第三話
深い森の中を一人で進む。
中央軍から逃げるように東へ向って歩いて行く。
頭上に広がる葉の隙間から時折太陽が覗く。
俺は十数歩進むたびに、その位置を見て方角を確かめる。
まぁそんなことをしなくても方向は間違えないのだが。
今進んでいる道は少し前にアレン達と歩いている。
先頭で周囲を警戒していた俺はこの道の様子をよく覚えている。
今回は一人で引き返す形となっているが…
まずは中央軍からなるべく早く離れた方がいいだろう。
俺は周囲を警戒しながらも、ひたすら歩き続けた。
ーーー
太陽が西に傾き始めた。
頭上から差し込まれる光の量も減り、周囲がだんだんと暗くなり始める。
俺はいったん足を止めた。
このくらいでいいだろう。
中央軍の拠点からは充分に離れた。
当面の危険は避けることができたはずだ。
この後、もう少し東へ進んだ後に山脈に挑むことになる。
順調に進めば5日ほどで王国へ戻れるだろう。
そこでふと気づく。
考えてみれば俺は水も食料も持っていない。
さすがに5日間飲まず食わずで動き続けるのは難しい。
また装備を渡してしまったので、身につけているのは薄い布の服だけだ。
この格好で山脈を越えるのも厳しいだろう。
王国へ戻るどころではなかった。
何もしなければ5日と待たずに俺は動けなくなってしまうのだ。
当面の危険から離れることができて安心する間もない。
俺の置かれた状況は相変わらず絶望を感じさせてくれる。
敵地の真っ只中での追放宣言。
更に装備や道具まで取り上げられる。
それはあまりにも残酷な仕打ちだと思った。
周囲は更に暗くなる。
俺の気持ちもあたりの暗さに合わせて沈んでいく。
「寝床を確保しなくちゃな。」
声に出す必要もないのだが、なんとなくつぶやいてみる。
森の夜は早い。
少しでも日があるうちに夜を越える用意をしなくてはならない。
もうしばらくすればあたりは真っ暗になってしまうだろう。
焚き火でもできれば良いのだが、俺は火をおこす道具を持っていない。
何もしなければ暗闇の中に一人で取り残されてしまうことになる。
いくら中央軍から距離をとったとは言えそれは危険だ。
何よりそんな状況に長時間耐えられるのか分からない。
真っ暗な敵地の森の中…
たった一人で夜を越す…
精神がおかしくなってしまうかもしれない。
俺は急に寒気がしてきた。
慌ててどこか安全な場所がないかと探してみる。
しかしまわりにあるのは木ばかり。
安全な場所なんて無いように思えた。
とにかくそこら中を歩き回ってみる。
何かないか…
探している間も段々と闇は広がってくる。
先ほど浮かんだ暗闇の中に取り残されるイメージ。
冷や汗が流れる。
焦りの気持ちは極限に達してきた。
俺はもはや冷静さを完全に失ってしまった。
その時、目の前にひときわ大きな木を見つけた。
そして木の幹にはぽっかりと大きな穴があいていた。
木にウロができていたのだ。
古い森なのだろう。
よくよく見ると木のウロはいたるところにできていた。
俺は手頃そうな大きさの穴を探す。
そして一本の木に目をつけた。
走って近づき、穴を確認してみる。
少し窮屈そうだが中には入れそうだ。
ほっと胸をなでおろす。
穴の中に入り込み足を抱えるようにして座ってみた。
狭い、、がその狭さが少しだけ安心感を与えてくれた。
外にいるよりは大分マシだろう。
俺はここで夜を過ごすことにした。
ーーー
やがてあたりは完全な暗闇となった。
森の中はこんなにも暗かったのか。
俺はもはや目を閉じているのか開けているかも分からなくなってきた。
アレン達と一緒にいた時はミリアムが火の魔法を使って焚き火をおこしていた。
交代で見張りをしていたので、火を絶やすこともなかった。
森の中で暗さを感じることなんてほとんど無かったのだ。
身動きするのも窮屈な木のウロの中。
見えるものは何もない。
だんだんとネガティブな感情にとらわれる。
アレンは俺がこうなることを考えたのだろうか?
