第29話『クライマックス』
「が、崖……!?」
「なんっ、で──って、ここ川の上流じゃん!?」
近場の川に目を向ける。この川は『逆上流』と呼ばれており、本来なら下に向かって流れるはずの川だが、この川は逆に上流に向かって流れている。
マナからは「上流は滝が流れてて危険ですから行かないでくださいね」と忠告されていた。
あの時は「上流に向かって水が流れるわけないだろ」と三人でマナを笑っていたが、今になって後悔の念が出てくる。
だが今更だ。もうルシュフェルはすぐそこまでやってきている。これ以上は逃げられない。
「ここまでか……っ」
下までの高さは目測で七十メートル。ここまで来ると落ちた時の衝撃はコンクリートと同じくらい、というのをネットで見た記憶がある。
三人とも着水訓練など受けていない。正しいフォームで落下することはまず無理だ。
頭から落ちれば死。腹から落ちても死。脚から降りれば命は助かるかも。だが確実に降りれる保証はない。
「……っ!」
だがしかし。このまま止まっていてもルシュフェルに殺されるだけだ。そうなるくらいなら──。
「二人とも、俺に捕まれ」
不破の言葉に疑問を抱くこともなく二人は飛び乗る。
「伊落さん。降りた瞬間に崖に触って髪を伸ばしていって。着水する時の速度はできる限り抑えたい」
「了解。私じゃ二人を支えられないから、飛鷹君補助お願い」
「オーケー、任せろ」
不破の足先が崖際からはみ出る。
──高い。身体中の筋肉が引き締まる気分。心臓が大きく鳴り響き、呼吸器が圧迫される。
飲み込んだ唾液の音が脳に轟いた。この高さから降りる。なんて無茶なことをしようとしているのだ。
かつての自分なら考えもしない、やろうとも思わないことだ。本当ならやりたくなんてない。誰が好き好んで死の感覚を味わいたいと思うのか。
それでも──やる。やらなければ生存確率はゼロ。だが落ちればコンマ以下とはいえ、生きられる確率は上がる。
不破はしがみついている二人を強く抱き締める。恐怖を和らげるため。そして二人分の命を背負う、という覚悟を決めるために。
「すぅ──」
やることは木から降りるのと同じ。着地の瞬間に『瞬間移動』を使って威力を相殺しつつ、残った衝撃を上へと逃がすように足を蹴り上げる。
心配な点は『着地ではなく着水』ということと、『一度も成功していない』ということだけ。
──許容範囲内だ。追い詰められた時こそチャンス。幸運は自分で引き寄せるものだ。
「──信じてくれ」
「今さら」
「当たり前」
三人は互いを見ることもなく、同じように笑った。
* * *
ルシュフェルは産まれて初めての感情が湧いていた。それは──『名残惜しい』である。
この世の万物全てが自分の所有物。人であろうが動物であろうが、ルシュフェルにとっては単なる物でしかない。
だから例えどんな強者であっても、戦いを『楽しい』と思いこそするが、『もっと戦いたい』と思うことはなかった。
人間など物。無くなれば替えがある。だってこの世には腐るほどの人で溢れかえっているのだから。
だが──こいつらは違う。
子供以下のフィジカル。この世界に絶対としてあるはずの魔力もなし。戦闘経験すら見て分かるほどにない。
しかし三人はルシュフェル相手に時間稼ぎをした。本気ではなかったとはいえ、その仕事は達成している。
魔力を持った他の人間ならそれが出来ていたか。同じようなことができていたか。──答えは否。できるはずがない。
目の前で相対した三人はルシュフェルにとって産まれて初めての『替えの効かない人種』だったのだ。殺してしまえば二度と同じようなのが現れることはないだろう。
だからこそ。ルシュフェルは『名残惜しい』と感じたのだ。初めて──まだ殺したくない、と剣を振るうのに躊躇したのだ。
──それは三人にとって願ってもない幸運。寿命が一秒でも伸びたことは、三人の背中を押した。
「行く──ぞぉぉぉぉ!!」
「うわぁぁぁぁ!!」
「うぉぉぉぉ!!」
