところで大阪から車でこっちに来るの?」
若宮朱莉「その予定です」
天音琴美「涼真さんってタフなんだね。あっそうだ!前日の2月3日って土曜日だからラジオの生放送があるんだけど、よかったら朱莉ちゃん、ゲストで出演してみない?」
若宮朱莉「ああー天音さんのラジオって土曜日でしたね。でもそれだと前日に東京入りするってことになりますよね?」
天音琴美「うん。最近ゲストの方をお呼びしてないし、山ガールトークをするってことならオッケーでると思う。そうなれば交通費やホテル代も出るし、次の日はあたしが車を出してみんなで杓子山に行くのはどうかな?」
若宮朱莉「ラジオのゲスト出演はこちらからお願いしたいくらいですが、実は杓子山に登る前にバックカントリースキーの練習としてスキー場に行くことになっています」
天音琴美「それならそのスキーもご一緒させていただくよ。あたしバックカントリーはめちゃくちゃしてみたいの!」
若宮朱莉「天音さんってスキーできるんですか?」
天音琴美「できるよ。数年前なんだけど転倒して骨折しちゃった時はお仕事で迷惑をかけてしまったの。それからもときどきスキー場に行ったりしてるよ」
若宮朱莉「そんなことがあったんですね!?じゃあ涼真さんにお願いしてバックカントリーもご一緒します?」
天音琴美「是非ご一緒したい!!あらかじめ予定を教えてもらえればその日は空けておくけど、どこの山に登るか決まってるの?」
若宮朱莉「先の話になりますが、5月下旬に白山か6月初旬に白馬の大雪渓とお聞きしています」
天音琴美「白馬の大雪渓ってあそこを滑走するの!?あたし、夏に登ったけどかなり長い工程だったよ」
若宮朱莉「涼真さんも長い工程だとおっしゃっていましたが『白馬の大雪渓は滑走してこそなんぼや』とか言ってました」
天音琴美「うふふ・・・やっぱりいい意味で変な人ね。バックカントリーもご一緒したいって涼真さんに伝えておいて!」
若宮朱莉「では、ラジオ出演のことはわたしのほうもマネージャーに話しておきますし、諸々涼真さんにもお伝えしておきます」
天音琴美「あたしのほうも早速明日にでもラジオのプロデューサーに伝えておくね!」
この次の日、2月3日に天音琴美のラジオに若宮朱莉がゲスト出演することが決まった。そして、水城涼真と若宮朱莉は新幹線で移動することも決まった。
1月18日午前4時50分・・・
辺りはまだ真っ暗だったが、アパートの入口には水城涼真と若宮朱莉が合流していた。今日はザックにピッケルとワカンを装着して、横ポケットにはストックを設置していた。そのまま駐車場へ行くと既に樫田裕が車が停めていて「おはようございます」と言った。お互いに挨拶をすると車を入れ替えて、水城涼真のトランクに荷物を積み込むと若宮朱莉が助手席、樫田裕が後部座席に座ると車を走らせた。
樫田裕「今日はホンマに気合入れて行かんとヤバいですよね」
水城涼真「まあ雪壁のトラバースがひたすら続くからな」
若宮朱莉「そんなに危ないところを歩いていくんですか?」
樫田裕「急斜面で足の踏み場がほとんどないところを歩いていかなあかんのよ。滑落したら運がよくて大けがかな」
若宮朱莉「そんなところをずっと歩くのは怖いですね」
水城涼真「でも、正規ルートはうっとおしいから、現地に着いたらちょっと考えようと思ってることがあるんやけどな」
樫田裕「ところで、いつものコンビニ立ち寄りますよね?僕、今日は何も買ってないんです」
水城涼真「俺もなんも買ってないからいつものコンビニに立ち寄るよ。あそこ、距離的にもちょうど真ん中あたりやからな」
それから1時間程車を走らせると大峰に行くときのいつものコンビニに到着したので3人は車から降りて店の中へと入っていた。さすがに時間が早かったこともありいつもの店員さんと呼んでいる彩葉ちゃんは店にいなかった。今日は3人とも大きめのカップラーメンと行動食となる饅頭、大きめの水を購入した。水城涼真は缶コーヒーを飲んでまったり休憩しながら気温を確かめてみると氷点下1℃となっていた。予想だと山頂付近では氷点下7℃くらいだろうと予想していると、他の二人が車に戻ってきたので車を発進させて天川村へ向かった。
