死亡フラグに願いを込めて
「冬」「待ち合わせ」「死亡フラグ」の三つの言葉をお題にして書いた三題噺です。
非常に短い作品ですが、お気軽にご覧ください。
私は、こんな日にこんな所で一人、何を待っているのだろうか。
十二月二十四日、世間はクリスマスムード一色。色鮮やかなイルミネーションが夜空の星とともに地上をこれでもかと照らし、目が痛いほどだ。そして、街中は幸せそうな表情をしたカップルや家族連れで賑わっている。
そんな中、私は一人、駅の改札口の前で突っ立っていた。
この場所は、以前彼とクリスマスデートをする計画を立てた時に、待ち合わせ場所として決めていた場所だった。
その彼は、つい先日別れたのだけれど。
きっかけは些細なことだった。つまらないことが原因で、喧嘩して、それが拗れて、別れ話にまでなってしまった。どこにでもあるような、ありふれた話だ。だから、私もありふれたことだと割り切って、忘れてしまえばいい。それだけのことのはずだ。
それなのに。
私は一体、何を期待して、こんな場所にいるのだろうか。
「私、もしもあいつが今日来てくれたら、結婚しようって伝えるんだ……」
ふいに、そんなことを呟いてみる。映画とかでよく見る、俗に言う『死亡フラグ』というものだ。この戦いが終わったら結婚するだの、帰ってきたら伝えたいことがあるんだだの、そういった、これを言った登場人物は大体死ぬ、と相場が決まっている台詞のことだ。私の言ったものが、ちゃんとそれらしくなっているかは分からないが。
寒さでかじかんだ手指の感覚が無くなってくるのを感じると、本当に私は凍えたりして死んでしまうんじゃないかとまで思えてきた。映画の見過ぎかもしれない。
ほら、早く来てよ。
助けに来てよ。
さっさと来ないと、死んじゃうよ。
私は心の中で、そんな風に助けを求める。死亡フラグというものは、本来そんな使い方はしないのだろう。でも、私が死にそうになったら、彼は助けに来てくれるだろうか。この場所に来てくれるだろうか。もしも私が本当に死んだら、彼は悲しんでくれるだろうか。そんなことを考えていたら、独り言でも、届かなくても、呟いてみたくなるじゃないか。縋ってみたくなるじゃないか。サンタさんでも誰でもいいよ。誰か叶えてよ。
――そんな馬鹿みたいなことを願ったところで、望んだ彼が来るはずもないのは、最初から分かっていた。
それから、一人この真冬の寒空の下で、一体どれだけの時間待ち続けただろうか。私は、誰も来ることのない待ち合わせ場所を離れて、聖夜の人ごみの中へ向かって歩き出した。たくさんの人に紛れたところで、私が一人きりなのは、変わらないけれど。やり場のない感情を吐き出すかのようについたため息は、白い煙となって、誰のもとへ届くわけもなく消えていった。
「もし、もう一度あいつに会えたら、ちゃんと仲直りするんだ……」
私はもう一度、私なりの『死亡フラグ』を呟く。
どうか、こんな未練がましい私の心なんて、さっさと死んでしまいますように。
そんな、馬鹿みたいな願いを、馬鹿みたいな台詞に込めながら。