一話
「フハハハハハ!ついにこの日が来た!」
朝からお父様はお元気ですわね。わたくし、昨日12歳の誕生日だったため、お城に登城しなくてはなりませんでしたの。そのせいで疲れたのでしょう、本日は少しばかり寝坊をしてしまったようです。いつもより遅い朝食を摂っていましたら、お父様が食堂に入ってこられました。
「おはようございます、お父様」
「ふん、エルヴィールか。お前がそうやって偉そうにしてられるのも、もう終わりだ。本日を以て、わしの<伯爵代理>の代理が取れるのだからな!それに、あの忌々しい契約書の期限も終わったから、ようやく再婚できる!愛しのマリエットと愛娘ミリアムをこの屋敷に連れてこられるのだ!」
朝っぱらから大声でわめきたてるお父様の、相変わらずのおバカさんっぷりには、あきれてものが言えず、思わず押し黙ってしまいますが、そこはそれ、自分の都合のいいように考えるのが父ですからね。何も言わない私に対して、
「今更殊勝なふりをしても、もう遅いわ!間違っても、これまでと同じ生活などできると思うなよ!もうお前の後見を気取るうるさい爺どもに気を遣う必要もないし、金を使う度に入る監査などというものも無くなった。この家はわしの思うままだ!さあ、愛しの妻と娘を迎えに行くぞ!」
そう言って食堂を出ていかれました。食事も摂らずに、何しに来たんでしょうかね。
まあいいでしょう。おバカさんにはそれなりの報いを受けてもらわないといけませんからね。食事を終わらせたわたくしは、お部屋に戻りがてら執事のマルソーに声を掛けます。
「では、打合せ通りに」
「かしこまりました」
玄関で大声を張り上げるお父様の声が聞こえます。
「あの娘も、その持ち物も、すべて離れに追いやっておけ!いや、ドレスや宝石はミリアムが使うから、そのままにしておけ。それ以外は置いておくなよ。新しい伯爵家には過去の遺物はいらんからな!あと、あの女の部屋の鍵も開けておくんだぞ!」
あの女とかあの娘などと……お父様、それはあなたの亡き妻と嫡子のことですよ?ほんとに、あきれてしまいますが、これもあと少しの辛抱でしょう。お父様が普通の馬車(伯爵家の紋章入り馬車はメンテナンス中で使えないことにしておいた)で出かけたのを確認した後、昨夜こっそり招き入れていた友人とともに屋敷の玄関に向かいます。
ほんと、持つべきものは優秀な友ですわね。セレスティンは平民ながらも魔術学校に特待生として入学した優秀な学生で、その才能にほれ込んだわたくしが援助を申し込んだのがきっかけで、仲良くなりましたの。もっとも援助は断られましたが、友人になりたいと言ってくれて、どんなに嬉しかったことか。
そして本日、その素晴らしい才能を遺憾無く発揮して帰って行きました。あぁ、楽しみです。
『ねぇ、パパ、私、お姉さまの使っていたお部屋に住みたい!』
『いいぞ、あの娘の物は全部お前の物だ、好きにすればいい』
『やった!ドレスってどれくらいあるのかしら。宝石もある?』
『ああ、ドレスはたくさんあるし、宝石もだ。ほかにも欲しい物があったら遠慮なく貰え。あんな気味の悪い娘より、かわいいミリアムの方がドレスも宝石も絶対に似合うからな。それに伯爵家に代々伝わる宝石はマリエット、今日からすべて君のものだよ』
『まぁ、旦那様、うれしい…』
馬車にあらかじめ取り付けた魔石から私の手元の魔方陣へ、おバカさんたちの声が聞こえてきます。ふう、これはいくつか複製を取っておかなくてはいけませんね。後々使えそうですし。なのでとりあえず3つほど複製を作り、しまい込みます。
