第17話『我唯一人』
──同時期。村の上空においても、同じような現象が起こっていた。
「空が……」
「赤い……?」
鮮血が飛び散った壁のような真紅の空。数え切れないほどあった星々は初めからなかったかのように消滅している。
人々の酔いは刹那にして冷めていた。この異常な現象。誰しもが驚き、恐怖する。
だが──その中でも反応が違う者が数名。多数の兵士、村長、フデロ、そしてマナたち。彼女らはこの現象に思い当たる節があった。
「お父さん、これって……!」
「ああ、『領域』だ……しかもこの系統は──」
──マナとフデロの背中に強烈な嫌悪感が走った。脳髄を爪先で撫でられてるかのような。外的要因によるストレスが体を突き刺す。
息をするのも苦しい。まばたきするのですら苦痛となる。震える体に体内で狂う心臓。どれもが日常生活では滅多に起こらない体の反応だ。
後ろに不快さの根源がいる。この非日常を放つ張本人がいる。それを確認しなくては永遠とこの悪感情は流れ続けるだろう。
振り向きたくない。だが振り向かなければ始まらない。
長くも短い葛藤を終わらせた二人は、ゆっくりとストレスの震源地に顔を向けた──。
「──」
灰色の髪に巨大な体。過剰なほどの筋肉に莫大な膂力がなければ扱えないであろう大剣。
一目見れば忘れることは無いであろう邪悪な眼光が村全体を見回していた。
「まさか……『傲慢』!?」
傲慢。それは彩葉が奴隷にされかけた時に遭遇した男だった。
傲慢と呼ばれる男はその時と全く変わらない風貌。そして周りにいる黒色のローブを着た部下たちの姿も寸分の変わりなかった。
「なんで傲慢がここに……」
「嘘でしょ、なんでナイトメアが!?」
村人たちは戦慄する。あまりの恐怖に腰が抜け、失禁する者までいた。
「っ……戦闘ができない者は下がれ! 兵士は武器を持て!」
フデロは冷静に、的確に指示を出す。酒が入っている兵士たちも指示のまま武器を手に取った。
戦闘力のない村人たちも後方へ退散。命令されずとも自然に村人避難部隊とナイトメア迎撃部隊に兵士たちは分かれた。
「わ、私も戦う!」
「ダメだ。お前は下がってろ」
「でも──」
「──マナ!」
父親の怒鳴り声。真剣な眼差しと合わさった声にマナは萎縮する。
「──言うことを聞いてくれ」
それは生まれて初めて見る父親の懇願する顔。久しぶりに聞いた、自分を窘めるような声であった。
傲慢は静かにその様子を眺めていた。剣を向けてくる兵士が増えても。魔法を発動しようとする兵士が来ても。変わらず静かなまま。
並んでいる兵士たちを流し見る。そして目を瞑り、山の方へと視線を変えた。
その方向は──不破たちが川の水を汲んでいる方向である。
「……」
傲慢は部下の一人に視線を傾け、目で『行け』という合図を与える。
部下は「ハッ」と小さく答え、不破たちのいる山の方へと走っていった。
握られた大剣が背中から抜き出され、大地に触れる。
輝く白銀と黒い柄。どこをどう見ても普通の大剣だ。特別な装飾も持たず、特別な能力も持っている気配はない。
ただ相手を殺すためだけの戦術武器。それだけに特化した武器というものは独特の美しさがある。
「なぜ──」
美しき大剣に目を取られ──誰も傲慢の言葉を遮る者は居ない。
「なぜ──貴様らは我の前に立つ」
地響きのような低い声が耳に入る。人々のざわめきと悲鳴で辺りは騒々しい。だというのに、傲慢の声はこの場にいる全員の耳に届いていた。
「誰の権利を得た。誰の許しを得た。誰の許可を得て我の前に立っている」
「──我は良しとしていない。我の前に許可なく立つな。許可なく喋るな。許可なく剣を持つな。許可なく呼吸をするな。許可なく生きるな。全て我を通せ。全て我に許しを得ろ。我の命令なく、何かをしようとするな」
