思い返せば・・・
妻には迷惑をかけっぱなしだったと思う。
仕事にかかりっきりで、家庭をかえりみる事をしてこなかった。
そんな人生を後悔したのは、妻が病に倒れてからだった。
医者から余命一年を告げられ、初めて俺の人生は間違っていたのではないかと思う。
「なあ。お前は俺と結婚するんじゃなかったと思ってるだろ?」
ぷっくりと小太りだった妻。今は見る影もなくやせこけて床に横になっている。
妻は俺を見上げて、にこりと笑う。
「なにを言うんですか。私は幸せでしたよ」
「しかしなあ。俺はお前に何をしてやれたか・・・。考えてしまうのだよ。思えば旅行だってろくに行ってないじゃないか」
妻はふふ、と笑うと、
「その分お友達と旅行を楽しませていただきましたわ。あなたは仕事人間のわりに、一人にしておいても、自分のことは自分でしますから、こんな手のかからない夫はそうそういませんわよ」
そう冗談ぽく言う妻に、
「そうかな・・・」
そういうものだろうか。納得しかけるが、でも、と俺は言葉を継ぐ。
「俺は、お前と思い出を作れた気がしていないのだよ」
妻はやはり笑顔を崩さぬまま、
「それはね・・・。あなたは仕事にかかりきりでしたから。でも、私はその後ろ姿をずっと見ていたから、そうは思わないのです。あなたの背中、とてもかっこよかったですよ」
「そう・・・か?」
ちょっと照れ、そしてむくれる。
「お前だけそんなふうに感じていたとは、少しずるい気もするな」
「うふふふ・・・ゴホッゴホッ」
妻が咳き込む。あわてて水を飲ませる。
「ありがとう、大丈夫。ずるいですか・・・しょうがないじゃないですか。だってきっと私は、そんなあなたじゃなければ好きになってはいませんでしたよ」
そうなのか。変な所を好かれたものだなあ。しかし、
「やはり納得いかぬなあ。なんだか一方通行の思いどおしという感じで」
妻はちょっと困った顔をした。だが、
「あなたはそうおっしゃいますけどね、私たちそんなにすれ違い夫婦ってわけじゃなかったですよ。仕事がひと段落した時、とても嬉しそうな顔で私に仕事の話をして下さって。幸せな時間でしたわ」
「でもお前は俺の仕事の話なんか聞かされても、つまらなかったんじゃないか?」
妻は苦笑した。
「ええ。お仕事の話は難しくてよくわからなかってですけど・・・だけどあなたの嬉しそうな顔を見てるだけでこっちまで嬉しくなってくるんです」
「俺は迷惑じゃないかと思ってたよ」
「いえいえ。まったくそんなことはなかったですよ」
その言葉を聞いて、俺は思わず妻の手をとる。
そんな風に思ってくれていたとは。そしてやはり俺は夫失格じゃないかと、考えてしまう。そんなことにも気づけていなかったとは。
妻の手はやせ細っていたが、握り返すその力は死を目前にした病人とは思えないものだった。
「納得いってないって顔ですね。でもこれからわかっていけばいいことですよ」
そう言う妻に、俺は言いにくいことを言わねばならない。
「だってお前はもう・・・」
妻はいじわるな顔をして、
「そうね。私はいなくなるけれど・・・その時わかるでしょう。私がいないってどういうことなのか。とっても寂しいわよ。もうお仕事の自慢をする相手もいなくなるし。ああ、あいつがいたってこういうことかって思うと思うわ」
そんな言葉に俺はちょっと困って、
「お前・・・本当はちょっと怒ってるだろ?」
妻はニコニコしながら、
「そりゃあ、物足りないなあなんて思うことだってありましたよ。もっともっと、こっちをみて欲しいなあ、なんて。でもそれはないものねだり。私が好きになったのはこの背中なんだからってね」
そしてね、と妻は言葉を続ける。
「そんな想いも今こうして叶っちゃった。ああ私なんて幸せものなんだろう」
「・・・そうか」
「そうなんです」
妻は少し疲れた顔をした。手を離す。
「ちょっと疲れたので休みますね」
「ああ」
◇ ◇ ◇
それからの妻はみるみる弱っていった。それでも毎日が幸せそうだった。俺も。
そうして俺たちの幸せな時間は終わりを告げたのだった。
そして・・・
「こういう事か・・・お前がいないという事は・・・」
ある日感じた感情。それは俺を寂しくさせた。この話をしたらきっとあいつは、うふふと笑うんだろうなあ。
「これが私たちの生活だったんですよ」
そんな声が聞こえた気がした。