恋する乙女は止まらない
貴族街の一角――花々が咲き乱れるエルンストリア家の庭園に、薄絹をまとった月のような少女がひとり。
リュシエール・エルンストリアは、銀の手鏡を片手にそっと微笑んだ。
――今日の私は、完璧ですわ。
淡く光を帯びた銀髪が風に揺れ、蒼い瞳が空を映す。
母親譲りの整った顔立ちに、上品な微笑が添えられれば、それはまるで夜に咲く白薔薇のよう。
唯一の悩みは、控えめな胸元
けれど、それすらも少女の儚さを引き立てる要素となっていた。
誰もが目を奪われる“美”。
それが、リュシエール・エルンストリアという少女だった。
「……セドリック様が、今日も騎士団の訓練をなさる頃ですわね」
とろんとした目で手帳をめくるリュシエール。
中にはセドリック・ヴェルシュタインの動向とスケジュールが、まるで軍略図のようにびっしりと書き込まれていた。
「今日こそ、次の段階へ進みたいわ♡」
彼女の恋は、10歳の頃に始まった。
誘拐未遂事件に巻き込まれた彼女を、颯爽と助けてくれたのが、若かりし日のセドリックだった。
リュシエールは17歳、そしてセドリックは現在38歳。
歳が一回り半離れており、父の元部下で現在は副騎士団長を務めている。
誰がどう見ても「堅物の年上のおじさん騎士」なのだが、リュシエールにとっては世界で一番愛すべき人。
「将来、セドリック様と結婚します」
幼い頃から、誇らしげにそう言っては、大人たちに笑われてきた。
可愛らしい夢ね、と頭を撫でられたのは最初の数年だけ。
今では言えば言うほど、周囲は視線をそらす。
まるで爆弾処理班のような顔で。
「私が成人したら、既成事実を作ってでも結婚していただきますわ」
その一言で、紅茶を噴き出した令嬢や父親は数知れず。
けれどリュシエールは、微笑んだまま、言葉を撤回しない。
「だって、セドリック様は――わたくしの未来の旦那様ですもの♡」
*
騎士団本部、訓練場。
真夏の陽を跳ね返す土煙の中、響くのは副団長セドリック・ヴェルシュタインの怒声だった。
「その程度の構えで刃を受けきれるとでも思っているのか! もう一度! 最初からだ!」
鋼を打つ音、掛け声、そして何より、容赦のない叱咤。
容赦のなさでは団長以上とも噂されるセドリックの指導に、若き騎士たちは汗まみれになりながら必死に食らいついていた。
「あ、副団長。エルンストリア嬢が来てますよ」
ふと一人の部下が、ある存在に気付き訓練場の端を指した。
その瞬間ガチリ、とセドリックの動きが止まった。
あれほど怒声を飛ばしていた口も、完全に閉じられる。
日傘の下。
白いドレスに身を包み、涼しげに微笑む少女。
リュシエール・エルンストリアが、優雅に佇んでいた。
しばしの沈黙ののち、セドリックはひとつ、深く――それはもう、底の見えないほどに深く、息を吐く。
「……行ってくる」
どうしてだろうか。
今のセドリックはまるで戦地に向かう兵のようだった。
「ごきげんよう、セドリック様」
セドリックの胃がきゅっと鳴る。
だが彼女リュシエールに罪はない。
むしろ、丁寧で礼儀正しく、誰もが認める完璧な令嬢。
だが押しが強い、あまりにも。
リュシエールは微笑みながら一歩セドリックに歩み寄る。
「今日も麗しいお姿を拝見できて、朝から幸福ですわ♡」
「……お、俺は仕事中だ」
「存じておりますわ。だからせめて、お昼をご一緒に♡」
「だめだ。団長に報告が――」
「あらあら、セドリック様ったら。マクスフィール団長は本日公務で城に呼ばれておりますわよ?」
「……なぜ貴族令嬢が騎士団のスケジュールを」
「これくらい乙女の嗜みですわ♡」
セドリックのこめかみに汗が浮かぶ。
逃げ道はない。
背後に後輩たちの同情と期待のまなざしを感じる。
「セドリック様、どうかご一緒に居てくださいませ」
リュシエールの指先がそっと二の腕をくすぐるようにセドリックの二の腕に触れる。
婚約者でもない男性に触れるなど淑女として御法度だ。
だけど、ほんの少し指先が触れているだけなのにリュシエールに誘われているかのようで。
「お願いだ、俺を清いままでいさせてくれ……!」
セドリックの渾身の叫びに、見守っていた騎士たちはひっそり十字を切ったのだった。
「……副団長、今日も無理っすね」
「恋する乙女に勝てる騎士なんてこの世に存在しないんだな」
***♡***
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