午前7時10分・・・母公堂(標高899m)
洞川温泉エリアを抜けると道路は除雪されておらず、そのまま進んだ先にある母公堂に到着した。天気は文句のない快晴。ちなみに今日登る稲村ヶ岳は大峰山脈の北部にある山上ヶ岳の南西に位置しており、女人禁制の山上ヶ岳に対して女人大峯と呼ばれている。母公堂のパーキングに車を駐車して入口のポストに登山届を入れると3人ともトイレを済ませた。そしてとハードシェルジャケットを着こんで登山準備を整えると「よろしくお願いします」と挨拶を交わして入山した。この時点で積雪量は50cm程あったが雪は締まっており歩きやすかったが、平日ということもあってトレースはなかった。樹林帯の中を登っていくと途中で橋が架かっており、この橋を渡った先からトラバースの歩きになった。このトラバースは道が広く特に危険ということもなくスムーズに歩いていくことができた。
午前7時50分・・・法力峠(標高1217m)
トラバース道をひたすら歩いていき、母公堂から40分程で道が左にカーブしていてその先を歩いたところで法力峠に到着した。
水城涼真「ここで20分の休憩にしよう」
樫田裕「20分も休憩しはるんですか?」
水城涼真「ちょっとここで考えたいことがあるんよ」
若宮朱莉「ずっとこんな感じの道が続くのですか?」
樫田裕「いや、ここから足の踏み場が少ししかなくなってきて、急斜面のトラバースがはじまるんよ」
若宮朱莉「問題はここからなんですね」
水城涼真は地面の雪を少し掘り起こしたり、ピッケルで斜面を突いてみたりしながら雪質を確認していた。雪は締まっていて壺足でも歩けるレベルだが、この先でどうなっているのかわからない。積雪量もさっきと比べて増えているのもあきらかだった。
若宮朱莉「涼真さん、難しい顔をしていますが何か考えているんですか?」
水城涼真「いや、このまま正規ルートを進んでいくとタイムアウトになるんとちゃうかって思ってな」
樫田裕「たしかにこれほど雪が締まってますから、この先でトラバースに苦労しそうですね」
水城涼真「それに俺は二度と積雪期に正規ルートを歩きたくないって思ってるからな・・・よし、決めた!」
樫田裕「どないするんですか?」
水城涼真「みんなワカンを装着して!この先から稲村小屋まで尾根を登って行くことにしたわ」
樫田裕「あっ!白倉山のほうへ登っていくんですね」
水城涼真「そう、余計な登りはあるけど、そっちのほうが早いと思うわ。朱莉ちゃん、地図を見たらわかると思うけど、この少し先の尾根を登って行くんよ」
若宮朱莉「えっと、今は法力峠で、その先のこの尾根ですね!?ここからずっと尾根を登って行くと山上辻まで行けますね!」
水城涼真「最初はちょっと急登になるけど、途中から楽になるから尾根伝いのルートにしよ」
そうして3人はワカンを装着して出発した。法力峠から少し歩いた場所に稲村ヶ岳の登山記念碑の木柱が立てられているところから、植林地帯の尾根を登りはじめた。さすがにここは日陰になっているせいか、雪が少し緩んでいるため壺足だと足がハマりそうだったが、そういう意味でもワカンを装着して正解だったと言える。急斜面をスローペースでひたすら登り続ける3人はさすがに少し息が切れてきた。ところが30分程登っていると斜面はおだやかになってきて、ペースも少し早くなった。
午前8時55分・・・白倉山(標高1470m)
斜面がおだやかになってしばらく登っているとピークが見えた。そしてそのピークに登り詰めると木に白倉山(標高1470m)という木のプレートが掲げられていた。ちなみにこの時点で積雪量は80cm以上あった。