──傲慢が、傲慢と言われる所以。もはやこれは傲慢ですらない。自分勝手の極み。度を超えすぎたエゴイスト。並大抵の独裁者すら不快感を覚えるほどの我の強さ。
だが彼の言葉に異を唱える者はおらず。傲慢なる命令を容認してしまうほどの強者たる悪名。それに見合う強者のオーラが彼には漂っていたからだ。
歴戦の兵士であっても臆するほどの闘気が村を覆い尽くす。ある者は震え、ある者は恐怖に顔を歪め、ある者は気絶する。
それでも──立つ。彼らはプロ。プロはプロなりのプライドと使命を持っている。
──人々の命と平穏を守り。悪となる存在を打つ。
従う王のため。偉大なる祖国のため。恐怖に顔を歪めながらも、彼らは剣を手放すことはなかった。
フデロはそんな者たちの筆頭。愛用の剣を抜き、傲慢へと向ける。
「傲慢よ!」
兵士を鼓舞するため。自分に喝を入れるため。フデロは傲慢に向かって叫んだ。
「百を超える村や街を潰し、千を超える動物を死滅させ、万を超える人々を殺した悪逆なる『傲慢』よ!」
「貴様の悪行はこの時を持って終わりを告げる! アドラスバース国王ガロウ・テンペストが誇る直属の騎士団『ラプター』副団長フデロ・ニャックス! 私が貴様に引導を渡す!」
硬い土を踏み鳴らし、兵士たちは連携をとる。幾度にも渡り練習してきた陣形。頭ではなく体で覚えさせられた努力の結晶。
この布陣を打ち破ることは英雄譚に残る英雄たちであっても一筋縄じゃあいかない。
実際にはそうでなくとも、『そうである』と思い込む。思い込むことが大事だ。イメージするのは最強の姿。強く思い込めばイメージは実態を持つ。
その実態こそが今の彼ら。フデロとその部下たちである。
「──なんたる傲慢。この我に戦いを挑むなど。なんたる大罪人よ。その罰、身をもって受けるがいい」
「罰を受けるのは貴様の方だ『傲慢』よ! 貴様が犯してきた大罪! 天ではなく我ら人間が罰を下してやる!」
睨み合う双眸。反抗する刃の反射。揺らめく闘気と殺気。
戦いの火蓋が切られるのに、そう時間はかからなかった──。
* * *
──そしてまた時を同じくして。不破たちは異常な状況に困惑しながら村へと向かっていた。
この紅い空の理由を村人たちなら知っているかもしれない。そんな希望を抱きながら走る。
「魔法か? これ」
「分かんない……魔法だとしたら、なんのためにこんなことを?」
「さぁね。空の色が変わったってことは環境の変化……もしくは──閉じ込める? とか」
「後者の理由はあんまり考えたくないな」
「前者もスケールがでかすぎて嫌だろ」
村までは遠くない。走れば不破たちでも数分。話しているうちに村の外柵が見えてきた──。
──その瞬間。実態を持った影のようなものが、こちらに向かって走ってくるのを三人は視界に捉えた。
「は──」
咄嗟に動いた飛鷹。不破と彩葉の襟首を掴んで木の影に移動する。
「なんだあれ!?」
「人間……?」
「魔法があるんだし、召喚獣とか?」
──影は人型。腰に携えた無骨な剣がガチャガチャと音を鳴らしている。
影のような黒い服装。その隙間からところどころ肌色の体が覗き見える。近くで見ると、思っていたより人間だった。
「え──」
彩葉はその服装を見たことがある。──奴隷にされかけ、連れていかれていた馬車の中で。傲慢と呼ばれる男の周りにいた部下の服装にそっくり、というよりそのままであった。
「あれって……『ナイトメア』ってやつ……!?」
「ナイトメア? あれが言ってたやつか?」
「多分……いや絶対。覚えてるもん私。変なでかい剣を持った男の人の周りにいた変な奴らだよ」
「じゃあアイツは敵ってことか?」
そういうことになる。隠れたのは正解であった。何も知らずに出ていけば、斬り殺されていたかもしれない。
だがどうする。隠れて逃げられるか。隠れて移動するなど、幼少期にやったかくれんぼ以来だ。自信がない。