さて、そろそろ帰ってくる頃ですわね。やはりその瞬間をじっくり見たいので、わたくしは侍女と共に玄関へと向かいます。あら、何が起きるか知っているせいか、使用人達も集まっていますわ。
「今帰ったぞ!」
お父様の声がして、マルソーが内側から扉を開けます。そして……
「ぷぎゃっ!ぶびびびっ」
「ぶひゃっ!べべべっ」
「ぼふぇっ!びぶぶっ」
人の声とは思えないような叫び声とともに、お父様たちが何もない空間にぶち当たり、それと同時に雷のような放電が起きます。ああ、綺麗に作動してますね。さすがはセレスティンです。
これは彼女と彼女の母親が共同開発した、<侵入者撃退システム>で、只今絶賛特許申請中の魔法ですのよ。
あら、お父様って意外とめげないというか、諦めが悪いというか……
「でべべべべべっ」
「ぶべべべべべっ」
いったい何回放電を繰り返すのかしら?すでに髪の毛は鳥の巣にしか見えませんし、うっすら煙まで出ておりますわ。これにはマルソーも、うつむいて肩を震わせていますね。あら、侍女のオレリーも口を押さえて震えていますし、ジジときたらしゃがみ込んでますわね。両手で口を押えていますが、なにやら不気味な音が漏れていますよ。
もっともわたくしも、あのたなびく煙には、頬の引きつりをごまかすことが出来なくなりそうです。
わたくしの我慢も限界に達しようとしたころ、ようやく入れないことを受け入れたのか、お父様が入ろうとするのをやめたので、説明して差し上げるために扉へと近づきます。
「お戻りになられたのですね、お父様」
「エルヴィール、これはどういうことだ!なぜわしらが屋敷に入れない!」
「それは当然のことですわ。なぜなら本日をもちまして、この屋敷はパシェット伯爵籍の者と、この屋敷に仕える者しか入れないようになりましたの」
「だから、なぜわしが入れないんだと聞いている!わしがこの家の主だぞ!」
「ふふ、何をお戯れを。お父様は本日付けでめでたくも伯爵籍から抜け、無事平民になりましたのに」
「わしが平民だと!」
「はい。この婚姻契約書に基づき、見事なまでの平民に。ご覧になります?」
わたくしは、お父様とお母様が結婚する際に結んだ婚姻契約書を扉越しに差し出します。
「見せろ!」
「しっかりお読みになってください。特に13行目から下です。ちゃんと<妻エマリーヌと死別したさい、子が1人以上いた場合、その長子が12歳になるまで夫ユリスは伯爵代理として過ごすこととする。長子が12歳となった翌日以降は、夫ユリスの代理の責を外し其の身を自由とする。また、子がいない場合は2年後に再婚が可能とする。なお、再婚した場合は、夫ユリスはその日を以て伯爵籍から抜けることとする>と、書かれていますでしょう?」
そう、これは今から14年ほど前、父と母が結婚する前に交わした婚姻に関する神前契約書。今から20年ほど前、何があったかは秘匿されておりますが、おそらく色々と問題事があったのでしょう。盛大に結婚や相続に関しての法律が改正され、その際、結婚前に交わす婚姻契約書というものができましたの。
それは神前契約書であるため、絶対の効力を持つもので、そこには浮気した場合のことはもちろんのこと、死別した場合のことや再婚についてなど事細かく明記することが可能となっています。
今回の我が家の場合は、わたくしが12歳になって正式に伯爵家を継ぐまでは、父は再婚できないというものでした。そして、その後が父が再婚した場合は伯爵籍から抜けるというもの。
だって、当然でしょう?パシェット伯はわたくしのお母様の持っていた爵位ですもの。お父様が継げるはずなどありません。
なのにどうしてあんな勘違いをしたのか、正直判りかねますわ。ちゃんと読んでからサインしなかったのかしら?
