迷宮である塔の中での暮らし。
ミスティア・ハークレン──この国、ハークレン王国の第四王女。
稀代の筆頭宮廷魔術師であり、宮廷錬金術師の名を欲しいままにしている──王国始まって以来の天才魔法使いだ。
腰までのさらさらとしたオレンジ色の髪に紫色の瞳が美しい美少女魔法使い…だが、彼女は6歳の頃からこの最古の迷宮とも謳われる、このラジエルの塔に住み着いてからは終と“人間の”来訪は悉く退いてきた──“依頼”で商品を受け取りに来る客は別だ──が、140㎝の身長に21.5㎝しかない靴のサイズ、胸はB75㎝…と小さな体躯にはややアンバランスな魅力を万年黒ローブで覆い隠しているのは少々勿体なくもない──
「千早と真人はルクソー村に出張したっきり帰ってきてないのね?アンチョビ」
『はい、主人様…思ったより時間が掛かっているようです。人間とは面倒ですね…森ごと焼き尽くして仕舞えばよろしいのに』
「アンチョビ…それ、誰も住めなくなるから。村の人達が困るから」
『食物でしか糧を得られない人間のなんと惰弱な事か…』
「…いや、アンチョビ?それ、主人も含まれるのだけど…」
『主人は別格です。我ら精霊からすれば他者の生命を糧にする人間は弱く脆い未熟な生命体です』
「生命体って…アンチョビは相変わらずの人間嫌いね」
『はい、主人以外の人類等明日にでも全て滅びて欲しいです。』
即答する水色の髪の美女──彼女は四大精霊…地水火風に連なる“水”を統べる水精霊王、アンチョビ…精霊である彼女等と契約する際に名を付ける必要がある。
「…アンチョビ、実行に移してはダメだからね?」
『……はい、それがご命令でしたら…大人しく従いましょう。』
身長180㎝、バストD90㎝の水色髪の美女は人間で言う所の20代前半に見える顔立ち、容姿をしていた。
肌は張りがあって瑞々しい…白地に青のラインが所々入るワンピースは彼女に良く似合う。
非常に不本意そうな承諾…基本はミスティア以外はどうでもよいと言葉にも態度にも表す彼女はミスティアと契約を結んだ10年前から片時もミスティアの側を離れなかった精霊の一人だ。
ラジエルの塔──元はS級迷宮であったこの場所は10年前──一人の魔法使いと転移者である男女を連れた奇妙なパーティがものの数時間で攻略し、迷宮を手中に納めた。
一人は魔法使いの王女様。
彼女は四大精霊と契約を結び、神狼を駆って迷宮を踏破し、自身も喪われた古代魔法を駆使して転移者の男女──真人と千早と共に罠も仕掛けも悉くを踏破した。
後衛の魔法使い(ミスティア)と前衛の二人…非常にバランスの良い冒険者パーティである。
「…まあ、あの二人なら大丈夫でしょう。たぶん。」
同時6歳で困惑していた五十嵐千早と斎藤真人を精神的にも物理的にも支えたのはミスティアだ。
彼女の願いを聞く形で従わせたハークレン王──まあ、ミスティアの父だが──に色々と便宜を図らせた。
…出逢って数日で友人の地位を確立、数週間で並み入る騎士団の猛者相手に訓練をさせ、数ヶ月で冒険者登録して金を稼がせる方法を教えた。
…冒険者とは国境を持たない民達の互助会──みたいなもの。
依頼を受けて魔物を狩ったり、薬草採取や魔鉱石の採掘、迷宮品の採取・調査…時には盗賊の討伐や賞金首の始末・捕縛なんかも報酬次第で請け負う組織だ。
登録は子供でも可能だ。
何も荒事ばかりが冒険者の活動ではない。
街や村の中での活動もある──例えば溝浚いとか。飲食店のホールスタッフとか。どこどこにこれをこれだけ買って持ってきてくれ、とか。そんな依頼もあるのだ。
…そして半年でラジエルの塔に挑戦出来るようになった。
S級迷宮──当然踏み込めるのはSランク冒険者、最低でもAランク冒険者のパーティでないと立ち入りは許可されない。
それだけに危険な所だ。
「…エリクサーの製造が終わったし、次は冷蔵庫を作りましょうか?真人がこれで冷やしたアイスが食べたいって言ってたわね」
五十嵐千早も斎藤真人も別の世界──地球からある日突然に“落ちて”きた〝迷い人〟だ。
身一つで王城のテラス──当時6歳のミスティアが母と幼い弟妹達と一緒にお茶会をしていた。
『…あら?“迷い人”ね。こんにちは』
…それがミスティアの突然現れた二人に最初掛けた言葉だ。
『!?ここ、どこ…っ!?おれ…父さんと…釣りに…』
『!?あゆな…みな…っ!?』
『…落ち着いて…って言っても無理ね。どうしよう?母様…』
『あらあら…まあまあ。なら、ミスティが面倒を見てあげては?』
『私、ですか…?』
訝む当時のミスティアに母コレットは穏やかに微笑んだ。
『この二人をあなたのお友達として、従者として“きちんと”従えせてみなさい』
『…ッ!はい、母様!!』
