【四】 ウチガワ
【四】 ウチガワ
さっき下りてきたばかりの階段を、今度は先輩と一緒に駆け上がった僕は、その先で現れた二股の廊下を、迷わず右に折れた。
例の怪異は、思った通り一階へと移動し、野生動物が暴れるような音を響かせている。
なので、三階はしばらくは安全、と思いたい。
僕は自分を奮い立たせるように、廊下を進みながら口を動かした。
「実は、ここに来たときから、ずっと違和感を感じてたんです」
「窓が板で塞がれてるなんて、おかしいもんね」
「いや、それもそうなんですが、僕が特におかしいと思ったのは、この家の『構造』です」
「構造……」
「詳しいことは、また後で話します」
ほぼ暗闇のような、薄暗い廊下の突き当たりに、一枚の扉が現れた。
【資料室】
ここでの怪異はもう収まったのか、さっき見た血の海は消えていて、ほっとする。
腰を折って、扉の表面を確かめる。
『アケルナ』
血文字はやはり、そこに存在していた。ということは、これは怪異ではなくて、誰かが本当に書いたものということになる。
その事実を記憶にとどめると、意を決して扉のノブに触れた。
──ガッ! と手を掴まれるようなこともなく、ただひんやりしているだけ。そのまま力を入れると、古びた木戸は、キィ、と開いた。
意外なことに、奥の部屋には明かりがついていた。
「入りましょう」
「うん」
先輩と連れ立って入ってみると、そこはなんというか、応接間のような空間だった。
横長のテーブルを挟み、椅子が二脚ずつ、計四つ置かれている。さらにそれを取り囲むようにして、壁に沿って背の高い本棚が、墓石のごとく静かに並び立っていた。
都合のいいことに、部屋の扉の内側には鍵が付いていたので、鍵のつまみを捻って施錠した。
──やっぱりどこか変だ。鍵をかけながらそう思う。
「ふぅ……なんとかここまでは来れたね。ここからは、籠城戦?」
「朝まで耐えるなんて現実的じゃないですよ。それより、早くこの家の謎を解いて、脱出しましょう」
僕らはいったん、テーブルの前の椅子に、並んで腰を落ち着けた。
息を整えたところで、もう一度部屋を見てみると、たしかにここは【資料室】と呼ばれるべき場所だった。
五畳ほどの空間に、並べて置かれた本棚には明らかに年代物の本が詰め込まれ、壁には所狭しと、昔の景色や関係者らしき人物の写真が、額に入れて飾られている。
「それでさ」口火を切ったのは先輩だった。「穂高くんの言ってた、『構造の違和感』っていうの、早く聞きたいな」
「わかりました。──ン、んんっ」
喉の調子を確かめて、声が潰れていないのを確認しておいた。さっき……その、情けなく叫んでしまったから。
「──僕が最初に、このネオジョウを変だと思ったのは、中に入ってすぐでした。一階のエントランス、すごく広いなって感じたんです」
「私もそう思ったなぁ」
「そう思うのは当然ですよ、だってあそこ『壁がない』んだから」
僕はさらに続けた。
「不自然なほど壁がないのは、一階だけじゃない。二階だって、壁や仕切りの類いはまったくありませんでした。エントランスと同じく、一階層まるまるぶち抜きの、ワンルームみたいな状態でしたよね」
「……そこは、商業施設にするにあたっての改修工事で、広くしただけとは考えられないかな?」
先輩の反論は予想していたもので、僕はすぐに首を振った。
「その線はないと思いますね、理由は、この建物の柱や梁です。見たところ、どれも相当年季が入っていて、改修工事ではいじられなかったことがわかります。もし先輩が言うように、後から吹き抜けを作ったり、壁を取り払ったりなんかしたら、耐震上、柱を筋交いにしたり、梁を追加したりする必要があると思いますが、その気配もまったくない」