分かった上でここで野垂れ死ぬことを望んだのだろうか?
クレアは何でもっと俺の追放に反対してくれなかったのか?
あいつも俺なんてどうでもいいと思っていたのだろうか?
アルガスとミリアムも他に何か言うことはあったんじゃないか?
短い間とはいえ一緒に死線をくぐり抜けた仲間ではなかったのか?
そんな思いがとめどなく自分の深いところから浮かび上がってくる。
もはやコントロールできなくなった頭の中。
俺は振り払うように頭を振ってみる。
そしてアレンの顔を思い出す。
意志の強さを感じさせる瞳。
真一文字に結ばれた口もと。
子供の頃からあまり変わっていないような気がする。
あいつは何というか…いつでもまっすぐなんだろう。
別に悪意があったわけでは無いはずだ。
ただ俺のことがいらなかっただけ。
だから追放した。
それ以上でも以下でもない。
自分に言い聞かせるように一人で呟く。
その時。
ガサリ
近くで何か音が聞こえた。
俺の体はビクッと跳ね上がる。
危うく頭をぶつけそうになった。
声を聞かれたか…
俺は目を凝らして前を見てみる。
……が映るのは暗闇のみだった。
息を殺し耳をすます。
恐怖に包まれながら音の原因を探り続けた。
俺にできるのはそれだけだった。
ーーー
しばらく前方を警戒していたが、結局何も起こらなかった。
あの音は何だったのだろうか。
動物でもいたのだろうか。
全く分からなかった。
ただ一つだけ確かなことがある。
長い間神経を張り詰めたことによって、疲れ果ててしまったことだ。
まったくひどい夜だ。
もう一度アレンのことを思い出す。
今の状況を全部あいつのせいにするのは簡単だ。
先ほど浮かんできた負の感情に身を委ねてしまえばいい。
しかしそれで状況が好転する可能性は低い。
これから王国に戻るまでいくつも壁にぶつかるだろう。
その度に「アレンのせいだ。」と考えても問題は解決しない。
俺には目的がある。
魔王を倒すことだ。
そのためには王国に戻る必要がある。
俺は狭い穴の中で小刻みに体を揺らす。
何かに抗うように動かしてみる。
無理やりポジティブになろうとする。
今必要なのは問題を解決するための建設的な思考だ。
王国に戻るためにはどうすればよいのか。
俺はそれを考えることだけに意識を集中させた。
ーーーー
まぶたにチラチラと光を感じた。
自然と目が開く。
どうやら明け方にウトウトしていたようだ。
網膜に映るのは黒ではない。
色がある。
土の茶色。葉の緑。
眼の前には森の色が広がっていた。
光にこれほど感謝したことは無い。
俺は朝の森が描く色彩をひとしきり眺めた。
木のウロから這い出る。
そして固まった体をほぐそうと背伸びをする。
ゴキッ ゴキッ
首、肩、腰。
鈍い音を体がたてる。
身動きができなかったから?
それだけではない。
恐怖で体が強張ってもいたのだろう。
重い…
体が重くなっている。
たったの一晩だが、俺は確実に消耗していた。
早くどうにかしなくてはならない。
俺は昨日の夜、必死で考えていたことを思い出す。
まず必要なのは水だ。
水が無ければ俺は数日で動けなくなってしまう。
都合よく川や池があるはずもないだろう。
ではどうすれば水を手に入れることができるか?
俺は期待を込めて木の葉の表面に目を向ける。
やった。
そこには予想通りたくさんの水滴がついていた。
朝露というやつだ。
俺は葉っぱに口をつけすすった。
うまい。
考えてみれば、昨日から何も口にしていない。
色々な感情に心を奪われていて自覚してなかったが、
俺の体は水を切実に求めていた。
体中にしみ渡る。
俺は貪るように葉っぱから水をすすり続けた。