第25話『最強のさんにん』
「──我はここにいる」
──壊れたマナの前でルシュフェルは宣言する。
「天の上にも。地の底にも。誰にも侵害されず、誰にも干渉されず。唯一の我がここにいる」
「それだというのに。──なぜ貴様はこの我を見ない?」
マナは答えない。答えず父の亡骸を抱えている。
ルシュフェルはため息をつき、マナを蹴り飛ばした。
「答えないのか」
地に倒れて服が土で染まる。血で染まる。粘着力を持った血が腹部に土を纏わせる。
今のマナに抵抗する気力も気概もなく。死んだ目のまま倒れ伏す。
「我の問いにも答えず。我に復讐する行動すら起こさず。──傲慢め。そして怠惰め。なんたる悪逆の大罪人よ」
「私の獲物なんですから殺さないでくださいよ──」
ルシュフェルの黒い眼光がアローラを睨みつける。
あれだけ飄々としていたアローラもルシュフェルの殺意には敵わないようで。怒られた子猫のように後ろへ下がった。
マナは──泣いていた。悔しさも。悲しさも。もはや許容できる値を超えていたからだ。
父親の死体を抱き締めながら泣く。子供のように泣く。……いや、その姿はまさに子供そのものであった。
だがルシュフェルは子供に容赦するような男ではなかった。
「罪には罰を。貴様はこの我が直々に裁きを与えよう」
ルシュフェルが大剣を振り上げる。その姿はさながら処刑人。ならば振り上げられた大剣はエクセキューショナーズソードとも言えよう。
紅天に掲げられた大剣は静かに下ろされる。哀れな少女の、非道なる大罪人の首を断つために──。
* * *
決して止めることはない大剣。止められるはずがなかった。
──大剣はマナの首筋に通る寸手。薄皮一枚を切り裂き停止していた。
刃が通らなかったのではない。大剣の所有者が意図的に止めたのである。止めた理由は──その顔にこそあった。
生卵だった。ルシュフェルの不精な顔に新鮮な生卵がへばりついていたのだ。
この村に鶏はいる。異世界というのもあってか、まさかの空を飛ぶ鶏だ。上を飛んでいる鶏が産み落としたのか──いいや違う。
空に鳥はおらず。卵は真横から付着している。上から降ったにしては付着部分がおかしい。
じゃあなぜ卵が付着しているのか。──そんな理由は言わなくても分かるだろう。誰かがルシュフェルに卵を投げつけたのだ。
誰が──それも言わなくても分かることだろう。
「──命中!」
「ナイススロー!」
「百点! これはボーナスステージに突入ですな!」
──見慣れた風貌。ドロドロでボロボロの体。倒れていてもおかしくない瀕死の体で少年少女は立っていた。
「──」
ルシュフェルの暗い瞳がギョロりと三人を──不破、飛鷹、彩葉を視野に収める。
卵を頭にぶつける。イタズラにしても少々やりすぎだ。ましてや相手は度が過ぎるエゴイスト。人類史に残るほどの傍若無人な人間である。
そんな男の顔に卵をぶつける。後にするであろう行動は軽く予想がついた。
ルシュフェルの殺意は訓練された兵士すらも戦意を喪失させるほどの強さがある。訓練も受けていない、ぬるま湯に使った現代人の三人じゃ、すぐに腰を抜かして失禁するだろう。
本人たちも分かっている。その程度のことは理解している。理解したなら──その対策を考えるのは普通なことだ。
「──おっと、待て。怒る気持ちはよーく分かる」
飛鷹は前に手を突き出して大きく頷く。
「誰だって卵をぶつけられたら怒るよなぁ。分かるよ。どんなに相手が良い奴だったとしても殺意沸くよな」
「私だって『は、こいつ死ね』って思っちゃうもん。完璧な美少女である私が言うんだから間違いないよ」
「そうだよなぁ──でも、さ」
三人は演劇でもしているかのように大胆に体を使って周囲の注目を集める。
村人、兵士だけではない。敵である兵士、驚きの表情をしていたアローラ、そして──卵をぶつけられた張本人のルシュフェルも。
周りの人間の視線は全て三人に集められていた。
「俺たちゃ弱いんだよ。多分……てゆうか絶対、あんたレベルの男にゃ何億回挑んでも傷一つ付けられねぇさ」
「アンタからしたら俺たちはアリ、もっと下回ってダニだな。『三人寄れば文殊の知恵』とか『三本の矢』とか言うが、相手がゴジラじゃ三人揃ったところで無意味」
「さっき貴方がやってたギロッて睨みつけるやつ? あれされたらさ。私ら下手したら死ぬかもしれないんだよね。弱すぎるから。殺意向けられて死ぬとか聞いたこともないけど、異世界だしそんなこともあるでしょ」
三人の行動に村人たちは唖然。開いた口が塞がらずにいた。
「あの子たち……!」
「あ、あいつらなにやってんだ!?」
恐怖で動けずにいた村人も。絶望に打ちひしがれていた兵士も。全員が三人の行動に驚きの声を漏らす。
驚いていないのは子供たちだけ。三人を焚き付けた子供たちは、啖呵を切っている三人にエールを送っていた。
「頑張れ不破ぁ!」
「やっちゃえ飛鷹ぁ!」
「彩葉お姉ちゃん行っけぇ!」
目から光が消え、ただ必ずやってくる『死』を待っていたマナ。父を失った悲しき少女の目に三人の姿が映った時──マナの瞳に光が戻った。