要するに、と僕は言葉をまとめた。
「このネオジョウなる建造物は、最初からこういう構造だった可能性が非常に高い」
「まあ、そうなるかぁ」
一応、先輩も納得してくれたようなので、話を次に進める。
「で、改修前からこの構造だったとすると、さらに謎が増えます。例えば、一階にあるシャワー室なんかどうでしょう、壁もないただっ広い一階に、シャワー室だけ付けるって、どういうセンスですか?」
「うふふっ、それはたしかにね」
「それに、わざわざ二つある階段も大問題です。片方は二階に行く専用、片方は三階に行く専用って、正直言って、かなり……」
みなまで言わず、首を振った。
千夏先輩も、椅子に背を預けて、天を仰ぐ。
「言われてみればなるほど、そうだよね。ネオジョウ、見た目の不気味さが一番目につくけれど、一番おかしかったのは、中身の方だったんだ」
こんな状況なのに、声が弾んでいた。
オカルトマニアというのは、未知を食べて生きているらしい。だとしたら、彼女にとってネオジョウがさらに謎めいた存在になったことは、歓迎すべきことなのかも。
……しかし今回ばかり、僕は彼女の食卓から、その至高の膳を取り上げなくてはならないらしい。
椅子から立ち上がり、僕は先輩のすぐ背後の壁に、近づいていく。
「ここはたしかに奇妙です。でも、少なくとも構造上の違和感の原因は、オカルトなんかじゃ……なかったようですね」
足を止めたのは、壁に展示された一枚の写真の前だった。
額に収められた写真は、おそらくはここ数十年の間に撮影された、横長の現像写真だった。素材からして古いものだけど、柔らかな色合いのカラー写真に、鮮明な景色が写っていた。
──それはおそらく、在りし日の「ネオジョウ」の写真だった。
見覚えのある、しかし今よりもずっと鮮やかな朱色の建物が被写体だ。前に突き出た建物の先端部分に、金色の巨大招き猫が鎮座している。
その手前の道路に、家族らしき夫婦と子供が、三人並んで写っていた。どことなくぶきっちょな顔をした作業着姿の父親と、エプロン姿の優しそうな母親、そして……中学生ぐらいだろうか、見事なほど父親に似た、無愛想な顔をした坊主頭の少年が、夫妻に挟まれて立っていた。
僕が示したその写真を見ても、先輩はどうもピンとこない様子だった。
「これ、ここの写真? 家族の記念写真かな」
「その後ろ、よく見てくれませんか」
「後ろ……あっ」
息をのむ声が、僕のところまで聞こえた。
家族より後方、巨大招き猫のやや上、建物の壁面に、立派な「看板」がかかっている。
そこには、こんな文字が書かれていた。
【子織錠前屋】
後半の「錠前屋」に続く、見覚えのある二文字。
「先輩、今回の依頼主って、どなたでしたっけ」
「この建物の管理人の『コオリさん』だよ」
「どういう字を書きましたっけ」
「子供の『子』に、機織りの『織』さ」
そう、今回の依頼人は「子織 歩」という字を書く、年配の男性だったはずだ。
そこから推理すると、この看板の文字の読み方は……。
「【子織錠前屋】──って読むのかな?」と先輩。
「いいえ、おそらく違います」
先輩の予想に対して、僕は首を振った。
「『子織』を『コオリ』と読むのは、僕らが名刺の字から勝手に推測したことです。そして、その推測はきっと、間違っていたんでしょう」
つくづく、漢字というのは難しい。「子」にも「織」にも、色々な読み方があるのだから。
「これはきっと──【子織錠前屋】と読むんです」
子供の「子」ではなく、十二支の「子」。
