Session01−00 旅立ちの日に
Session01-01を加筆修正しております。
宜しければ、そちらもご覧下さい。
豪奢な部屋の中に、男が一人立っている。
その視線は、窓の外を見ていた。
男の名は、コンラート・ベルホルト・フォン・ベルンシュタイン。
この屋敷の主人である。
金糸の海の如き髪の中に、銀糸の川が一条、二条と流れ、彼がそれなりの歳であることを感じさせる。
「……遂に、この日が来たか。」
彼はそう呟いた。
その視線の先には、彼の屋敷の門の前に外套を羽織って、傘を差して立つ女性がいた。
雨が降っている。
夏の天気は変わりやすいと言うが、急激に暗くなり、そして雨が降り出した。
雨粒も大きく、勢いも強い。
旅立ち……というタイミングとしては、あまり宜しくはない。
『十五の誕生日と共に、俺は家を出ます。』
今日が、その日であった。
女性が傘を一度閉じる。着ている外套とフードに雨が当たり始める。すぐに雨が滴り始めるのが遠くからでもわかる。
そして、女性はフードを下ろした。その下から現れたのは、金糸の海の様な豊かな髪。それを、後ろで三つ編みにして、首に巻き付けている。
その額には一本の角。彼女は、鬼人族と普人族のハーフだった。
彼女の名は、アイル・コンラート・フォン・ベルンシュタイン。
彼……コンラートの三男であった。
彼女は、コンラートの執務室の方へ身体を向ける。
彼にも、彼女が自分の方へ身体を向けたことがわかった。
そして、彼女は深々と一礼をしてみせる。
どれだけの想いが、どれだけの感情が含まれているのか。どれ程の時間が経ったのか。一分ほどでしかなかったかも知れない。
深々と倒した身体を起こし、フードを被り直した。そして、手に持った傘を開き、門を出て行く。
振り返る事もせず、ただ、前へ歩いて行った。
その姿を見て、彼は五年前の事へ想いを馳せる。
◇◇◇
『父上!!……俺をハルとナツとの結婚の候補から外すとはどうしてですか?!』
執務室の扉をぶち破るかの勢いで、少女が入ってくる。
金糸の海の如き髪を肩で切りそろえ、額には一本の角。
胸はささやかではあるが自己主張をしており、身体の肉の付き方からしても、女性としての丸みが見て取れた。
誰から見ても、美少女と言えるような美貌であった。
執務机に両の手を叩きつけて、椅子に座る父と呼んだ男に彼女は訴えかける。
その言葉に、男は冷徹な瞳を向けて応えた。
『……その肢体で、男と言えるはずがないだろう。』
『……!ですが、俺には男の物もあります!女と言う事もできないはずです!!』
『厳密に言えば、その通りだ。……しかし、お前の肢体は外から見たら女だ。因果を含めて分家や家臣に降嫁する分にはどうとでもなる。だが、男として……貴族としての責務を果たすことには問題がある。
アイル。男としての……ベルンシュタイン家の三男のアイルはもういないのだ。』
『……ハルとナツの事は、どうなりますか?』
『本来なら、お前の側室として二人を娶らせれば、お前の母の血の事もあり一番良かったのだがな。
ジルクとボルドーのどちらかに娶らせようと考えている。』
ハルとナツは、ベルンシュタイン家と交流のある、鬼人族の三部族の内、二つの部族の長の娘だ。
ベルンシュタイン家は、紅葉の国の辺境伯を拝命しており、その役目の一環として、三部族の取り次ぎをしている。
一つの部族から側室を貰い、生まれたのがアイルだ。その付き合いで、ハルとナツとは幼馴染みと言えるくらい親しい。
ジルクとボルドーは、コンラートの子であり、アイルの兄である。ジルクが長子、ボルドーが次子。そして、アイルとなっている。三人の中は良好で、出来た弟を二人が可愛がっているという状態だった。
父親……コンラートは、アイルへ現実を告げた。
貴族の子というだけで、貴族間で交流をしなければならない。特に、嫡子として継がずとも、分家として独立させるとしても、今回の目的から爵位を持たせねばならない。それだけで晩餐会や夜会など、様々なしがらみが生じる。
そこに、今の姿で男として参加することはまず出来ない。
見た目はどう見ても女性のため、しっかりとドレスを着込めば何とかなるであろう。
コンラートは、アイルにとっては辛いであろうが、それでも一番波風が立たずに済む方法を考えていた。
付き合いのあった貴族家……特に付き合いの深いところには連絡をしてコンラート自身が謝った。
アイルの肢体についてを伝える事ができないため、ただ、謝ることしかできなかった。