温厚で優しい常に温かく子供達を見守る賢母──それがコレットではあるが、殊更自身の子供達には王族として、娘として、息子として言葉にも態度にも接してきた彼女の『課題』…それが二人だった。
戸惑いと困惑と未知の場所にいきなり来てしまった恐怖と不安で混乱していた同年代の二人にミスティアは根気強く接した。
…二人は話を聞いてこの場所は何なのかと訊かれ王城であると答え二人が暮らしていた国とはまったく違う国、世界であると…根気強く説明して。
二人が“迷い人”であり、意図したものではないとどうにか説き伏せて。
寝食を共にし、風呂にも一緒に入った。
二人は“迷い人”の特徴で黒髪黒目の平べったい顔立ちで、言葉を教えなくても理解している。簡単にこの国の歴史と周辺地理を学ばせて。
この国の──と言うか大陸で広く使われている貨幣、スフィアについても説明して、冒険者のシステムを話して聞かせた。
何れ冒険者となって生活の糧を得るのに必要な知識、武術を鍛えて。
…剣や魔法のある世界だと知った二人は暗かったこれまでが嘘なくらいに明るくなった。
…なった──が。
それは空元気だった。
…それでも鍛練に打ち込んでいる二人は壊れそうな心をどうにか繋いでいたのだろう。
「…それを“アレイオス・ハークレン”は突いたんだ!私の大事な親友を…大切な幼馴染の二人を…攻め立てた…絶対に許すものかっ!!」
苛立ち混じり吐き捨てて、ベッドに拳を振り下ろす。
当時を思い起こしても…あの時の二人の表情が、傷付いて力ない声にならない声は未だにミスティアの精神に重石として圧し掛かっている。
二人はもう気にしていない、と。
だからお父さんを許してやれ、と言われても…。
ミスティアは許さない。
狭量だと何度詰られても。
「絶対に許すものか!あの御敵ッ!!」
幼いミスティアからすれば“初めて”育てる従者で異世界人と言う珍獣──もとい友人を不用意な発言で傷付けた男をましてや人の父の癖に気遣いに欠ける己が父を目の敵、御敵と憎み恨んでも仕方ない事だろう。
…そして、このラジエルの塔が当時古代人も住んでいたと言う火の精霊王の言葉に従ってここを居住地にしようと目論んだ。
結果はこの通り。
数時間で下した迷宮に移り住んだ。幼馴染の二人と共に。
…ここを拠点に住みやすく改良して、迷宮は迷宮でそのまま機能している。
──地下空間は巨大迷路のようになっており、アレイオスはその地下迷路を越えてきた事になる。
そして…1階で罠に嵌まりくしゃみが止まらなくなる毒に遇い強制退場されている──毎日。
…そして1階からは転移陣が敷かれ、居住区である60階~100階までは直通コースと応接室までしか立ち入れないミスティアが作った特別な許可書で管理されている。
当然、アレイオス・ハークレンは許可していないので毎回地下迷路を徒歩で赴いて1階の大広間で罠に嵌まりくしゃみが止まらなくなり、強制退場している。
毎回の事なのでアレイオス・ハークレンも慣れたものなのだろう。
…そうは言っても1階からは塔の上の姫君の領域──いつだってどこだって自由に罠を発動出来る。
くしゃみが止まらなくなる以外にワライタケの胞子で笑い上戸になる、玉ねぎ爆弾で涙が止まらなくなる、ラフレシアマーダの樹液で数日間卵が腐ったような数日生ゴミを夏の日に放置したような匂いが取れなくなる、超ブスだと言われている魔物、ラフレシアンガールに数日間口説きたくなる呪い…等多数の嫌がらせ──コホン。…罠が設置されている。
尚、これら以外の対暗殺者・対間諜の場合は強固に張った魔女姫お手製の結界で完璧に完全に弾いている。
59階までは迷宮であるラジエルの塔のダンジョンマスターの管轄、昔ミスティアに敗れて60階から上を取られた。
…今ではラジエルの塔の同居人?ご近所さん?…な関係だ。
「…エンリケ~そっちはどうなの?」
「どう、とは?」
皮張りの黒檀色が美しいソファに腰掛けているのは黒ローブの少女と、対面に座る銀髪の人間の20代前半に見える美青年は藍色の瞳を少女に向ける。
「なんか面白い冒険者とか居た?」
一拍置いて。
「…変わらんな」
とだけ口にして、紅茶のカップを傾けた。
甘く芳しい薫りが鼻腔を擽る。
今日の作業は終わったようで、ミスティアはいつも決まった時間にティータイムを気の良い友人や知人と過ごしている。
…ダンジョンマスターは厳密に“人”ではないが。
静かな低い声が淡々と呟く。
ミスティア達に敗れてからもダンジョンマスターを続けている現状を見れば解るが──ミスティアは彼の引いてはラジエルの塔の心臓部でもある“コア”の破壊は行わなかった。
「そう…まあ、ここS級指定の超難関迷宮だものね~早々来られてもエンリケが大変か」
「そうでもない──お前が特殊なのだ。
誰が6歳の子供3人に殺られるケルベロスが居る?