機織りの「織」ではなく、織田信長の「織」。
「それって……!」
ぱっと先輩の目が広がる。答えはもう、すぐそこにあった。
「『子織錠前屋』、略して『ネオジョウ』。この場所は、鍵屋さんだったんです」
──駅向こうの一角に、ずっと存在していた経歴不明の派手な建造物「ネオジョウ」。蓋を開けてみれば、その正体は、なんでもないものだった。
「建物の異様な見た目は、お客さんの目を引くため。妙な呼び方も、おそらくはご近所さんやお客さんからの愛称にすぎない。けれど、それを知る人がいなくなって、途端に不気味なお化け屋敷にしか見えなくなってしまった」
在りし日の写真を見ながら、先輩も頷いてくれた。
「後に残されたのは、『ネオジョウ』という呼び名だけ、だったんだね」
そうして謎が一つ解けてみると、その他の疑問点についても、答えらしきものを見いだすことができた。
「ここが鍵屋さんだったと考えると、色々と説明がつきます。ほら、こっちの隣の写真を見てください」
家族写真の隣には、ネオジョウ──子織錠前屋の内装らしき写真が掲示されていた。
所狭しと並べられた機械を使って、火花を散らせて金属を加工する職人たち。完成した製品を並べたパレットの山。
「ここは、名前の通り鍵や錠前を製造する工房だった。一階や二階に壁や仕切りがなかったのは、こうして機材を並べて、作業場として使っていたからです」
「一階にシャワーみたいな水回りが付いていたのも、職人さんたちの更衣室用途か、それか元々は水が必要な加工作業か何かをやっていたとすれば、納得がいくよね」
「はい、人間が住むような構造をしていなくても、工場ならば仕方ないことです」
「あ、でも──」ふいに、先輩が顔を上げる。「まだ、階段の謎は残ってるじゃんか」
「階段の謎……ああ、二階への階段と、三階への階段で、わざわざ二つ階段があるっていう疑問点ですね」
「そうそう、それはどうやって説明するの? ここがもと工場だったんだとしても、そんなふうに階段をわける理由が見当たらないよ」
先輩の疑問はもっともだ、たしかに工場というだけで、階段を二つ作る理由にはならない。
僕は一度写真から離れ、資料室の椅子にすとんと腰を下ろした。年季は入っているけど、とても座り心地のよい座椅子だ。
肘付きに手を置きつつ、僕は彼女を見上げた。
「それを紐解く鍵は、ネオジョウのもう一つの顔にあります」
「もう一つの顔?」
「さっきの写真を思い出してください、ネオジョウの持ち主は誰ですか」
「えーっと」先輩は壁際の写真に視線を戻し、またすぐにこっちを振り返った。「子織さん!」
小学生みたいな元気な返事に、口元が緩みそうになるのをこらえて、僕は頷く。
「そう、もとを正せば、ネオジョウ……子織錠前屋の運営者はあの家族です。職人さんはただの雇われだとしても、経営者である子織一家三人は、ここで暮らしていたと考えるのが妥当です」
「ん? でもついさっき、帆高くんは『人間が住むような構造をしていない』って断言していたと思うけど」
「それはあくまで、一階と二階の話ですよ。比べてみると、この三階は下層とはちょっと趣が違うことに気づきませんか?」
そこで「さてなんでしょう」というような嫌らしいことはせず、僕はさっさと考えを明かした。
「一階、二階と比べると、この三階だけは〝まとも〟なんですよ。生活の動線になる廊下があって、ちゃんと壁で区切られた部屋がいくつもある。ほら、さっきコスプレした【衣装室】だって、扉で奥の部屋とつながってましたよね?」
「あー、そういえばあっちの奥、行きそびれたね」