「おまえが伯爵だと!?」
「はい、昨日無事<爵位継承の儀>を行いまして、パシェット伯爵となりました。ちなみに後見人は、ベルクール辺境伯ですわ」
「…そんな馬鹿な……いや、それでもわしは貴族のはずだぞ!」
「お父様、あなたはまずお母様と結婚した時点で、ご実家であるボーヴェ子爵家の籍から、パシェット伯爵家の籍に入りましたの。そして、この度の新たなご結婚によって伯爵家の籍から抜けたということは、まぎれもなく平民ということです」
「………」
「ねぇ、どういうこと!なんでお姉さまがお屋敷の中に居て、私達が入れないのよ!こんなのずるい!ずるいわ!」
そんな、ずるい、ずるいと言われましても、ここはパシェット伯爵家でわたくしはパシェット伯。一方、今喚いている彼女は、平民となったお父様の再婚相手の連れ子ですので、平民です。
入れなくて当然ですのに、困りましたわねぇ……
「えぇい、こんな物、こうして……びぎゃっ!!」
あらあら、お父様ったら、それは神前契約書ですから、破いたり汚したりしようとすれば当然罰が当たりますのに、何をされているのです?わたくしは大事な契約書を手を伸ばして取り返すと、お三方ににっこり笑って伝えます。
「まぁ、わたくしも鬼ではございませんわ。あなた方は、これからは離れで暮らしていただきますから、ご心配なく。ただ、うっかり新しい伯爵家に不必要なものをすべて離れに追いやってしまいましたので、もしかしたら片付けないと、ちょっとばかり窮屈かもしれませんが、そこはご容赦くださいね」
まぁ、そこのところはねぇ、ご自身で何とかしていただかないと。
「えーーっと……エルちゃんさぁ、パパ、ちょーーっと勘違いしててね、すこーしばかり調子に乗っちゃっただけなんで……許してくれない、かなぁ??パパ、今日はもう疲れたから、おうちに入りたいなぁ……なんて……」
あら、お父様ったら、何を寝ぼけたことをおっしゃるのでしょう?パパって、誰のことです?わたくしは、すかさず先ほどの魔法陣を取り出し、魔力を流します。
『ねぇ、パパ、私、お姉さまの使っていたお部屋に住みたい!』
『いいぞ、あの娘のものは全部お前のものだ、好きにすればいい』
『やった!ドレスってどれくらいあるのかしら。宝石も…「うわーーーーーー!!!」
お父様、大声を出しても、これが消えることはないですよ。
「くそっ、くそっ、くそっ、とりあえず今日は離れに行くぞ!」
あら、ようやく、諦めがついたのかしら?
「え?パパ、私のドレスは?!宝石は!?」
「そんなもん、また今度でいいだろう!おい、そこの侍女、さっさと離れに行って風呂と飯の用意をしろ!」
あら、お父様ったら、まだ判っておられないようですわね。
「お父様、ここにいるのはすべて伯爵家の使用人ですのよ。平民であるお父様の使用人ではありませんわ。だから、誰もお父様の命令は聞きません。もっとも、血のつながったお父様と、その新しい家族を飢えさせるなどということは、わが伯爵家の矜持にかかわりますから、お食事は毎日お運びしますよ。そうですねぇ、朝食と夕食があれば十分かしら」
そう、別に迫害したり虐待するのが目的ではないですからね。ただ、自分の分をわきまえて暮らしてほしいと思っているだけです。
ギリギリと音がします。あら、お父様、そのように音がするほど歯を食いしばったりして、歯が悪くなっても知りませんよ。
ほら、奥様はさっさと荷物をもって離れに向かわれましたわよ?追いかけなくてよいのですか?
あら、あの奥様は意外と逞しそうですわね。離れの玄関からどんどん中の物を放り出しているのが見えますわ。お父様が最近お買いになった、あの趣味の悪い調度品の数々は、もしかすると近日中にでも彼女の手によって売り払われるかもしれませんわね。
なら、あの離れも少しは住みやすくなることでしょう。一応伯爵家の離れですからね、一般的な平民の家屋よりは広いですし、お風呂も付いています。
「ちくしょう…憶えてろ!こんなのは何かの間違いに決まってる!絶対にお前をそこから追い出してやるからな!わしが、わしこそがパシェット伯爵なんだ!」
陳腐な捨て台詞を残して、お父様は離れへと向かいましたが、
「お姉さま、私だけでもお屋敷に入れてください!」
この娘が残っていましたわね…
「どうして?」
「だって、私あなたの妹なんだから、当然でしょ!」
何が当然なんでしょうか?ため息が出ますわ。
「あなたはお父様の再婚相手の連れ子であって、わたくしの妹ではありませんわ」
そう言ってマルソーに扉を閉じるように促します。
「そんなわけないでしょ、私はパパの娘なんだから!わたしは伯爵令嬢なのよ!なんでこんな…」
何やら叫んでいるようですが、扉が閉まったので、もう聞こえません。
「……ぶふっ……ふ、ふぇっ……ぷっわし…はく…だ…て…ふっ……」
今聞こえているのは、いまだにしゃがみ込んだまま痙攣しているジジの両手の隙間から漏れ出る音ぐらいですね。
あぁ、それにしても本日は何かと騒がしい一日でしたわ。食事を摂った後は部屋で静かに本でも読みながら過ごすことにいたしましょう 。きっと、明日も騒がしくなるでしょうからねぇ。