開始
「……ちっ」
「そうそう、大人しくそうやってればさぁ、僕も悪い様にしないんだよぉ。君はしっかりとチュートリアルの手伝いに役立ってくれたからぁ、特別に今謝ればぁ、許してやらない事もないよぉ? 君の能力は強力だしぃ、出来ればしっかりと生き残って僕の協力な手駒になってくれると嬉しいんだけどなぁ?」
「黙れ……いつかぜってぇテメェをぶっ殺す」
仮に自分が彼の立場だったら……同じような発言をしていた自信がある。
それくらい彼の言動には腹が立つのだ。
「んー、残念だなぁ。まぁ君も現実を知れば考えも変わるかぁ。少しの間猶予を上げるよ。自分の立場を認識出来たら、改めて僕にしっかりと謝罪する事だねん」
生かしたいのか生殺しにしたいのか。
どちらか判断のつかない発言を繰り返す仮面の男だが、ケヴィンに伝えたいことを伝え終えたのか、視線を別方向に向けると共に両手を強く叩きながら再び口を開き始めた。
「さて! 百聞は一見に如かずとも言うし、さっそく君達には魔物と戦ってもらおう! 何事も経験が一番だからねぇ。今回は雑魚ばかり用意したから肩慣らしだと思って戦ってねぇ! それじゃぁ……ミッション開始ぃ!!」
そして再び顔の横で両手を二度戦う仮面の男。
途端に彼がファミリーハウスと言った一室の空間が歪み、しっかりと景色が映し出された時には辺りに広大な草原が広がる空間に様変わりしていた。
それと同時に目の前にいた仮面の男が消え去り、再び空間全体に響き渡る様な声で彼は言葉を述べた。
「さて! あんまり時間が無いよ! 皆自分に与えられた異能を扱って是非ともファーストステージをクリアしてね! それじゃゲームスタートォ!」
意気揚々と男の声が発せられた後、目の前にステータスウィンドウのついでに開いた時と同じようなシステムウィンドウが出現し、その画面には何やら文字が刻まれていた。
『mission:魔物を全滅させろ』
男がゲームスタートと叫んだと同時に現れたこの文字から予想するに、これは恐らくこのゲームのクリア条件だろう。
と言う事は、やはり男の言った通り既にゲームは始まっており、この大草原の何処かに魔物が出現していると言う事だ。
まさかそれが一匹や二匹で終わる事等有り得ないだろう。
パッと見た限り2、30人の人達が居る中で魔物一体倒したら終わりなんて事は無い筈だ。
警戒しなければ。
自分の異能が示す『100倍』が何を指しているのか判断できない以上、無茶な行動は禁物だ。
何せ仮面の男が雑魚と称していたあのウサギの様な魔物でさえ、簡単に人の肉体を切り裂くレベルの攻撃を仕掛けて来るのだから。
「あ、そうそう!」
エリルが警戒を強め、辺りへ視線を送り始めた際、再び耳障りな男の声が成り響く。
「君達の異能だけどさぁ? 中々分かりにくい表記してると思うんだけどぉ、そう言った抽象的な言葉から自分の能力を考察してうまく使って行ってねぇ? ケヴィンみたいに自分の力をいち早く理解する事が勝利の鍵だよぉ。これはゲームだからそう言う攻略の仕方も君達に手探りでやってもらわなきゃダメなルールなんだよねぇ。それじゃぁよろしくぅ!」
相変わらず鼻声の様な、甘えた様な気持ち悪い喋り方をする男の耳に、それでも真剣に耳を傾けていたエリルだが確かに彼が言って居た事は事実の様に思える。
100倍。
何度見直しても、エリルのステータスボードに掛かれた異能の文字はそれだけだ。
全く持って意味が不明だ。
身体能力が百倍なのか、体力が百倍なのか。
何か概念的な物を百倍にするのか、下手をすれば相手からのダメージが百倍なんて言うデメリットな能力である可能性も拭えない。
色々試して試行錯誤する必要が有るのだが、あの強力な魔物を相手にそう何度も試すようなタイミングが存在するのかも分からない状況だ。
「う……うわぁ! 来たぞっ!!」
一人の男性が悲鳴を挙げる様な声で叫ぶ。
男に視線を向けると、彼は一部の方向へ指をさしており、一同の視線がそちらへ誘導された時、草原の草陰から二匹のウサギが飛び出してきた。
多少大きさは違えど、最初に自分達が見せられた魔物と同等の生物である事には間違いない。
その可愛らしい見た目から一転、先程の光景が目に焼き付いてる者達は後ろ足を踏み始める。
恐怖を感じているのだ。
己が異能を手に入れたとしても、殆どの者達がこの様な異世界染みた戦いの場に身を置いて居ない事は明らか。
近づけば己の肉体が切り裂かれる可能性を危惧しているのだろう。