そんなコンラートの考えや、手回ししていることをアイルは知る由もない。
『……俺では、どうしてもダメ……ですか?』
『……貴族の家長として動ける立場でなければ無理だ。
ジルクやボルドーは、ベルンシュタイン家の長子、次子としての立場で様々な会合に出ることが出来る。
今回の結婚は二つの部族の折衝役となる事が求められる。二つの部族の代理になれなければならないのだ。
……今のお前では、それができない。だから、無理だ。』
『俺が一家を興せば良いという事ですか?』
『……そうだな。
お前が叙爵されて一家を興せば……その肢体で貴族として存在することが認められたというわけだ。お前自身の力で興した家であれば、価値がある。
お前が何かしらの功績を上げ、王もしくは、別の貴族家より……そうだな、男爵以上に叙爵されたなら仲介しよう。』
『……男爵以上……。』
紅葉の国を含む、殆どの国の貴族は次の通りの位がある。
騎士爵、男爵、子爵、伯爵、辺境伯、侯爵、公爵の七通りが基本だ。
騎士爵は名の通り、騎士に任命された者がなる。基本は一代限りであるが、状況によっては爵位を継ぐことが許される時がある。
男爵、子爵については二通り存在する。封土を与えられた貴族家と、現金もしくはそれに準じる物を知行として受け取る法衣貴族家である。
男爵は平均五千石〜一万石相当。金貨支給だと、五十枚〜百枚。
子爵は平均五万石〜十万石相当。金貨支給だと、五百枚〜千枚。
伯爵以上は、必ず封土を得る立場となる。
伯爵は平均二十万〜三十万石。
辺境伯は伯爵と同じくらいだが、非常時において、与力として付けられた貴族家の指揮統率権を与えられ、軍事力としては最大五十万石相当の兵を動員する権利を得る。平均的な動員力としては、百石ごとに一人。三十万石であれば三千人程である。
侯爵は十万石〜十五万石程ではあるが、その代わりに、王都に近い場所であったりと権勢に近い者が多い。
公爵は殆どの場合、知行払いになる。王の親族が婿入りする先として存在していることが殆どであり、最低でも金貨千枚以上を知行として与えているのである。
騎士爵は比較的に成ることは容易い。
容易いと言えども、騎士としての実力、人物評価、そう言ったものが揃っていてこそ、成ることが出来る。
腕っ節だけで成れる物ではない。
騎士は家臣であり、家臣は君主の鏡である。
腕っ節だけの礼儀も知らない者を騎士として雇用して、問題が起こったら、その騎士の問題だけではなく、雇用した君主の問題になるのだ。
礼儀を学んでいるが完璧ではなく、時折間違えてしまうというなら分かる。
ただ粗野なだけの戦士なぞ騎士には成れない。しかし、騎士になるには様々な武器に精通し、礼儀作法も知らねばならない。なので、なれる者はそんなには多くないのだ。
男爵ともなればもっとだ。貴族家の当主として、他の貴族家と交流をしたり、国を代表することもある。
なので、生半可な事で成れる者ではない。
『騎士爵では取次という役目を果たし続ける事ができん。
せめて男爵……できれば子爵は欲しいな。それが出来ないなら、無理だ。諦めなさい。』
『……くっ……。
父上……!!
伏して……伏してお願い申し上げる!!』
アイルはそう大声で口にすると、絨毯の引かれた床に両膝をつき、頭を付けるほどに下げる。
『……言って見よ。』
『どうすれば、男爵に成れるか教えていただけまいか!』
『……大きな手柄を上げねば、まず無理だな。
従軍し、敵将を討ち取ったり、敵方の城を攻め落としたり……。
冒険者として”迷宮”の攻略や、ドラゴンを退治するとかだな。
……レンネンカンプ辺境伯領にある”チョトー地方”を解放、攻略できれば男爵は堅いだろうな。』
『……父上、俺は、今まで男として育てられてきました。
それが、今の肢体になったから女として勉強をしろと言われても納得ができません!!
元から女だったなら、別の貴族家に嫁ぐなり、彼女らと結ばれないことは納得出来ます。
だが、俺は体つきが変わった以外、変わっていません!なのに、娶るという事が出来ないのは納得できないのです!!』
『……続けよ……。』
『今までは男として、武芸や礼儀作法を学んで参りました。それを続けさせてください。
……それに、父上の仰った様に女としての勉強も致します。どちらも疎かにしないことを誓います。
その上で、お願いがございます!冒険者になるためにも、秘術魔法や武術の師となってくれる人を呼んで学ばせて欲しいのです!
