第8話『酷いことするんでしょ!』
伊落彩葉は自他ともに認める美少女である。
黒めの青が混ざった暗葵色の双眼。冬の夜空のように透き通った色彩を持つ暗めの紫髪。未熟な部分はあれど完成された体つき。
少々童顔なのは気になるが、その他の部分は彩葉を美少女たらしめる素材となっていた。
モテる。それはそれはもうモテる。頭脳も明晰。運動はちょっぴり苦手。完璧じゃない分、どこか親近感を湧かせ、男の子の心をガッチリと掴んだ。
将来はイケメン彼氏と付き合い、そのままゴールイン。子供を二人ほど産んで幸せな老後を──。
彩葉にはその妄想を実現させられる顔と体と頭と性格を持っていた。──だがそれは現実世界での話。異世界となると話は違ってくる。
「──へ?」
彩葉が目を覚ました時。そこは馬車の中であった。
薄汚れた白い布の屋根。硬い木製の床。体が浮遊するほどの酷い揺れ。前方から聞こえてくる馬の鳴き声。
「……どこ。ここ」
困惑するに足り得る情報がダイレクトに直撃。情報処理が追いつかず固まっているハムスターのように、ゆっくりと頭の中を整理していく。
「名前は……伊落彩葉。十七歳。誕生日は五月十八日。身長百五十五センチで体重は四十五キロ。美容体重ピッタリ。……うん、覚えてる」
自身の情報を口で羅列。一つ一つ確認しながら現在の状況を確認に導く。
記憶喪失の線は消えた。ならば気絶していた時に何かが起きたと考えるのが自然か。
「最後の記憶が……確か──」
──思い出した。修学旅行で沖縄まで来ており、第二次世界大戦で使われていたとされる『ガマ』を見に行くところだった。
その道中にあるトンネルを出ようとした時、急に体が落下したのだ。
「私はたまたま生き残り。正義感のある人が私を助けてくれた……と」
幸運すぎる。人に見られるためにいい事をしてきた甲斐があった。この前の海岸掃除のボランティアがやっぱり効いたのかも。
「いやぁ、良かった良かった。神様はやっぱり見てるんだよね。可愛さに増長せず自分磨きをしてきた私へのご褒美かな──」
──この状況がご褒美だというのなら、彩葉は心底のドMである。
「──なわけあるかい!!」
手足は太い縄で拘束。布団どころか、敷くものすらない状態で寝転がされている。これが何をどう見て『助かった』と言えるのだ。
明らかに誘拐されている。見るからに捕まっている。もしかして人身売買?それとも売春宿で働かせられるのかも……。
「うわぁん! やだやだ! 私は日本一のカリスマ花魁じゃなくて、医者になって大谷翔平の専属ドクターになるんでぃ!」
わりと強い容姿への自信と、わりと汚い欲望をダダ漏れにさせながら、彩葉は外に向かって叫んだ。
「──あらやだ。起きたの?」
ちょっと高めのイケボ。後方から感じるイケメンオーラ。彩葉は嬉々として振り返る──。
「んふふ。やっぱり可愛い顔ね」
……自分のイケメンセンサーは信用できない。一つ学びを得ることができた。
オーク。二足歩行の豚の怪物。よく創作でも出てくるので知っている人も多いだろう。
茶色の肌に豚特有の平べったい鼻。人間よりも大きい体躯。想像するオークの姿をまんま映し出したかのようだった。
ただ一つ違う点としては──そのオークが女性であること。
「おはよう。お寝坊さん」
「……ひゃい」
オークは基本的にムキムキかデブっちょの二択である。今回の場合はムキムキタイプ。胸筋……というより胸の大きい『女傑』の名にふさわしい容姿をしている。
顔も鼻が豚みたいな点を除けば美人。男なら惚れる人だっているはずだ。
「あの……ここ、どこですか?」
「奴隷国『リリーシェ』へ続く道の途中ね。今はフランロードの中間地点くらいかしら」
「リリ……フラン……?」
聞いた事のない名前の国だ。地理は大得意。国連加盟国も国連未加盟国だって全部言える。
だから『リリーシェ』と呼ばれる国は存在しない。記憶にないのだから存在しない──はずなのだ。
目の前に座っているオーク……のような人。そして存在しない国。となるとここは──。
「──異世界、ってことなのかな」
彩葉は異世界モノの小説をよく見る子であった。小説の中のイケメンに恋をしたことだってある。
特にお気に入りなのは『フランベの悪夢』という作品に出てくる盗賊の『アジア』という男性。
褐色肌のアラビア系のイケメンであり、傲慢な性格に加えて可愛い物好きというギャップ。主人公の女の子をリードしてくれる強引さが彩葉は好きだった。
「……ん? 奴隷国?」
奴隷国。字面から見て物騒な国であるが……この馬車が向かっているのはそこ。
そして縛られた手足。もしかしてこの状況ってやばいかも。
「あの。もしかして私って──」
「気がつくのが遅いわよ。貴女はこれから『奴隷』になるのよ。ちなみに私は奴隷商人ミーナ。よろしくね」
「……うそぉん」
想像より遥かにヤバい状況。そんな状況に反して、彩葉の口から出たのは緊張感のない言葉であった。