「……くっ! おらぁ!!」
別の男性が辺りに転がっていた手頃な石を掴み上げ、ウサギに向かって放った。
見事その石はウサギにヒットし、軽いノックダウンを起こしたウサギは後方へと転がる。
だが直ぐにその場で立ち上がり、途端に目を真っ赤に染め上げてこちらを威嚇する様に大きな前歯と両手の爪を剥き出しにしてくる。
それだけでとてもウサギとは思えない風貌を感じる上、更に両前足の筋肉が肥大化し始め、隆々としたウサギの前足は血管が浮き出る程に膨れ上がった。
「何だよ! 全然効いてねぇじゃねぇか! 『投擲』って異能の欄に書いてあったから物を投げてみたのにこんなのありかよ!!」
その男性は先程もファミリーハウスで女性を助ける為に麻袋を投げた人物だ。
こんな環境でも適応が割と早いのは、やはり彼が地球以外の世界……この様な魔物が蔓延る世界から来た可能性があるからなのだろう。
確かに一見すると魔物には石がぶつかった程度でダメージが与えられていない様に見える。
しかしウサギの被弾した部分、両腕から爪を剥き出しにした事で露わになったウサギの胴体の一部が、青黒く染め上がっている部分があった。
あれは確実に投擲によるダメージの結果であって、この男とウサギの距離と投げた石のサイズから計算しても普通ならあそこ迄のダメージは見込めないだろうとエリルは判断していた。
つまり投擲の効果は確かに異能として発揮されていると言う事である。
彼が100マイル以上の剛速球を投げれるメジャーリーガーだと言うのなら話は別だが、体つきからしてもそれ程身体能力が高い様には見えない。
だとすれば所謂一般人レベルのその男が投げた石で、雑魚と言えど人間の身体を簡単に切り裂く力を持っている魔物に確実なダメージを与えられている事を顧みれば、投げる物吟味すれば恐らくこの時点で一匹のウサギを絶命させる事が出来た可能性がある。
しかし男性が現状をよく観察せずに表側の状況だけを見て判断してしまった事で、更に周りの者達が委縮してしまい誰も異能を試す行動に出なくなってしまった。
「あぶなっ――」
一瞬にして二匹のウサギが距離を詰めて来た事により、エリルは危険を知らせようと声を上げるが時すでに遅し。
石を投げた男がギリギリで反応して顔の前に腕を振り上げるが、当然お構いなしにウサギはその鋭利な爪を男に振り下ろす。
「ぎゃぁああああああ!!」
その後起こる状況は想像に容易い。
男の両腕はあっさりと切り裂かれ、今にもトドメを刺さんとウサギが再び爪を振り上げた時であった。
「はぁ!!」
紫髪の男がウサギを蹴り飛ばし、何とか男の上から魔物を引き剥がす事に成功した。
蹴られたウサギは、石を受けた時とは違い、何の反動も無い様に地面へと着地し、次の瞬間にはお返しと言わんばかりに紫髪の男へと飛び掛かっていた。
「避けんかい!!」
これでは二の舞だ。
何とか止めなければとエリルは無駄に走り出すが、距離関係からしてもウサギの方が紫髪の男に辿り着く方が早く、あの男もウサギの爪の餌食になると思えたその時。
紫髪の男は何を血迷ったのか、正面のウサギに向かって右手を伸ばした。
自ら切られ様とするなど頭おかしいのか等とエリルは考えてしまったが状況は違った。
確かに肉を断つ音が聞こえた。
男の右手とウサギの爪が交わった時に血しぶきが舞い上がり、先程迄の光景を見ていれば誰もが男の腕が切り裂かれたと認識した事だろう。
しかしその後に現れた事実は、男の腕では無く『ウサギ側』の方の胴体が真っ二つに切り裂かれていたのだ。
一瞬その異様な光景に足を止めかけるエリルだが、自分の行動に自分で驚いてしまっている紫髪の男の横から、もう一匹のウサギが襲い掛かろうとしている状況が目に入り、足を止めずにエリルは我武者羅に飛び掛かるウサギの顔面を殴り飛ばした。
「つっ!!」
なんて硬さだ。
殴りつけた時に感じた感想はそれであった。
まるで砂利の大きさをミスったサンドバッグを殴ったかの様な感触を右手に感じながらもなんとかウサギを押し飛ばす。
しかしやはりか、投擲を受けた時との怯み方とは違い、明らかにダメージを受けていない様子のウサギが今度はこちらに標的を切り替えて来た事で、エリルは被弾を避けるべく後方へ跳ね飛ぼうとした。
それと同時にウサギが後ろ脚に力を込めて今正に飛び上がろうとした時、グサりと言う音と共にウサギの胴体が『氷の刃』によって貫かれていたのだった。