水城涼真「ちょっと疲れたからここでも20分ほど休憩しよか」
樫田裕「そうですね。前半の登りは結構キツかったですわ」
若宮朱莉「わたしも少し疲れちゃいました。この先で正規ルートと合流できるみたいですが、山上辻まで尾根道ですよね?」
水城涼真「うん。正規ルートもこの辺から山上辻までが結構うっとおしいところ多いからな」
若宮朱莉「それにしても青空でどこも雪景色になっていてとても綺麗です!」
樫田裕「この調子なら稲村ヶ岳に登頂できそうですね」
水城涼真「問題は大日キレットがどうなってるかやな」
それぞれ行動食を食べたり水を飲んだりしながら休憩をしていたが、すぐに休憩時間が終わって出発することになった。ここからは下りになったのだがコル部に到着して、正規ルートを見てみると登山道の痕跡すらないただの急斜面になっていた。本来ならこの斜面をトラバースしていくのだが、3人はそのまま右側の尾根を登っていった。ここで少し無駄な標高を登って行くことになるんだが、正規ルートでトラバースしていくことを考えるとまだマシだと考えた。少し急登があったものの、3人はなんとかピークの手前まで登っていった。ここには2つのピークがあるのだが、地図を確認しながらそのピークを巻いて南西側の尾根を下り、最後は南側の尾根を下っていった。
午前9時50分・・・稲村小屋(山上辻)
尾根を下りきると山上辻の分岐点に出てその先の赤い屋根の稲村小屋に到着した。この時点で積雪量は1mを超えており、さすがに雪も少し緩んでいる感じであった。
水城涼真「ここで30分休憩しとこか。ちょっと考えたいこともあるしな」
若宮朱莉「考えたいことですか?」
樫田裕「朱莉ちゃん、問題はここからで、この先の大日キレットのトラバースが危険なんよ」
若宮朱莉「ここまで来たら、わたしどんなところでもがんばって行くよ!」
水城涼真「その意気込みはええんやけど、今回は本気でヤバいところやからなあ」
若宮朱莉「それでも覚悟はできています!」
水城涼真「まあ、現地で雪質を確認してから決めよか」
若宮朱莉「それにしても、周辺の木はもう霧氷というより、なんか雪の植物が生えてるみたいです。青空と雪景色ってとても美して素晴らしいですね!」
樫田裕「そこにちょうどいい木があるから、スマホで撮影してあげよか?」
若宮朱莉「あっいいですね~お願いします!」
樫田裕はスマホで雪に覆われた木の前に立っている若宮朱莉を何枚か撮影した。そんな時間を過ごしていると休憩時間が終わりに近づいてきた。すると水城涼真が「みんな、ここからはワカンを外しとこか。ワカンがあると足引っ掛けたりするからな」と言うと3人ともワカンを外して出発した。そして20分程登っていくと大日山の直下、大日キレットに到着した。ここで水城涼真が雪質をチェックしてみると、結構雪は緩んでいて膝下まで雪にハマる状態であった。そこで水城涼真が「みんなストックは片付けてピッケルを出して!」と言うとみんなピッケルを準備した。そして、大日キレットから少し進んで右に曲がると40度を超える斜面が現れた。もちろんトレースなどなく、これからその斜面をトラバースしていかなければならない。距離的には100m程と短いが、気を緩めて滑落するとほぼ命はないだろう。
若宮朱莉「ここを横切って向こう側に渡らないといけないってことですか?」
水城涼真「そういうことやで」
若宮朱莉「これはさすがに怖いです!転倒しちゃったら完全にアウトですよね?」
樫田裕「まあそうやね。でも注意しながら歩いていったら意外と行けるんよ」
水城涼真「まずは俺が最初に行くから、その踏み跡を辿ってくればええ。あとピッケルをしっかり刺して踏み跡でもしっかり一歩ずつ踏み込んでいくことやな。毎回ピッケルを刺したらグラグラしてないか確認することも忘れたらあかん。ピッケルがグラグラしてたら、別のところに刺し直すようにしてな。じゃあ行くわな!」
