受け継がれしビーフシチュー
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「おぉ、来た来た。やはり、この店の看板メニューはナポリタンだと、私はそう思いますよ」
注文した皿がアンティーク調の机の上に置かれると、私はマスターにそう言った。
太くて柔らかめのもっちりした麺に自家製の継ぎ足しソースがしっかりと絡んで、これがまた絶妙に美味い。
小さい頃に父にこの店へ連れてこられてから、私はこのナポリタンの虜になってしまった。十六歳になり、働き始めてから五十年間、週に少なくとも二度は、欠かさずこのナポリタンを食べに来ている。
「いつも言っている通り、うちの看板メニューはビーフシチューですよ、お客さん。創業以来八十年間、変わっていません」
「そうは言っても、私ももう歳ですから。二つもいっぺんには食べられませんよ。若い頃ならともかくとして、今、此処へ来て何を頼むかと聞かれれば、私は迷わず『ナポリタン』と、そう答えますね」
ナポリタンも創業当初からあった、人気メニューらしい。ただいつも、看板メニューとして真ん中に大きく名を連ねているのは、どうしてかビーフシチューだった。
「何かビーフシチューに、思い入れががあるんですか? 」
今まで疑問に思っていたが、口には出さなかった事を言葉にする。
「はぁ、なんと言いますか……私が父から教わった、初めての料理なんですよ、ビーフシチューは。同じく父にとっても、祖父に初めて教わった料理だったそうで。祖父が切り盛りしていた間は、前の月に一番人気のあった品を看板メニューとして出していたらしいのですが、そんなこともあって、父の代からはビーフシチューに固定しているんです。三代で築いた証と言いますか、なんと言うかこう……そんなものです。もちろんナポリタンも、看板メニューに匹敵する、自慢の品ですよ」
「なるほど。そうだったんですか―― 」
ナポリタンが看板メニューになれない理由を聞いて、今まで何処かにつっかえていたものが取れたような、そんな気分になる。
ふぅ、と大きく一呼吸する。
「――本当に、畳んでしまうのですか? 」
「はい。後継ぎの宛も有りませんし、私ももう歳です。それに最近はお客の入りもめっきりでしてね……。明後日で丁度創業八十年になりますから、きりの良い所でおしまいにしようと思います。是非お暇がありましたら、足を運んでやってください」
「そうですか…… 」
長年通い詰めた、母よりもおふくろの味。
親に先立たれた時の様な、そんな喪失感を私は感じていた。