十五になり、冒険者になるまで、学ぶ時間をいただけませんでしょうか!』
コンラートの片眉が上がる。
これまで、お願いと言った事をした事がない子だった。
その子が初めて望んだのが、秘術魔法や武術の師なのだ。
『父上が仰った通り、俺の希望のためには爵位を得るしかないでしょう。そして、それを成す為に一番近い方法は、冒険者になるしかありません。
十五の誕生日と共に、家を出ます。冒険者となれる十五歳になるまでの間、修行をさせて頂けませんでしょうか。
先程も申し上げました通り、今までの勉強、女としての勉強、その上で修行致します。何卒、お願い致します!!』
『……五年間、私が用意した最高の教師の下で、音を上げず、教師を失望させず、自身の力にすることを誓えるな?』
その言葉に、アイルはガバッと頭を上げ、自身を見つめるコンラートの瞳を見つめ返した。
その瞳には、燃えるような意志が宿っていた。
『はい!』
『先祖から伝わる、この剣に誓え。』
『我、”アイル・コンラート・フォン・ベルンシュタイン”は、十五の誕生日まで与えられる指導を全てこなすことを誓います。』
『……破った場合、到達できなかった場合、その剣で自裁を命ずる。……その剣はお前に預ける。』
コンラートは飾ってある伝来の剣を鞘ごと掴み、アイルへ投げて寄越した。
それをアイルは両手で受け取る。先祖伝来の魔法の剣だ。それをアイルへ、”期間を指定せず”預けるのだ。
”その剣に相応しい者に成れ”。そして、それに成れなければ願いは叶わない。
そう言ってくれているとアイルは気づいた。
『……謹んで……お預かり……致します!』
『……女の勉強をする以上、髪は伸ばせ。
お前の師となる人は、責任を持って用意する。
楽しみにしていろ。』
『……はい!!』
涙ぐんでいたアイルが、天真爛漫な笑みを浮かべて、大きく頷いた。
◇◇◇
「あの時から、五年か。
時が経つのは早いな。」
「……そうですわね。あなた。」
コンラートは、声の主へ向き直る。
そこには、美しい黒髪を綺麗に結い上げた二本角の鬼人族の女性がいた。
その顔には優しげな笑みが浮かんでおり、瞳は慈しみの光が湛えられていた。
「……ツバキ……君との子供に、酷いと思うかね?」
「……あなたがあの子の為に尽力なさったのは伝わってます。……あの子にも。それに……。」
「……それに?」
「あなたと私の子が、英雄譚として語られるかも知れない……。素敵じゃありませんか?」
そうツバキは口にすると、コンラートへウィンクをして見せた。
その茶目っ気たっぷりな言い方に、笑い声を上げてしまう。
「……そうだな。あいつが求めることをしたら、英雄か!」
「ええ。”迷宮”を踏破した英雄……英雄の前途には難事が待ち構えてるものですから。」
「……その旅立ち……ならば、この天候は天啓か。」
「……あなた、旅立ちを祝いませんか?」
にっこりと笑みを浮かべる。
その笑みは一片の曇りもなく、心配の陰は見えなかった。
その笑顔を見て、コンラートは大きく笑った。ここまで、心地よい笑いはいつぶりか。
執務室の壁にある棚からワイン、そしてグラスを二つ取り出す。そして、それを執務机に置いた。
ワインの栓を抜き、グラスに注ぐ。
「これは、アイルが生まれた歳のワインだ。できれば、あいつの成人と共に吞みたかったが……。」
「……私では、役不足ですか?」
頬をぷくっと膨らませて怒ってみせるツバキ。
その仕草に吹いてしまう。
役不足なんてとんでもない。
「君と、あの子の門出を一緒に祝えることを神に感謝しているよ。」
「では……一緒に祝いましょう?」
「ああ……!」
ワイングラスを互いに手に取り、コンラートはツバキを抱き寄せる。
そして、アイルが向かうであろうレンネンカンプ辺境伯領のある方向へ向き、グラスを掲げた。
「「我が子の門出を祝して。」」
掲げたグラスの中身を、一息で飲み干す。
二人はしばらくの間、我が子の歩いて行った方向をただ、ただ、見送るように見つめていた。
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加藤備前守