第五話
俺は続けざまに水の入った革袋をかき集める。
そして順番に飲み干していく。
結局3つの革袋から水を体に流し込んで、ようやく落ち着くことができた。
しかしそれも束の間だった。
一つのことに満足すると、今度は足りないものを意識してしまう。
水の欠乏感を満たすと、急に別の欲望が湧き上がってきた
空腹感。
そう腹が減っていたのだ。
人間というのはなんて欲深い生き物なんだ。
俺はまた修行僧のようなことを考えている。
しかし食料についてもあてがあった。
水と同じくあるはずだ。
遠征に行く魔物が持っているはず。
俺は再びゴブリンの死骸をまさぐってみる。
腰にまいてあるバッグ。
その中に得体の知れない黒い塊があった。
大きさは子供の握りこぶしくらいだろうか。
他にもいろいろなものが入っていたが、少なくとも食料ではない。
この黒い塊だけがかろうじて食べ物っぽく見えた。
臭いを嗅いでみる。
無臭。
腐ってはいないようだ。
これが食料だとしたら遠征用の保存食のはず。
何日間かは持つように作っているに違いない。
俺は意を決して一口だけその黒い塊をかじってみた。
…マズい。
マズいどころではない
俺の舌はこれを体に取り入れてはいけない、と告げていた。
即座に吐き出す。
どうやら魔物と人間の味覚は大きく違うようだ。
いや、味覚どころではない。
ある生物にとっての薬が別の生物の毒になることだってありうる。
この黒い塊は魔物にとってのエネルギー源かもしれない。
ただ人間にとっては毒なんじゃないか。
俺の舌はそう判断した。
いくら腹が減っていてもこれは食べられない。
その後、何体かの魔物の死体を漁ってみたが、見つかるのは同じ黒い塊だけだった。
魔王軍の補給は楽でいいな。
コレと水だけ運んでいれば飢えることは無いのか。
なんとなく俺は敵の兵站を想像していた。
軽い落胆はあったが俺はいったん食料をあきらめた。
そしてもう一つの目的へ切り替えることにする。
武器だ。
武器を探すというフィルターをかけて、あらためて辺りを見回してみる。
たいして時間はかからずに、いくつも引っかかるものがあった。
魔物の主な武器は爪や牙だ。
自身の肉体を武器にしているものの方が多い。
しかし武装しているものもいる。
ゴブリンやオークなどだ。
見ると剣や槍、弓などいろいろな武器を装備している。
戦っている時は意識していなかったが、ほとんど同じものは無かった。
一口に魔物といっても個体差というものがあるのだろう。
お気に入りの武器は違うようだった。
こいつらも一匹ずつ性格は違って、それぞれに家族もあるんだろうな。
そんなことが頭をよぎった。
少しだけ感傷的になって俺は武器を探し回った。
そして一匹のゴブリンの腰に目を留めた。
そこには使い込まれた短剣が刺さっていた。
スラリと引き抜いてみる。
何度か握りしめて感触を確かめてみる。
悪くない。
アレン達に渡してしまった短剣に比べれば物足りないが、
それでも充分に使えそうだった。
身軽さを信条とする盗賊にとって剣や槍は重すぎる。
俺にとっての武器とはまず攻撃をかわすのに邪魔にならないこと。
そしてスキあらば近づいて必殺の一撃を叩き込めるものがベストだった。
短剣をもらったゴブリンを見下ろしてみる。
他のゴブリンに比べてやけに身軽な格好をしている。
このゴブリンも俺と同じスタイルで戦闘をしていたのかもしれない。
もしかして魔物にも職業があって、こいつは俺と同じ盗賊なのかもな。
妙な親近感を感じて、俺はそのゴブリンの冥福を祈ってみる。
来世では味方だといいな。
ーーー
水と武器を手に入れた俺はいったん腰を下ろして考える。
ここで欲しかったもののうち半分は見つかった。
しかし残りの2つは手に入れることはできなかった。
リリム山脈を越えるためにあと必要なもの2つ。
防寒具と食料。
防寒具についても期待していたのだが、ついに見つけることはできなかった。
どうやら魔物は寒さに強いらしい。
特に雪山の寒さをしのぐものは持っていなかった。
俺が今身にまとっているのは布の服1枚。
人間の体でこのまま雪山に挑むのは危険だろう。
