思ってた天使とちがう
ファミレスを出た後、満腹になった俺達はアパートへと返ってきた。
「わたくしにベッドを譲りなさい! 『ねっと』とやらでは常識でしてよ!」
「明日も仕事があるんだよ! 床でなんて寝てられるか!」
「一日くらい我慢なさいな!」
「そっくり返すぞこの女!」
そう、俺達だ。イクシエルも着いてきた。野宿はイヤだし、お金も無いと泣きついてきたのだ。
『このままではわたくし、カラダをおじ様方に売る他ありませんわ!』
などと言われて断れる男は居まい。しょうがないので泊めてやろうとした結果がこの様だ。早くも後悔し始めている。
「強情ですわね。ハッ! まさか、わたくしと同衾を狙って?! 隙あらばこの魅力溢れる肉体を好き放題……」
「いや、それはないな」
「なんっっで即答ですのよ!」
「だってお前胸ないし」
「…………」
あれだけ威勢が良かったのにすん、と体育座りして塞ぎこんでしまった。罪悪感が凄まじい。
「お、おい」
「……」
「悪かったって。言い過ぎたよ。なくはないもんな」
「……ぐすっ」
「あー! ある! ちゃんと立派にあるから! ベッドも使っていいから! な?!」
「…………」
顔だけ上げて、潤んだ目でこちらを見上げるイクシエル。口を開けては閉めるを繰り返し、時折口の端が震えている。やべえよガチ泣きじゃんこれ。
「げ、」
「げ?」
「玄関の端で、寝てくださいましね…?」
「…………」
こいつマジ?
ちゃんとお嬢様の言い付けどおりに玄関の端で布切れ被って寝ました。会社でちょくちょく寝泊りした経験からか、思ったより身体は痛まない。
「ん…?」
備え付けのキッチン、つまり頭のすぐ隣からいい匂いが漂ってくる。
「お早うございます。もうすぐ朝食が出来上がりますわ」
「お前、料理なんてできたのか」
「うふふ。多少は、ですけれどね」
そう言って機嫌が良さそうにフライパンをゆする。あれ、あんなフライパン買ったっけかな?
まあいいか、出社の支度に取り掛かろう。5分程度でシャワーも済ませた。丁度歯を磨き終えた時に声が掛かる。
「出来上がりましたわ。早くしないと全部食べてしまいますわよ」
俺は急いで戻る。あいつなら本当に食べ切りそうだ。
「おお……」
普段パンとジャムしか乗らないテーブルには、色とりどりの料理が並んでいる。
朝はあまり食欲の湧かない俺でも、思わず唾を飲み込むくらいにそそる香りだ。
「これ全部お前が作ったのか?」
「もちろんですわ。さ、いただきましょう」
「いただきます」
まずは野菜がごろごろ入ったシチューから。どう調理したのか、野菜の青臭さと牛乳の生臭さが欠片もない。
スプーンでジャガイモと一緒にすくって口に運ぶ。
「……うん」
「ふふっ。言葉に詰まるほど美味しかったのでしょうか」
「いや、普通……」
「普通?!」
他の料理も同様に、繁華街に行列ができそうなほど芳醇な香りから想像を絶する普通な味だった。なんだこれ。
「あむ。普通だ、普通すぎる……」
「普通普通言わないでくださいます?!」
「いやだって」
普通に詐欺じゃん。
「くっ! いずれ美味しいと跪き啜り泣かせてやりますわ!」
「もう目的がどっか行ってるぞ。おっと、もうこんな時間か」
気付くと自宅を出る時間だ。なんだか1人の時より朝が短く感じる。
「じゃあ行ってくるよ。朝飯ありがとうな。普通だったけど」
「だから普通って! ……ふふ。いってらっしゃいませ」
ひとりで無い朝は、とても充実しているように思えた。
『現在、中央本線は線路上に出現したダンジョンの影響で運転を見合わせています。復旧の目処は立っておりません』
「……帰るか」
上司にブチ切れられつつも、ひたすら謝って有給をもぎ取った。
「ただいまー」
「おかえりなさーい。クビになりました?」
「なんてことを言うんだ」
ベッドの上でポテチを食べながらなんてことを言うんだこの娘は。しかも横になって、パソコンで動画を見ながら。まるで休日の俺じゃないか。
