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掌編置場

手向けの花

作者: 須藤鵜鷺

 風は南の方から穏やかに吹いているようだ。数日前に満開を迎えていたと思われる桜は、はらはらと儚い花びらを散らせている。今年は花見もろくにできなかったから、この花たちは栄華を誇る相手を持たぬまま、誰の記憶にも関わらぬまま、静かに失われていくのだろう。

 今この腕にあるのは桜ではなく、花屋で見繕ってきた花たち。花束として売られているものはどうしても辛気臭さが拭えなくて、あの人には似合わないと思ったから。メインに据えた白に近い薄桃色のバラは、ソメイヨシノの花の色とよく似ている。まだ蕾のものを選んで、チューリップも入れてもらった。あまりにも早く、あの人を送ることになってしまったから、花もこの心も追いつくことができない。

 リボンを解いて、花束を包んでいる透明なセロファンをはがす。手向けるためにやってきた川辺で、思わず立ち止まった。

 あの人の後ろ姿が、川辺に植えられた桜の袂に見えた。息をのんだ。今までなんだか感覚がなくて、ぼんやりとしか世界を捉えられなかったのに、急に覚醒したみたいに。思わず呼びかけそうになる。もういないはずの、ありえないその姿に。それが心の名残が見せる幻だと、頭のどこかでわかっているはずなのに。現実と非現実が、そっくりひっくり返ってしまったみたい。

 桜の花びらが、はらはらと舞う。あるものは川の水面に。あるものはどこまで吹くともわからぬ風の中に。

 幻想の桜吹雪のなかで、ゆっくりと、あの人が振り返る。動きの全てを奪われたように立ち尽くしているこちらの姿を見定めたかのように、視線はぴたりと止まる。

 あの人は、笑った。最後に会ったあの日と変わらぬ優しい顔で。

 瞬間、少し強い風が吹いた。一斉に散っていく桜と共に、この腕に抱えていた花たちまで吹き飛ばしてしまった。春の薄青の空に色を撒いたように散り、やがて目では追えないほど遠くへと飛び去っていった。視線を戻しても、もうあの人の姿はなかった。風はしばらく吹き続けて、視界を遮る涙さえも吹き飛ばしていく。それでも川辺の桜はモザイクみたいに輪郭がぼやけて、もうはっきりと見えることはなかった。

 最後まで、あの人は優しかった。受け取られることのない花の想いすら残ることのないようにと、全て持ち去っていったかのよう。この胸の痛みがやむまで涙は止まらないだろうけれど、いつか笑えるように。たくさんの笑顔をくれた、たくさんの人に愛されたあの人のためにも。


 

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