第3話『焔の少女』
強烈な暖気が顔に、体に、呼吸器に纏わりつく。急速に乾く眼球を守るため、無意識に目を強く閉じた。
同時に膨張する圧力に押しのけられ、後方の木に背中をぶつけてしまった。
「ぐぁ!?」
唯一装備していた小枝はへし折れてぶっ飛ぶ。これで素手。攻撃力はゼロ……場合によっては枝よりも上がったか。
乾ききった眼球を保護するために涙が流れる。流れた涙は視界を鈍らせ、前方の景色を壊れたカメラのように歪ませた。
流れる涙を拭きながら、さっきまでの怪物に目を送る──。
──なんと人狼は上半身が無くなっていたのだ。それも単純に斬れているのではなく、焼き切れている。
「……はは、訳わかんねぇ」
訳の分からないことには慣れてきた矢先の出来事。どうやらまだまだ修行が足らないらしい。
思考が停止していると、後ろから突然声をかけられた。
「──大丈夫ですか?」
それは──絹のように透き通った美しい声であった。
透明な川のような美しき紫髪。身に身に纏っているローブは絵本に出てくる『魔法使い』のような雰囲気を出している。
顔……顔がいい。顔面偏差値の暴力で殴られた気分だ。思わず見惚れてしまう。
「た、立てますか?」
手を前に差し出される。綺麗な手だ。傷一つない細い指。握ってしまえば無くなってしまいそうなほどか細くも可愛い手だった。
「……」
「……? お、おーい?」
「──はっ!?」
思考停止から抜け出せたようだ。目の前の美少女にドギマギしながらも、手を取らずに立ち上がる。
不破だって男の子。プライドはある。これ以上はダサいところを見せられない。
「助けてくれてありがとう。い、いつもならあんなの軽くやっつけてたんだけど、今日は調子が悪くてねぇ。はは」
「強がらなくてもいいんですよ」
「やだなぁ。強がってなんか……な、ないよ」
どもる不破に小首を傾げながら、少女は疑問を言葉にする。
「その……なんでこんな場所に?」
ごもっともな質問だ。だがそれを一番知りたいのは他でもない不破である。
「それが分からないんだよね。なんか気がついたらこんな場所に」
「気がついたらですか……」
少女は考えるような素振りを見せる。
……冷静になって考えてみると自分はすごく怪しいのではないか。森の中に大の男が一人。『気がついたらここにいた』と。
死体遺棄をしてた、人を殺してた、なんて思われてもおかしくない。
言葉をひり出して弁解をしようと考えるが──その前に少女が話した。
「転移魔法に巻き込まれたのかもしれませんね。自分がどこから来たか分かりますか?」
「どこから……和歌山ってとこから……」
「ワカヤマ……? 聞いたことの無い場所ですね」
またまた少女は頭を悩ませる。──不破はその時、少女が発した言葉に引っ掛かりを覚えていた。
なんか……『転移魔法』とか聞こえてきた気がする。もちろん現代日本において魔法などは存在しない。
冗談で言ったのか。いやいや、冗談を言う理由はない。ならばここは──。
それを確かめるために。不破は一つ質問をする。
「……その。ここってどこなの?」
少女は一旦考察を取り外し、口を開いた。
「──ここは『ペインウッド』。城砦国『アドラスバース』の領地です」
──見たことの無い生物。さっきの超常現象。そして聞いたことの無い名前の国。導き出される結論はただ一つ。
「──やっぱりここ異世界じゃねぇか!?」
「は、はい!?」
いきなりの大声に少女は体を震わせる。小動物のような動作をとった後、おそるおそる口を開いた。
「どうされました……?」
「い、いやこっちの話。その……とにかくこの森から出たいんだけど。怖いし」
「あぁそうですね。じゃあとりあえず私の村まで来てみますか?」
「──いいの!?」
願ってもない提案だ。人に、それも美少女に会ったとはいえ、森が怖いことに変わりはない。出られるならさっさと出ていきたい。
「あ、そうだ。自己紹介が遅れてましたね。私はマナ・ニャックスです」
「俺は袁尚不破。改めてありがとう。さっきは助けてくれて」
「いいんですよ。では不破さん。私の後ろに着いてきてください」
* * *
自分より小さい少女に守られる。情けない絵面であるが、マナは自分よりも圧倒的に強いらしい。
あんなに怖かった人狼を一瞬で焼き尽くすマナを見て、不破はそう思っていた。
「魔法……」
「はい。まだまだ練度は低いですけどね」
生物を消滅させる熱量を扱えるのに練度が低いとはこれ如何に。自分が喰らえば──なんて考えるだけで恐ろしくなってきた。
「でも待てよ……ここが異世界ってことは……使えるんじゃないか? 俺も魔法が」
手をかざして力を込める。イメージするのは燃え盛る炎。体の『気』を手に集め、それを放出するイメージを──。
「ファイア!!」
……何も起こらない。
「……アイス!!」
……またしても、何も起こらない。
「ウォーター!」
「サンダー!」
「えっと……そうだ、メラ!」
「メラゾーマ!」
「……何やってるんですか?」
ポーズをとり、叫ぶ不破を困惑した表情で見つめてくる。ゴミを見る目で見られなかっただけマシか。
「俺も魔法が使えたりしないかなって」
「うーん……」
不破の体を見つめる。上から下。右から左。前から後ろ。
こうも見られると恥ずかしい。
「──凄いですね」
「え!? まさか莫大な力を持ってるとか!?」
「逆です」
「……逆?」
「魔力が無いんですよ。全くない。ほんとに、欠片どころか、絞りカス程度もないんです」
「言い過ぎじゃない?」
さっきまで優しい言葉を使っていたのに、いきなり『絞りカス』なんて汚い言葉を使われて胸にダメージが来てしまった。
それは置いておいて。全くない、とはどういうことだ。
「生物って大小はあれど、ちょっとくらいは魔力があるはずなんですよ。しかし不破さんにはそれがない。逆にすごいことですよこれ……」
「……あ、魔力が多すぎて見えないとかは?」
「ないですね」
「そうだ! 魔力が全くないと身体能力が超絶高くなるとか?」
「ないですね。魔力がないと身体能力は上がりませんから」
「──んだよこの野郎!!」
奇声を発して地面に倒れ込む。
「せめてチートの一つや二つくらいくれたっていいだろ! なんでだよ! 魔法なんて男の夢じゃんか! 夢みたいな状況なんだから夢みたいなことさせてくれてもいいじゃんか!」
地面をバンバンとぶん殴る不破。言葉の意味は分かってないようだが、マナは不破に困惑しながら肩に手を置いて励ます。
「その……いい事ありますって!」
──肩に置かれた手から不破は強烈なエネルギーを感じた。
まるでカエルが蛇にが相対するかのような絶対的な戦力差。生涯をかけても埋まることのない力の差を肩に置かれた手から感じられたのだ。
この子は抑えてくれているようだが、その気になれば自分の腕を雑草のように引きちぎることができるだろう。
その気がないのは分かる。うん、分かるよ。分かる──だが本能的な恐怖には抗うことができない。
「……ひゅ」
「お、落ち着きました?」
「落ち着いた。すっごく落ち着きました。もう平穏です。多分目の前で人が死んでも落ち着いてます」
「? そ、それは焦った方がいいんじゃ……」
弱肉強食。自然の摂理には抗わず、従って流されるのが吉である。産まれて初めて不破はその事実に気がついたのだった。