約3日間の行程
もしかしたら越えるだけならできるかもしれない。
しかし怖いのは凍傷だ。
手や足の指を失ってしまう可能性がある。
そうなると魔王退治どころではなくなってしまうだろう。
全身を覆える防寒具が欲しい。
後は食料。
しかし俺は武器を探している時にこの2つの目星もついていた。
ーーー
魔物の死骸にまぎれて這いつくばって進む。
まだ思うように体は動かない。
しかしついさっきまでゾンビだったことを考えると大分マシだ。
右手には先ほどもらった短剣を握りしめている。
それは思った以上に心強さを与えてくれた。
敵地で丸腰というのはやはり怖かったのだろう。
地面に這いつくばりながら目線を上げてみる。
どうやらまだ気づかれてはいないようだ。
そこには魔物の死骸を貪っているイノシシがいた。
イノシシって肉が好きなんだな。
まるで周りのことを気にしていないかのように食べるのに夢中だ。
俺は這いつくばったまま更にその背中に近づく。
このぐらいでいいだろう。
俺は息を殺して膝立ちになる。
右手の短剣を強く握りしめる。
気づかれた様子はない。
足に力を込め、もう一度様子を伺う。
大丈夫だ。
俺は足に溜め込んだ力を開放した。
そしてイノシシの首すじに飛びつく。
勢いのまま短剣を首すじに突き刺した。
急所をとらえた手応えを感じる。
即座にイノシシの体を蹴って距離をとる。
イノシシの動きは止まっている。
まるで置物のようだ。
そう思った次の瞬間。
イノシシの体は横に大きく倒れた。
ーーー
「アレン達に隠れてソロ狩りをしていた経験がいきたな」
動かなくなったイノシシを見下ろしながら呟く。
所詮は動物、真正面からでも狩れなくはなかっただろう。
しかし万が一がある。
ここでケガをしてしまったら王国に戻るのが遅れてしまうかもしれない。
治療をしてくれる仲間もいないしな。
スキをついて一撃必殺。
このスタイルを確立できていたのは大きかった。
「さてと…」
俺はイノシシの解体作業を始める。
目的は毛皮と肉。
防寒具と食料になるはずだ。
慣れない手つきで短剣をあて、皮を剥ぎ取っていく。
血がべったりとへばりつく。
つたないながらも皮を剥ぎ取ると、次は肉に取り掛かった。
かなりの部分を無駄にしてしまったが、それでも結構な量を確保できた。
毛皮と生肉
本来だったら毛皮はなめす必要がある。
そうしないと固くなってしまい、耐久力もイマイチだろう。
また生肉をそのまま食べるのは危険だ。
新鮮とはいえ、腹を壊してしまうの可能性がある。
しかし俺はこの2つのリスクは無視することにした。
ここには皮をなめす道具なんてあるわけがない。
生肉を焼く火も期待できない。
あるものでなんとかするしかないのだ。
絶望的だった状況。
100%の安全なんて確保できるわけがない。
俺は意を決して生肉にかじりついた。
ーーー
追放から8日目 朝
ここに着いてから2日目の朝だ。
念のため、昨日は休息にあてた。
食事と水分を充分にとって体をひたすら休めることにしたのだ。
結果、俺の体は見違えるように回復していた。
これなら行ける。
俺は昨日までほとんど消えかけていた自信を持つことができた。
そして早速リリム山脈を越える準備を始めた。
順調に行けば3日ほどで王国へたどり着く。
まず食料と水を持っていく必要があるだろう。
広めの葉っぱを何枚か集め、あまった肉をつつむ。
山に登ればすぐに気温は低くなる。
このまま持っていっても腐ることはないだろう。
ゴブリンの死骸から水の入った革袋を回収する。
迷ったが重さを考えて3つ持っていくことにした。
続いて武器と防寒具
短剣を腰にさし、何度か居合のように引き抜いてみる。
ベストな位置を調整する。
毛皮は案の定、固くなり始めていた。
しかし使えないことはない。
臭いも強かったが、気にせず頭からかぶった。
よし、準備はできた。
多少頼りないが、今できる最善のものだ。
これなら絶対にリリム山脈を越えられる。
体が回復した俺は心まで前向きになっていた。
そして南へと足を進めた。
森を歩いていた時とは段違いの力強い足取りだった。