第四話
朝は木の葉から露をすする。
昼は東へ向ってひたすら歩く。
夜は恐怖と戦いながら木のウロで過ごす。
魔界の森の中でただ一人。
俺にできることはこれだけだった。
目に入るものもほとんど変わらない。
明るい時はひたすら森の景色が広がっている。
どこまでも続いているかのような錯覚を起こす。
暗い時はひたすら黒だ。
他には何もない。
夜は怯え、朝になると安心する。
まるで判で押したかのように同じ1日を繰り返した。
いや、大きく変わっているものがある。
俺自身だ。
頬はこけ、眼窩は落ち窪み、肌はカサカサになっている。
きっとひどい顔をしているはずだ。
頭も霞がかかったようになっている。
目は虚ろになり、ボーッとしている時間が多くなってきた。
ひどい状態だ。
水を飲んでいるとはいえ、足りていないのだろう。
ーーー
追放から4日目 昼
体は更に衰弱していた。
俺は東へ向かってゾンビのように歩いていた。
人間というのはたった数日でここまで消耗するのか。
まるで自分の体だとは思えない。
歩いている自分を空中から眺めているような感覚がある。
俺は不思議と自分を客観的に見ていた。
人間なんて偉そうにしていても所詮か弱い生き物だな。
水や食べ物を取り上げてしまえばたった数日でボロボロだ。
自嘲気味に思う。
もっと人間は周りに生かされていることを自覚した方がいい。
世界の支配者のように振る舞うなんておこがましいことだ。
頼りない足取りで動いている自分を眺めながらそんなことを考えていた。
遠い昔の僧侶は歩きながら瞑想をしていた、という話を思い出した。
そうやって後世に伝わる教えを悟ったらしい。
なるほど、こういうことか。
悟りなんていう大層なものでもないが、感覚としては近いんじゃないか。
もっとも俺の場合、偉大な先人と違って望んでやっているわけではないのだが…
ーーーー
追放から5日目 夕方
俺は何で歩いているのだろう。
王国へ戻るため?
…なぜ戻るんだ。
魔王を倒すため?
…別に俺がやる必要はないんじゃないか。
なんで俺がこんなに苦しまなくちゃいけないんだ?
…分からない
もうここで立ち止まってしまってもいいんじゃないか?
…分からない
頭の中で言葉がグルグルと回る。
もし全く知らない所を進んでいたら俺の心は折れていただろう。
この状況で、終わりが見えない道を進む自信は無い。
しかしこの道は一度通っている。
目的地までの距離は大体予想できているのだ。
確実に近づいている。
そしてもう少しで着くはずだ。
俺は最初の夜に決めたプランを実行するだけを考えた。
ーーー
追放から6日目 夕方
森が急に途切れ、突然開かれた土地に出る。
ついに俺は目的地にたどり着いた。
東軍の拠点。
いや、今は元拠点と言った方がいいだろう。
意外にも到着した喜びはほとんどなかった。
そんな感情が湧き上がる体力は残されていないようだ。
あたりを見渡す。
魔物の手によって広い範囲で木は切り倒されている。
500体ほどはここで過ごすことができるのだろう。
アレン達とここを落とした後、復旧はされていないようだ。
予想した通り魔物の気配は一切ない。
中心には建物の残骸らしきものが見える。
かつて高い柵で囲われていた砦の跡だ。
すっかり燃やし尽くされ黒焦げになっている。
俺は重い体を引きずって、その開かれた土地に入っていった。
ーーーー
目的のものはさして苦労することもなく見つかった。
見つかるどころではない。
いたるところに転がっている。
魔物の死骸。
アレン達と攻め込んだ時に倒した魔物。
目に入るだけで数十体は倒れている。
これなら絶対にあるはずだ。
俺は一番近くに倒れている魔物に近づいていった。
ゴブリンの死体。
1日目の夜に考えていたことを思い出す。
こいつらは何のためにここに集まっていたのか?
王国へ侵攻するためだ。
そのためには少なくともリリム山脈を越えなくてはならない。
王国へ入った後もしばらくは滞在しなければならない。
その間、飲まず食わずではいられないだろう。
魔物とは言え生き物だ。
水と食料は絶対に必要なはずだ。
絶対に持っているはずなんだ。
俺はゴブリンの死体をまさぐる。
そして腰につけた革袋を見つける。
期待を込めて触ってみる。
タプンタプン。
表面から液体の弾力を感じる。
水だ。
水のはずだ。
冷静になれば魔物の持ち物である。
何が入っているかは分からない。
人間にとって有害なものかもしれない。
その可能性は最初から浮かんでいた。
しかし俺は自分を止められなかった。
というよりこれが水でなかったらゲームオーバーだ。
もはや俺に次の手を打つ体力は残されていない。
俺はゴブリンの腰から革袋を乱暴に剥ぎ取る。
そして袋を持ち上げ、中身を口に含んでみる。
少しだけ変な臭いが鼻をつく。
しかし間違いない。
水だ。
紛れもない。
俺は一度革袋から口を離し、息を整える。
そして今度は革袋を真上に持ち上げ一気に喉へと流し込む。
葉っぱからすする水滴ではない。
まとまった水分。
快感があった。
体が求めてやまなかったもの。
それが一気に流し込まれる。
頭の先からつま先まで運ばれていくのを感じる。
うまい、とかそういうことではない。
それは快感だった。
俺は革袋の水を一息で飲み干していた。
息を吐く。
体が一気に回復していくのを感じた。