そんなこんなで考えていると──やってきた部下がフードとマスクを外した。
「──ふぅ。窮屈だったぜ」
中から現れた顔は、これまた人間らしく。禿げた頭に傷の入った頬。それ以外は特質すべきところの無い非凡の一般人の顔をしていた。
男は首を鳴らしながら深呼吸をする。新鮮な空気を吸って満足そうだ。
「下っ端はこれずっと付けなくちゃならないってのが大変なところだよな。息はしずらいし、前は見ずらいし。正直邪魔なんだよなぁ……かっこいいからいいけど」
「「「……」」」
……雰囲気と違って、えらくフランクな話し方だ。これが世界を恐怖に陥れている組織に属している者なのか。
「しっかしルシュフェル様の傍若無人っぷりも困ったもんだ。帰路の途中に村があるだけで滅ぼそうとしちまうなんて。まぁ『傲慢』なんて冠位を与えられてるだけはあるな」
男は虚空に向かって話し続けている。誰かに話しかけているのか、それとも独り言か。
どちらにせよ隙だらけだ。油断せずにこっそりと移動すればバレずに村まで──。
「──そう思わねぇか。ガキ共」
──生まれて初めて味わう人間の殺意。野生動物とはまた違った教父が三人に侵食した。
「分かってんだよそこにいることは……魔力がねぇから少し驚いたが、音と気配でバレバレだ。おら、とっとと出てこい!」
例えるならヤクザ。恐喝されているような声が恐怖心を震わせてくる。
だが三人からすれば男はヤクザ以上の相手。無策で挑めば鼻息で吹き飛ばされるほどの戦力差がある男だ。
「出てこねぇなら──」
──男は手刀で大木を叩き切る。人の胴体よりも太い木の幹は、いとも簡単に切り落とされ、音を立てて地面に倒れた。
ヤクザ以上の相手、というのは過小評価だった。──正真正銘の化け物。少なくとも三人からすれば、そう思えるほどの相手であった。
「この幹みてぇに両手足を切り落としてやる! それが嫌ならさっさと顔を出せ!」
脅迫。俺たちはそんな脅迫には屈しない──そんなかっちょいいセリフを言う度胸はない。
下手なことを言えば、男が有言実行をしかねないからだ。
しかし男の言う通りにそのまま出ていくのも躊躇してしまう。
普通に出ていって男が何もしないという保証は無い。顔を出した瞬間に首を斬られて『YOU DIED』の文字が流れる可能性だってある。
じゃあこのまま待機というのも難しい。相手の言葉からして、こちらの位置はバレている。ブラフというのも考えられるが、もし本当にバレていたら……というのを考えると、待機し続けるという選択肢は間違いだと言えるだろう。
「どうする……?」
「どうするって──この状況を脱するには、アイツを倒すしかないだろ」
この絶望的な状況から抜け出す唯一の方法はそう──あの男を倒すことである。
しかし言葉にするだけなら簡単だが、実行するとなるともっと絶望的になる。
子供にすら劣るフィジカル三人。しかも三人よりも強い子供ですら、この世界では文字通りの子供扱い。
大人ともなれば戦力差は歴然。ゴジラ相手にバッタが三匹集まったところで勝てるわけが無い。
「倒すって……どうやってだよ? 俺ら子供に腕相撲で負けるくらいの貧弱さだぞ」
「しかも子指一本でね。あの時は情けなくて泣きそうになっちゃったなぁ……」
最初は彩葉が完敗し、笑っていた飛鷹は瞬殺され、笑い転げていた不破は弱すぎて勝たせてもらうという尊厳破壊を喰らったのを三人は思い出していた──。
──いや、思い出してる状況じゃねぇ。今は何か対策を練らなくてはいけないのだ。
こんなことをしている間にも男はイライラを募らせている。いつ爆発してもおかしくはない。
そうなってしまえば──などと思っていた時、彩葉の脳裏にある作戦が浮かび上がった。
「──いいこと思いついた!」
「「いいこと?」」
「そう! シンプルイズベスト。それでいて──現代知識を使ったやり方をね」