「行かなくなって、その先はおおよそ推理できますよ。きっとあの部屋の扉の向こうには……キッチンとか、寝室とか、そういう『居住スペース』があるんじゃないでしょうか」
言いながらちらりと、入口の鍵付き扉の様子をうかがう。扉は沈黙しているが、足元からは、どたん、どたん、と下層フロアで這い回る「何か」の振動が、相も変わらず響いてくる。
……残された時間は、たぶん多くはない。一刻も早く真相に近づくために、僕は話を急いだ。
「自営業のお店なんかで、一階を店舗にして、二階で家族が暮らす、そういうタイプの建築ってたまにありますよね。ネオジョウも、そうだったんじゃないでしょうか」
「二階までが工場で、子織さん一家はこの三階に住んでたってことか。たしかに言われてみれば、この階層だけ雰囲気が違いすぎるというか、なんとなく生活感あるよね」
得心の様子を見せた先輩に、僕はさらに続けた。
「それで、二つの階段の謎にも片がつきます。まず、一階から二階に続く一つ目の階段は従業員用、そして三階直通の二つ目が家族用と考えれば、腑に落ちます。そうすれば、二世帯住宅みたいに、勝手口を完全にわけることができるわけですから」
「お店のスペースと家族のスペースが直接つながってるって、なんだか気まずいものね。それに、階段が地続きだと、一階に降りるのに絶対に二階を通らきゃいけなくなるから、買い物とかの度に職人さんと顔合わせることになるのも……ちょっと嫌かな」
「そう考えたら、改修前は、玄関口も二つあったのだと思います。あの長廊下のあたり、ことさらに薄暗かったのでよく見れてないですけど、探してみればきっと名残が見つかると思いますよ」
別に、無理して推理の確度を上げる必要もないけど、それは僕の言い分を補強する証拠になり得るはずだ。
けれど、忘れてはならない。いま大事なのは、ここからだ。
「とりあえず、ネオジョウがお店と住居の二つの性格を持っていたことは、立証された前提でいきますね。しかし僕たちにとって重要なのは、そこから『どうやって一階の玄関扉を開けるか』という結論を導き出すことです」
「あ、そうじゃん! すっかり忘れてたよ」
「ちょっと、千夏先輩……頼みますよ。いいですか、これは僕が思うに──」
脳天気そうな先輩に、呆れてみせたつもりだった。しかし実際のところは、気が抜けていたのは僕の方だったのかもしれない。
言いたかったことを伝えきる前に、まったく予想だにしない、硬くて大きな音が、部屋中に連続して鳴り響いた。
──だん。
──だん。
──だんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだん。
僕のすぐ背後、閉じきった扉が、殴りつけられるような音とともに、大きく振動する。
否応無しに振り返ると、心臓が凍りつくような出来事が、続けざまに襲いかかってきた。
──がちゃ……がちゃがちゃ。
扉のノブのところが、向こう側から幾度もねじられているのだ。たった木の板一枚向こう側にいる、その「何か」は、明らかに扉を開けようとしている。
「帆高くん!」
「いっ……!?」
先輩に肩を揺さぶられて、ぎょっとしてしまった。しかしおかげで、意識が現実に返ってきた。
このままだとまずい、扉を破られてしまう。
そう考えた僕は、腰が抜けそうなところを耐えて、いまもなお強烈な力で殴打され続けている扉に向かって突進していった。
「やめろ……!」
両手を扉につけると、全体重をかけて必死で抗った。その間も強く殴られ続け、鍵はかけているけど、それすら壊しかねない勢いだった。