気合い一閃。不破は崖から飛び降りた。
その瞬間に彩葉が手を伸ばし、崖にタッチ。瞬時に髪束を生成し、崖壁から引き伸ばし、それを掴む。
──掴んだ髪束にさらに髪束を生成。
──またさらに髪束を生成。
落下しながら髪に髪を生やし続け、それをロープ替わりにして自由落下のスピードを極限まで減速させる。
だが彩葉の握力はよわよわ。高校男児二人と自分の重さを支えられるほどの力は備わっていない。
ならばと、飛鷹は彩葉の生成した髪束を掴んでいた。飛鷹でも二人と自分を支えるのは厳しいが、彩葉よりは力がある。もっと減速させられる。
「っ、ぐぅ!」
落下のスピードを減速させるために握り続ける。手の皮と髪束に摩擦熱が発生し、飛鷹の手のひらを炎のように焼き尽くした。
「だ、ぁぁぁ!!」
──それでも握り続ける。皮膚が裂けようとも、燃えるような痛みに襲われようとも、飛鷹は絶対に手を離さない。
その覚悟は不破が受け取った。二人なら減速させてくれると心の底から信じ、不破は真下のみを見続ける。
まさに全集中。思考は『一センチ以下のタイミングで瞬間移動する』ことのみに固定し、その他一切の思考を排除した。
落下時間は二秒を超えた。呼吸すら厳しいほどの空気を顔面に浴びながらも、不破は瞬き一つしない。
落下時間は三秒を超えた。着水距離は残り十メートルを切っている。
七メートル。六メートル。五メートル。冷たくなった血液が足先へと集中。神経は生体電気を総動員させて衝撃に備えさせた。
残り1メートル。残り三十センチ。まだ、まだ速い。
残り十五センチ。十センチ。これでもまだ速い。今はまだダメ。
残り五センチ。四センチ。あと少し。ほんの少し。
意識が消えるようなほどの一瞬。1フレームにすら満たないほどのタイミング。そのタイミングを見極めるため、不破は『ゾーン』のような状態に入っていた。
周りの景色はゆっくりになり、反対に自分の思考はクリアになる。僅か一センチのタイミングでしか成功しないこの神業を本番一発で成功させなければならないのだ。
残り三センチ。二センチ。そして──残り一センチ。
待望の瞬間。不破はその刹那を見極め──自身のスキル名を囁いた。
「──瞬間移動」
──成功。不破は一センチのみ真下へとテレポート。足の裏は一センチ少し満たないほど水の中へと移動する。
同じ物体は同時に二つ存在することはできない。故に瞬間移動で既に物体があるところに移動した場合──体は弾かれる。
不破としがみついていた二人の体は川から強く弾き出された。
落下と弾き出しの威力は互いを消し去る。だがゼロにはならない。まだ不破を殺せるだけの力は残っていた。
その残った力を──後ろへと脚を蹴り上げ、弾き出す。
体は海老反りのようになりながら回転。残ったエネルギーは蹴り上げると共に足先から外へと飛び出す。
しかし──全てを逃がすことはできなかったようだ。着地した両足から鈍い音がした。
「っっ、ぐ、ぁ──ぁ!!」
三人は二メートルほどジャンプしてから落水。流れに逆らう力も残ってない三人は、押し出されるままに水に流されていった。
* * *
──これまでの光景をルシュフェルは崖の上から眺めていた。
魔力もない体でこの高さから落下。しかし知恵とスキルを使用し、なんとか着水に成功している。
「……」
なんとも不格好。だが彼らは生身の体でやり遂げたのだ。
「……ふん」
最強の自分から三十分近く逃げおおせ、幾度とも死の危険に直面しながらも、最後までその使命を成し遂げた。
あれだけ煽られて。馬鹿にされて。侮辱されたのにも関わらず──ルシュフェルは三人に対して敬意のようなものを抱きかけていた。
──だからこそ、剣を構える。
このまま滝底に向かって大剣を振れば、川は真っ二つ。流れている三人程度なら軽く殺せる。
彼らにこの攻撃を避ける手立てなどない。必中必殺の攻撃となるはずだ。
三人の努力と。三人の覚悟に少しの敬意を評して。ルシュフェルは自らの大剣を振るった──。