「──を」
虚無だった顔には驚嘆の表情が。絶望の表情が。目を広げ、口をパクパクと動かす。
「──なにを、して」
引き戻された現実。声が出てくれない。喉が動いてくれない。
言いたかった。「なぜ」と。「なにをしてるの」と。
「──なんで……!?」
あまりにも無謀な三人の行動。マナはこの短い一週間のことが走馬灯のように思い出していた。
あまりにも短い日。人生の中で、三人と過ごしたのは、たったの一週間。なんと短いことか。
だけど。短くとも。この一週間は驚くほど濃かった。楽しかった。笑いが無い日なんてひとつもなかった。それほど楽しかった。
違う場所から来た三人はいずれ帰らなくてはならない。本人たちも帰りたそうにしていた。──帰って欲しくなかった。
人生でも数度しか使ったことのないワガママを使いたかった。それくらいに楽しく、短い交流の三人が大好きだった。
大好きだった。大好きな三人が──無謀なことをしている。無謀な戦いを挑もうとしている。
そんなこと辞めさせないと。止めないと。なのに体は動いてくれない。声が出てくれない。
「──いいのか? 殺意なんか向けて」
必死に止めようとするマナに気がついているのか、付いていないのか。三人は無視して言葉を出す。
「鼻息で殺せるようなクソザコに卵を投げつけられたんだぞ? 殺意を向けて殺すだけで十分か? それだけで十分か?」
「罰って言うのはね。生きてこそ重要なんだよ。生きて罪を償わせるのが重要なの。貴方が言ってる『大罪』ってやつ? もちゃんと生きて償わせないとねぇ」
「それこそ──アンタが直々に俺らを殺すくらいしないと」
おどけた表情で。ふざけた動きで。三人はルシュフェルを煽る。たぎらせる。
──これは賭けでもあった。
ルシュフェルが殺意を向けた瞬間、この命懸けの陽動が無意味と化す。それくらい三人とルシュフェルの戦力差には開きがあった。
だから巧みな話術で相手をその気にさせる。殺意で殺すのではなく、直接その手で殺しに来させる。
それなら多少は時間的にも猶予がある。だがあったとしても、時間にしてほんの一秒。それ以下の方が確率は高い。
だが今の三人にとってコンマ一秒ほどの時間も生命線。まばたきする時間すら惜しいほどに切羽詰まっている。
煽れ。口上を踊らせろ。ルシュフェルの気を昂らせるのだ。
三人の力じゃルシュフェルを動かすことはできない。だが三人の『言葉』ならばルシュフェルを動かすことはできる。
「追い詰めて。徹底的に追い詰めて恐怖を与えるんだよ。絶望させるんだ。生きてることすら後悔させるほどに」
「痛めつけて。徹底的に痛めつけて痛みを与えるの。殴って、手足を切り落として、皮を剥いで。生きようとしたことすら後悔させるくらいに」
「アンタは天上天下において唯一の我なんだろ? そうするべきなんじゃないのか?」
もちろん作戦会議の時間はなかった。やることの共有はしたが、この言葉は全てがアドリブ。
アドリブでありながら、完璧な言葉選び。完璧なコミュニケーションのコンビネーション。まさに追い詰められた人間が起こしている奇跡の産物だ。
「まさか。『天上天下で唯一の我』であるアンタが、殺意を向けて殺す、なんて手抜きなマネはしないよなぁ?」
「『罪には罰』なんでしょ? 殺意向けただけで死ぬようなクソザコを一瞬で殺すなんて、そんな慈悲のある温情を大罪人に与えるわけがないよねぇ?」
「あ、いいんだぞ? 俺らはむしろ温情が欲しいし。一瞬で殺してくれるなら本望だよ。痛いのは嫌だもん。でもさぁ、まさか『我が裁きを与えよう』なんて言ってた人間が、温情なんて中途半端でダサいマネするわけないよなぁ?」
──ルシュフェルは大剣を手元に引き寄せる。
三人を睨み、敵意を剥き出しにする。殺意は──向けていない。ほんの少しでも殺意を出していれば、三人は泡を吹いて気絶。最悪の場合は死んでいる。
正直、敵意だけでも裸足で逃げ出したいくらいに怖い。背中は汗でびっちょり。膀胱もヤバい。漏らしそうだ。
それでも──譲れないものがある。譲りたくないものがある。
「──来いよ」
覚悟ならとうの昔に決まっている。死ぬ覚悟、じゃない。生きてこの窮地を脱する。その覚悟が──。
「死刑囚が処刑前に命可愛さに暴れるのはよくあることだろ? 俺たちも盛大に暴れさせてもらう」
「泣いて、喚いて、命乞いして。漏らしながら逃げてやる!」
「捕まえれるもんなら捕まえてみろ。殺せるもんなら殺してみろ」
覚悟が決まっているのなら。やるべきことも分かっている。
準備体操は完了。テンションは爆アゲ。体の調子は悪いが、気合いでカバーする。つまり──最高のコンディションだ。
「弱者の──」
「底辺の──」
「負け組の──」
敵は最強。自分は最弱。見るも無惨な戦力差。それでもやるのが三人の決めた選択肢だ。
後悔なんてない。そして絶望なんてない。持つのは希望。想像するのは明るい未来。
泣いて泣いて泣き止んだから。目を擦り、前を向く。力を込めて叫ぶ──。
「「「──最弱の力を見せてやる!!」」」