樫田裕「じゃあ僕は一番最後に行きますわ!」
水城涼真はピッケルを雪に刺してグラつきを確認すると、雪に足を踏み込んで一歩ずつ進んでいった。さすがの水城涼真もここは慎重になって進んでいったため、トラバースに5分程度の時間を要した。続いて若宮朱莉のトラバースがはじまった。既に水城涼真の踏み跡があったため、足の置き場には困らなかったが、ピッケルが上手く刺さらないところがあったりして途中で怯えてきた。水城涼真は大きな声で「斜面を見んようにして、落ち着いてゆっくり進んできたからええから!」とアドバイスをした。若宮朱莉は「はーい」と返事をして慎重に進んでいき、なんとかトラバース地帯を通過した。最後に樫田裕が「踏み跡があるんで結構楽ですわ」と言ってスイスイとトラバース地帯を通過した。その先にもトラバース地帯があったのだが、そこは斜面がおだやかなのでスムーズにクリアできた。
午前11時10分・・・稲村ヶ岳(標高1726m)
危険地帯を通過して山を登っていくと赤い鉄柵の展望台が見えた。展望台の階段を上がると稲村ヶ岳(標高1726m)の山頂に到着した。この日、展望台からは雪をかぶった山上ヶ岳や大普賢岳、弥山や八経ヶ岳などの素晴らしい大峯の山々を望むことができた。そしてその周りの樹林は完全に雪に覆われていてとても美しい雪景色と化していた。
樫田裕「なんとか山頂まで登ってこれましたね」
若宮朱莉「美しい雪景色の中、真っ白になった大峰の山々が望めるなんて最高ですね!わたし、やっぱり山が大好きです!!」
水城涼真「朱莉ちゃん、大日キレットのトラバースはよーがんばったわ。あれこそ命がけやからな」
若宮朱莉「実はあの後、ずっと冷や汗がでていました。それに、涼真さんが命がけで登山をしていると言っていた本当の意味がわかったと思います。あんなの本当の命がけじゃないですか!?」
水城涼真「ホンマのこと言うたら正直どうしよか迷ってたんよ。朱莉ちゃんにはこの前一回だけピッケルの使い方を教えただけやし、いくら覚悟があるいうても、さすがに今回はキツイと思ってたからな」
若宮朱莉「でも、今日のことで本気で覚悟しました。わたし、今後とも涼真さん達についていきます!」
水城涼真「そっか。朱莉ちゃんがそう言うなら、今後はもう少しレベルの高いとこに連れて行くわ」
樫田裕「ところで飯はどないします?」
水城涼真「大日キレットがうっとおしいから稲村小屋まで戻って食べよか」
若宮朱莉「またあそこを通るんですか?」
水城涼真「帰りはかなり楽に通過できるよ。油断はしたらあかんけどな」
若宮朱莉「そうなんですね。えっと、山頂で記念撮影だけしておきますね」
若宮朱莉は樫田裕にスマホを渡して、山頂看板の前に立つと樫田裕がシャッターボタンを押して記念撮影をした。それから3人は下山を開始したのだが、問題の大日キレットのトラバースは水城涼真が言ったように、踏み跡がしっかりついていたので楽に通過できた。
午前11時55分・・・稲村小屋
稲村小屋まで下山してくると3人はザックを置いてガスバーナーを出してお湯を沸かしはじめた。ところが水城涼真の座っている場所ではなかなか火がつかなかったので、少し離れた木陰に移動してお湯を沸かしはじめた。樫田裕はラーメンを食べながら若宮朱莉に話しかけた。
樫田裕「朱莉ちゃんって売れっ子のタレントで芸能人やけど、それは別として涼真さんのことどう思ってるん?」
若宮朱莉「どうって?」
樫田裕「涼真さんに対して何の気持ちもないん?」
若宮朱莉「うーん・・・涼真さんはわたしのお父さんみたいな存在で、とても大切な人って感じかも」
樫田裕「それってなんか気持ちを抑えてるというか、そう自分に言い聞かせてるようにしか聞こえへんのよ。朱莉ちゃんの涼真さんに対する態度みてたらそれ以上の感情があるように見えるで」
若宮朱莉「たしかに樫田君の言う通りかもしれない。でも、正直なところ自分の気持ちがよくわからないの」