誰が子供一人一人で狩られるキメラが居る?
誰が子供と侮った死の王が聖属性の魔法で試し撃ちとばかりに甚振られるなど誰が信じられる?
私は初めて見たぞ、死を恐れない不死の王が泣きながら“殺してくれ”と懇願する様を。
…それに古竜が開始数分でお前にテイムされた。
何故だ?マスターは私なのに…あと死の操り人形を怒らせて弄ぶのは辞めてやれ…あれ以来黒いローブの人間を見掛けるとコンマ1秒で避けるようになったんだぞ?…マスターは私なのに避けている時は私の命令にも反応しない」
2度も“マスターは私なのに”と言った…相当闇が深いようだ。
「懐かしいわね~そんな事もあったかな?」
当時を懐かしむように目を細めて笑みを浮かべるミスティアは確かに美少女だ。
それなりに着飾れば良いのに──着替えるのが面倒と言って常にローブを何着か着回している。
ローブの下はブラジャーとパンツ、膝上丈のインナーのみ。
別にローブを脱ぐ訳でもないから、外出時も基本このスタイルだ。
「またお前はそう言って…いや、もう過ぎた事だな」
「そうね…エンリケとの付き合いも10年か…この10年、色々あったわね」
「ああ…退屈な私の日常にお前が侵入して10年…この時間は私にとっても迷宮にとっても未知の出逢いだった。」
まったりと紅茶を飲む美青年と美少女…会話の内容は見た目にそぐわない老人然としたものだが。
縁側で老夫婦が『ほっほっほっ』と笑いあっている光景が浮かぶようだ…。
【ラジエルの塔部屋割り】
最上階:ミスティアの作業室兼私室
リビング30畳、寝室10畳、バスルーム10畳、トイレ5畳。
1LDKに一人暮らし
65階:605号室に千早、606号室に真人が在住。
リビング20畳、寝室10畳、バスルーム10畳、トイレ5畳。
1LDKの一人暮らし。どちらも間取りは一緒。完全防音で隣の部屋の音は一切漏れない──ベランダ以外は。
どちらも日本に居た頃の都内にあるマンションのような造り。
73階:703号室にエルフの精霊術師、アイオーンが永住している。
優秀な植物学者でもあり、80階に自分専用の研究室を貰っている。
80階:研究区画兼遊戯施設。
カジノや円形ホール、カラオケ施設や映画館、図書館やビリヤード場、酒場やバーカウンター、温泉施設やトレーニングルームまである。カフェやレストランもある上に土産屋まである。
研究区画は4ブロックに分かれているが──互いの敷居はなく、出入りも自由──ただ、研究内容の持ち出しは厳禁。
魔道具製作部門、術式考案部門、製薬部門、召喚術部門の4つ。
90階:商談エリア。応接間と客間が3つ、執務室も併設されているエリア。
精霊王の眷属である精霊が給仕を行うので皆特殊な魔道具を装着して客の応対をしている。
不埒な事をしようとしたら、遠慮なく叩きのめせ、と精霊王や魔女姫からも許可されているので、彼ら彼女らは報復に躊躇がない。
そして、そんな失礼な相手は出禁。
魔女姫は別に困らない。そもそもが姫だし、権力も金にも困っていない。
心地よい引きこもり生活が出来ればいいので、そこまで商談に前向きではないからだ。