奴隷は一九四八年の世界人権宣言にて禁止を言い渡されている。だから世界観的にはその前。
馬車とオークから推測するに、よくあるなろう系の中世ヨーロッパ世界観と見ることができる。
「うーん……現代基準で考えるのはよくないね」
まだ起きて時間が経っていない。本当にここが異世界だとすると、今の現代社会とは違う様相の可能性がある。ここは読み込んだ小説の設定を仮定として推測するとしよう。
読んだ小説に出てきた奴隷の扱いは、それはそれはもう酷かった。
雇い主からは日々イジメられ、動けなくなれば外へ放り出される。運が悪いと殺されることだってあった。
飯も臭いと不味いが揃った質素なもの。病気になれば放置。生きたまま土に埋められる描写も見たことがある。
「……やばい。やばい……やばい」
やばい。これは凄まじくやばい状況なのでは。もし奴隷にされたら……見た目がいいので、酷いことをされるに違いない。
なんでこんなことになったのだ。自分磨きのために必死に頑張ってきたのに。ボランティアとかいっぱいしてきたのに。
「悪いことなんて、お姉ちゃんのゼリー勝手に食べたことくらいだよぉ……しかもあれだって先にお姉ちゃんが私のプリンを食べたからだったんだし」
「──なぁにぶつくさ言ってるの?」
「ひっ!?」
眼前にまで迫った美人の顔に飛び跳ねる。手足が縛られているので高度はそんなに出なかった。
「か、考えごとです!」
「そう? 逃げようなんて考えちゃダメよ。逃げようとしたら……分かるわよね」
「ひゃい!」
奥に見える銀色の刃。でっかい剣だ。斬られたらひとたまりもない。
「あの……私、若いです! 十七歳です!」
「そんなに若いの。いいわねぇ、高値で売れるわ」
「えっと……将来があるんです! 医者になってイケメンを看病したいんです!」
「意外と欲望に忠実ね。……で、それがどうかしたの?」
「未来がある美少女を見逃してあげる……なんてのはいかがでしょう」
「見た目のわりに図太い精神してるわねアンタ」
ミーナは考えるポーズを見せる。
悩んでいる。悩むのは予想外だ。ノータイムで否定されると思っていた。
これはもしや──もしかしたら。なんてことがあるかも──。
「──ダメね。やっぱり私の明日の方が大切だわ」
ダメだった。変に期待させられたから落胆も大きい。
「そんなぁ……」
落ち込む彩葉。──それをミーナは艶っぽい目線で見ている。
「ふぅん……」
ミーナは傍に近寄り、彩葉の顔を眺めた。
「貴女……可愛い顔してるわね」
「え? ……あはは、よく言われ、ます」
「体つきも可愛いわ」
「発育がよくないのはコンプレックスですけど……」
「声も綺麗」
「……その」
怖い。なんか怖い。もしかして──このオークは性的な目で自分を見ているのか。
残念ながら彩葉にそっちのけはない。イケメン大好きな異性愛者である。
「……そうね。ちょっとくらいいいわよね」
「い、いいって……なにが、ですか……?」
「つまみ食い♡」
男性読者には分かりずらい絵面なので、簡単に例えるとしよう。
ガチムチのイケメンが自分を拘束して「今から君を犯す」と言っている。──この状況は寸分の狂いなくそれである。
「ちょ、ちょっと待ってください! わた、私は男の子好きな女の子で──」
「そう? 私は女の子好きな女の子よ。人間が特に好みね」
「ひゃぁ!? 待って! 待って! 話し合い! 話し合いをしましょう! ね!? ね!?」
ミーナの手は彩葉の胸や太ももに伸びていく。ゴツゴツとしてはいるが、女性の柔らかな指も感じられる。いや、確かに褐色肌のキャラは好きだが、それは男性の話。女性は対象外だ。
必死に抵抗するが、異世界人とは力の差がかなりあるらしく。拘束されてるのも相まって抵抗できない。
「お話? いいわよ──ただし、貴女が話すのは喘ぎ声だけよ!」
「ちょ! ちょ! エロくなりますから! 成人指定の小説になっちゃいますから!」
「いいじゃないの。オークがエロいこと大好きなのは有名でしょ?」
「よくないです! ほんとよくないです! ま、待って! ゆっくり話しましょ! お茶でも飲んで話しましょ! 私最初はお話から始めたいなって!」
絵面はまぁまぁギャグなのだが本人はかなり真剣。半泣きになりながら抵抗するも相手はノーダメージ。
淫売な手つきは激しくなり、彩葉のスカートにまで手をかけた。
「わーん! こ、こんなので純情は失いたくないよぉ! 誰か助けて──」
──瞬間、彩葉とミーナは極度の嫌悪感に襲われた。
「……へ?」
「──まさか」
あれだけ盛っていたミーナはすぐに馬車の前へ移動し、運転手の隣から前方を見つめる。
「くそっ、油断してた……このタイミングで出会うなんて……!!」
「で、出会う……?」
彩葉には何が何だか分からない。襲われなかった安堵感よりも、ついさっきの突然やってきた不快感の方が勝っていた。
不安な顔をする彩葉にミーナは告げる。
「──『ナイトメア』よ。最悪なエンカウントをしてしまったようね」