僕らが普段、面白がって使っている「幽霊」だとか「都市伝説」みたいな生易しいものじゃない、差し迫った命の危機が、ほんの十センチ先のところにあった。
「うう……っ」
全力を込めているというのに、メキメキ、という嫌な音を響かせ、扉の上部が反り返り始めていた。どう考えても異常だ、普通の人間の力ではない。
もういっそのこと、手を離してしまおうか。……心が折れそうになった、その瞬間だった。
──アケ……ルナ。
鳴り響く地割れのような音の雨の中、女性の声が、たしかに「向こう側」から響いてきた。
思わず耳を扉に押し当てて見ると、さらにはっきりと、振り絞るような……それでいて毅然とした、張り裂けるような声色が、何度も聞こえた。
『アケルナ』
『あけるな』
『絶対に、扉を開けちゃだめ……〝アユムちゃん〟!』
さあっと、鳥肌が立つのを感じた。それは恐怖ではなくて、怯えとも違って、魂を直接手で掴まれたような、心を震わされた感触だった。
僕は自分でも、考えしいな人間だと思う。漠然とした自信というものが持てないから、いつだって目の前の物事に、理屈をつけないといられない。
けれどその女性の声を聞いた瞬間は、何も考えることができなかった。超然とした、まさしく「超常現象」としか言いしれない体験に思考が追い抜かれて、ただひたすらに「ああ、扉を開けてはダメなのだ。それはきっと、とても悲しいことなのだけれど、この扉を開けてはいけないのだ」という実感のようなものだけが、全身を支配していた。
しばらくすると、扉を震わせる殴打は止まった。代わりに、その場を遠ざかっていくような、複数人の足音がした。
それきり、ひとまず怪現象は落ち着いた。
「は……あぁ」
扉を離れ、地面に尻餅をつくと、喉の奥から吐息がもれた。ずいぶん久しぶりに、呼吸をしたような気がした。
すぐさま、先輩が後ろから駆け寄ってきて、僕のとなりに膝をついた。
「だ、大丈夫? 帆高くん……私、動けなかった」
温かい手で肩に触れて、千夏先輩は目線を合わせてくる。
「ありがとう。帆高くんが立ち向かってくれたおかげで、私、無事だったよ」
「……いいえ」
先輩の言葉に首を振ったのは、謙遜ではなかった。
「僕じゃないんです」沈黙する木の扉を、僕はじっと見つめた。「あれと戦っていたのは、僕なんかじゃないんです」
「そうなの?」
先輩は不思議そうに目を丸くしたけど、僕の顔色をうかがって「……そっか」と、ひとまず納得してくれた。
そこから、先輩の手を借りつつ、僕はやっと立ち上がった。
「とりあえず、怪異は遠くに行ったみたいです。早いところ、ここから脱出しましょう」
「あの……どうやって脱出するつもりか、一応プランを聞いてもいい?」
おずおずと尋ねてきた先輩に、僕はしごく単純に答えた。
「玄関扉の鍵の開け方なら、たぶんネットで調べれば出てきますよ」
「へっ?」
素っ頓狂な声を上げた先輩の前で、僕はズボンのポケットを弄って、スマホを取り出した。
検索エンジンを開いて、キーボードをフリックする。
──『子織錠前屋』
そのワードでヒットしたのは、数件の古い地図情報だけだった。なので……検索の方針を少し変えてみる。
──『子織 錠前』
ワードを区切って、二つに分けた。
これがビンゴで、期待していた雰囲気のサイトがいくつも出てきた。とりあえず、先頭にあったものにアクセスする。
僕が開いたのは『奇妙な鍵の歴史館』という、個人のブログサイトだった。
ブログの内容は、「鍵フェチ」を自称する管理人が、変わった南京錠や錠前などを独自でまとめ、写真つきで紹介していくというものだった。
そのブログの中頃に、僕が探していた情報はあった。
・『子織式飾り錠前』の解説!