樫田裕「涼真さんが朱莉ちゃんと離れることになったらどう?」
若宮朱莉「それは絶対に嫌!」
樫田裕「朱莉ちゃんは涼真さんに対して恋愛以上の感情を持ってるんとちゃうかなって思うわ」
若宮朱莉「正直に言うと自分でもそうだと感じてる・・・でもこの話、涼真さんには内緒でお願いね」
樫田裕「わかってる。涼真さん、あー見えてこういうこと奥手やからね。でも、涼真さんの気持ちもまんざらやないと思うよ」
若宮朱莉「そうかもしれないけど、今はこのままの状態がいいから」
そんな話をしていると水城涼真がやってきて「何の密会が行われてるん?」と言った。それに対して樫田裕が「ただ朱莉ちゃんに芸能界のことを聞いてただけですわ」と答えた。みんな昼食を終えて後片付けをした後、下山の準備をはじめた。
水城涼真「これやと早く下れそうやから、帰りに温泉に行って美味しいお好み焼き屋に行こか」
若宮朱莉「温泉にお好み焼きですか!?体も冷えてますし、ラーメンと行動食だけだったので行きましょう!」
樫田裕「下山も尾根道を使いますか?」
水城涼真「もちろん尾根道で下るよ。正規ルートは厄介やしな」
そうして3人は下山を開始した。尾根道はすっかりトレースが残っているのでスムーズに下山することができた。そして予定より少し早く法力峠に到着して10分程休憩をとると、再び下山をしていった。
午後14時40分・・・母公堂~帰宅
法力峠を過ぎて橋を渡った後、ひたすら樹林帯をくだっていくと道路に出て母公堂に到着した。3人はハードシェルジャケットを脱いで登山靴を履き替えると車のトランクに荷物を積み込んだ。そしてみんな車に乗ったところで車を発進させた。
国道309号線に入ってそのまま大阪方面へ車を走らせて40分程で日帰り温泉に到着した。みんな体を洗って10分程温泉に浸かってあがってきたので滞在時間は短かった。水城涼真と樫田裕はさっさと着替えてロビーで待っていると若宮朱莉が上がってきて「体が冷えていたせいか、お湯が熱かったです。でも体は温まりました」と言った。そして3人はさっさと車に乗って移動していった。
温泉施設から20分程車を走らせたところに食堂街があり、そこで車を駐車して食堂街に並んでいるお好み焼き屋に入った。平日なのかお客さんはいないが営業はしているようで、60歳くらいの女性が水を持ってきて「ご注文は決まっていますか?」と聞いてきた。
水城涼真「豚玉焼きをお願いします」
樫田裕「僕も豚玉焼きにします」
若宮朱莉「わたしは豚玉焼きと焼きそばをお願いします」
水城涼真「朱莉ちゃん、相変わらずよー食べるなあ」
若宮朱莉「だってもうお腹ペコペコなんです」
樫田裕「女の人ってよー食べる人多いですよ」
注文してから20分程でお好み焼きが運ばれてきた。鉄板の上にべっとりしたソースの上に大きめの鰹節がトッピングされており、さらにその上に黄身を崩して半熟にした玉子焼きがのせられているお好み焼きだった。ソースの香ばしい匂いがプンプンして食欲がそそられる。さらに若宮朱莉の鉄板にはお好み焼きの横に青のりがたっぷりのせられた焼きそばが置かれていた。
樫田裕「ここのお好み焼き、はじめて食べましたけどめちゃくちゃ美味いですやん!」
水城涼真「俺もはじめて食べた時にこれは美味いって思ったんよ」
若宮朱莉「わたし、東京ではあまりお好み焼きを食べる機会がありませんでしたが、これは本当に美味しいです!半熟の玉子焼きがたまりません!!」
3人は美味しい美味しいと連呼しながらお好み焼きをたいらげた。若宮朱莉は食のペースが早く焼きそばもいっしょにたいらげていた。空腹が満たされた後、少しまったりして3人はお会計を済ませてお好み焼き屋を出ていくと、車に乗って帰宅していった。
今回、若宮朱莉は水城涼真がいつも言っている「命がけで登山をしている」という本当の意味を理解したと感じていたのである。