「線路上にダンジョンが出来てて電車が止まってたんだよ」
「何をおっしゃってるんですのぼりぼり」
「俺も分からん」
こいつが天使だってこともそうだけど、突然ダンジョンとか言われてもピンと来ない。ゲームのアレみたいなものなのだろうか。
「電車が止まってるならタクシーで行けばよろしいでは無いですかぼりぼり」
「そっち?」
電車で2時間の距離をタクシーとかいくら掛かるか分からない。会社への忠誠心が皆無な俺は御免被る。
「そんななら会社を辞めてしまえばよろしいのですわぼりぼり」
「辞めたら生活出来ないじゃんか」
「問題ぼりございませんぼりわ。どうせぼり地力が無いぼり企業は大半が消えぼりましてよ」
「ぼりぼりうるせえなこいつ」
「ぽりぽり」
「可愛くしてもダメ」
「はい」
抱えていたポテチを脇に置いて身体を起こした。凄く嫌そうに。ところで擬音を操るってどうやるんだろうか。
「それで、企業が消えるってのは?」
「ダンジョンでモンスターを倒して得られる魔石や素材で、軽い産業革命が起きますから」
「例えば?」
「手のひらサイズの魔石一つで積載限界の8トントラックが1000km走る、と言えばお分かりになりますわよね」
石油もレアアースも腰を抜かす資源なんですってよ奥さん。マジでゲームか何かかよ。
ちなみに電波も魔力波に取って代わられるらしい。いち早く研究を進めれば通信業に新規参入できると言っていた。薄給の俺に研究費を払えるほど資産は無いから無関係だ。
「あなたも探索者をやられてみてはいかが?」
「探索者?」
「ダンジョンに潜って魔物を狩る仕事ですわ」
「でも血なまぐさいのはなあ」
「畜産家の方の前で仰ってみなさいな」
「俺が悪かった」
俺やコイツが美味い肉を食えるのも、家畜を育てて屠殺している人がいるからだ。そう考えると普段気付かないだけで、死はかなり身近なのではないだろうか。
「それに、どうせゆくゆくは戦うハメになりますわ」
「なんでだ?」
「言いましたでしょう、世界は交わったと。魔物がいるのは何もダンジョンだけでは無くてよ」
「まさか、街中を徘徊するようになるのか?!」
「当然ですわ。先ほど通った森の中にもうじゃうじゃ居ましたし」
「おい」
それはマジでシャレになってない。一歩間違ったら俺はファミレスに行く途中で死んでたんじゃないか。
「わたくしと居る間は心配ご無用ですわ。それに、すぐうろつくようになるわけでもありませんし」
イクシエルの話では縄張り争いが激化したり、食料等が豊富にあると知られてしまうと出没するようになるらしい。逆に言えば知られていない間は始めてみる街灯なんかを警戒して出てこないようだ。野生動物と似たようなものか。
「まあ、死にたくないのなら早めに覚悟することをお勧め致します」
「……俺は何をしたらいいんだ?」
「あら、お早いこと。あまりせっかちでも女性に陰口を叩かれますわよ、早漏」
「妙に生々しいことを言うんじゃない」
「ま、それは置いときましょう。貴方の下半身事情なんて汚らわしいもの、カケラの興味もありませんし」
「言い出したの自分だろ」
本当になんなんだコイツは。天使ってみんなこんな奴なのか? 失望したぞ天界。
「では、とりあえず」
ベッドに掛けていた腰を上げ、床に座っている俺へ向かってくる。前屈みになると人差し指でつん、とおでこをつつく。瞬間、サウナの数倍の暑さが体を襲った。
「あっぢいいいいいい!!」
「騒々しいですわね。死にはしないのですから静かになさいな」
「んな無茶な……あれ、なんともない」
「当然ですわ。魔力を馴染ませただけなのですから」
「魔力?」
「ええ。人の身のまま戦うのには欠かせない力です」
言われてはっと気付く。つい先ほどまでは普段と何も変わらなかったが、今は周囲に漂いまた体中を駆け巡る魔力を熱として感じ取れる。
微笑むイクシエルから急激に現実を押し付けられ、俺は呆然と見上げることしかできなかった。