九州地方の工房で作られ、近辺で一時期流通したという動物の形をした飾り錠(※装飾つきの錠前)の一種。最も有名なモデルが写真のライオン形で、たてがみの部分を引っ張りながら左に三回回すと、ライオンの口から鍵穴が露出し、内鍵と共通のキーで施錠・解錠ができる。
管理人いわく「からくり箱のようなユニークな構造や、デザイン性に富んだ見た目がお気に入りポイント!」とのことらしい。
僕の肩越しにサイトを見ていた先輩が、感嘆するような声をもらした。
「これ……あの玄関についてる鍵とおんなじやつじゃんか!」続けざまに「どうして、『調べたら出てくる』って、わかったの?」
彼女の疑問に、今度こそきちんと、僕は説明をつけた。
「状況からの推測、ですよ。まず一点、店先の外装を凝ったり、大勢の職人を雇い入れられるほど、子織錠前屋は繁盛していた。次に、この場所がなくなった後も『ネオジョウ』という愛称だけはずっと残っているほど、地域では名の知れた存在だった。そして──」
僕はスマホの画面をスライドさせて、ブログにある「子織式飾り錠前」の説明文の続きを表示させる。
そこには『補足:』と題された、短い一文が付け加えられていた。
『補足:この工房は、経営者一家を襲った強盗事件によって、閉鎖を余儀なくされたという(地元の新聞記事により確認済み)。犠牲者の方々には、謹んで哀悼の意を示したい。』
記事を見つめながら、僕は慎重に言葉を選んだ。
「──ここは、全国でも有名な『心霊スポット』でもありますから。ネットを探せば、こんな風にダイレクトなサイトじゃなくても、関連記事の一件や二件、引っかかると思ったんです」
「ああ、そっか」
拍子抜けしたように、先輩は息をついた。「私たちだって、ここの〝いわく〟は、ネットで知ったようなものだった」
「『怪異は日常の中に』──それでも僕は信じていたんです、幽霊屋敷としてじゃない、そのいわくがつく前の『日常』を、きちんと見てくれている人もいるはずだって」
「……これは、反省ものだね。誰よりもオカルトを愛し、敬意を払うべきオカルトマニアともあろう者が、ごく表面上のことだけを知って、いい気になっていた。後できちんと、根性入れ直さなきゃだね」
「はい。まずはここを、脱出してからですけど」
先輩とうなずき合うと、僕は資料室の入口の扉に向き合った。
一歩踏み出すと、内鍵を外し、ノブに手をかける。「開けるな」の声は、もう響いていなかった。
資料室を後にした僕らは、一度、向かいにある【衣装室】に寄って、お互いに元の服に着替えた。借りた衣装は、とりあえずは畳んで置いておくことにした。
こうして身の回りを整えると、怪異の気配に気を配りながら、一階まで階段を下りた。
エントランスはしんとして、嘘のように静かだった。上階からも、音は何も聞こえなかった。
正面扉の前まで歩いていくと、ライオンの形をした飾り錠は、やはりネット上で見たのと同じ形をしていた。
「それじゃあ、やってみますね」
片手でスマホを持って、さっきのブログの説明文を見ながら、僕はライオンのたてがみに手を触れる。
切羽詰まっていた事もあって、さっき千夏先輩がかなり手荒に扱っていたから、壊れていないといいけど……。
金属でできたたてがみのパーツを手前に引っ張りながら、指示通り、左に三回転。
僕の心配をよそに、子織式錠前は見事に駆動し、ライオンの口からせり出すように鍵穴が現れた。
通学鞄から鍵を取り出しながら、先輩は微妙な顔をした。
「大層なギミックだけど、外に出るたびこれじゃ、さすがに不便じゃないかなぁ」
「そんなことないですよ」
僕はかぶりを振った。
「そうかな? ──ともかく、帆高くんも開くよう祈ってて」
「ええ」
僕の目の前で、先輩が鍵を挿入する。鍵を回すと、かちり、とあっさり鍵が外れる音がした。
「わお、開いちゃった」
「祈っている暇も、ありませんでしたね」
こうして、僕らは正面の扉を開き、からくもネオジョウからの脱出を成功させた。
外に出たところで、スマホの時刻を確認してみると、現在時刻は午後九時を少し過ぎたところだった。ここに来たのが、夕方の六時半頃だったと記憶しているので、滞在時間としては、三時間程度のものだった。
僕は最後に、背後でゆっくりと閉まっていく、ネオジョウの正面扉を振り返った。
辺境の鍵工場の傑作、街明かりを反射して鈍く輝くライオンの飾り錠はやはり、扉の「内側」に取り付けられていた。