双子の人形 お菊編
とてつもなく御久しぶりの投稿になります。
今後、散乱した未完小説を整理しようかと思っています。
それはさておきとして、短編。
少し普通の人とは感覚が違う主人公の一人称視点でいきます。
ほのぼのとは言い切れず、ホラーとも言い切れない。
そんな短編で宜しければ。
祖母が死んだ時、俺たちは人形を貰った。
両親は共働きで、小さい頃は祖母の家で世話になっていた。
形見として受け継いだ人形は、いわゆる曰くつきというものらしいが、俺たちは気にならなかった。
俺たちは祖母と一緒に人形にお供えし、話しかけたり、髪を櫛で梳いたりしていた。そのためか、俺たちも彼女たちに気に入られたらしい。
祖母は遺言で、俺たちに人形を譲ると書いていた。
ただそれがなくとも、親戚たちは俺たちに人形を譲るつもりだったようだ。叔母がはみかむように教えてくれた。
◇◇◇
俺が譲り受けたのは、お菊という名の市松人形だ。
お菊は長い黒髪が自慢の美しい少女の人形で、人に見せると「欲しい」と言われたり「売ってくれ」と頼まれることもある。それくらい美人だ。
ただ人に触られるとガタガタ揺れるし、勝手に連れ出されそうになると軽い事故を起こす上、総出で盗まれた時には泥棒一家に不幸を撒いて帰ってくる。
この時は機嫌が悪いので髪を梳いたりした程度では収まってくれないから、大抵お供えを奮発している。最悪の場合は手作りを沢山こしらえる。
お菊は曰く付きだが、しかし呪いの人形ではないと思う。
報復する事はあるものの、お菊は基本的に大人しい。祖母や俺たちに危害を加えたことはないし、むしろ助けてくれるくらいだ。
小学生くらいの時だろうか、お菊が夢に出てきた。
夢の中のお菊は人形の姿を人に置き換えた上で、人らしい温かみを感じさせる綺麗な女性だった。
夢の中のお菊は、「明日はお友達のお家で遊びましょうね」と言った。
普段は公園で遊んでいた俺は首を傾げながらも、お菊に言われたとおり誰かの家で遊べないか頼んでみた。
幸い友達の一人が良いと言ってくれて、友達の家の庭で遊んでいた時だ。
地震が起きた。
俺たちは怖くてその場を動けなかったが、擦り傷程度の怪我で済んだ。
友達の庭に大きく育った家があって、その木が地震の衝撃で切れた電線や崩れたコンクリート塀を受け止めてくれたのだ。
地震が収まった後も俺たちは腰が抜けて動けず、結局親が迎えに来てくれることになった。
俺の場合は、お菊が迎えに来てくれた。
家に帰ると、テレビでは地震についてのニュースが取り上げられていた。
俺たちが普段遊び場にしている公園は、いくつかの遊具が使い物にならない上に、電柱が倒れ込んで大変なことになっているらしい。警察も含めて、死傷者が出たともあった。
お菊は、これを察して俺に言っていたのだろうか。
お菊のおかげで、俺と友達は助かったのだ。
その日、お供えする団子は餡子とみたらしにした。
夢に出てきたお菊は先にどちらから食べようか迷った後、幸せそうに団子を頬張っていた。
◇◇◇
中学に進んだ時、俺は手芸部に入部した。
理由はお菊の着物を作るためだ。小さい頃、祖母はお菊に手縫いの着物を着せていた。俺は祖母が着物を縫うところを見ていて、興味を持ったのもある。
小学高学年で裁縫の基本は教わっていたから、着物の縫い方の本を読んで部室でせっせと縫った。
こさえた着物を目の前に置いて寝ると、夢の中にお菊が出てくる。
気に入ってくれた時は「ありがとう」とお礼を言って、翌日には既に用意した着物に替わっている。
気に入らなかった時は困ったような笑顔を浮かべる。翌日は、元々身に着けていた着物のままだ。
お菊は赤い着物が好きなようで、黒い着物は好まない。派手な柄も苦手で、桜などの花が好きだ。そういった事が分かるようになりながら、何着目かの着物を繕っていた時だ。
「村崎くん、お人形の服縫うんだ」
先輩の女生徒が、そう尋ねてきた。
その先輩は部員ではなく、部員である別の先輩の友達だと、本人が言っていた。よく見物に来る彼女は、妙に熱のある目で俺の縫った小袖を見ている。
もうすぐ盆が来るので、祖母がよく着ていたものとお揃いのものをお菊に渡そうと思っていたのだ。小袖は縫い終えて、帯にかかるところだった。
俺がさっと小袖をしまうと、「なんで隠すの?」と先輩は首を傾げる。
そのあと、彼女は言った。
「ねぇ村崎くん、お人形の服作ってもらって良い?」
何でも叔母の子、つまり姪が今人形遊びに嵌っていて、新しい服が欲しいのだとか。
市販の服でも買えばいいのではと言ってみるが、先輩は「特別感があるのが良い」と言って、俺に頼んでくる。
「そう言われても困りますよ。その姪っ子さん、持ってるのは洋風の人形じゃないんですか? 俺はお菊用の着物しか縫った事ないですから」
そう返して部外者の先輩を追い払った後、洋服も縫って見ようかと思った。兄が譲り受けたロザリーは洋風の陶器人形で、豪奢なドレスを着ている。
いきなりドレスは厳しいから、今っぽい服から始めよう。着物生地のリサイクル服、というのも良いかもしれない。
翌日。
「村崎くん! 村崎くん家の人形貰えない!?」
先日の先輩が、いきなりそんなことを言い出した。
どうやらクラスの誰かが、お菊の写真を撮っていたらしい。
おかしな事ではない。お菊は小学生の俺を迎えに行ったのをきっかけに、ちょくちょく散歩するようになったみたいだから。
といって基本的に散歩するのは家の中と中庭、玄関までだが。そこを誰かが撮ったのかもしれない。
問題はそれを先輩が見て、さらに先輩が姪っ子に見せたことだ。
「村崎くんのお人形がね、どうしても欲しいって言ってるの!!」
「駄目です」
「お願い! お金は払うから!!」
「駄目です!!」
欲しいと言われても、お菊は祖母から譲り受けた形見だ。そうでなくても子供の時から慣れ親しみ、そして俺を助けてくれた恩のある人形だ。
それをさして親しくもない先輩の、さらに知らない姪に譲るなど出来ない。
断っても引かない先輩は、しだいにイラついたのがグチグチと言ってくるようになった。文句、嫌味、それから悪口。
「何よ、中学にもなって人形遊びとか馬鹿じゃないの? つかキモイ。オタク男子が持ってるより、ちっちゃい女の子の方が似合うに決まってんでしょ。そんなことも分かんないの? 良いから頂戴よ、あと服も」
極めつけのその言葉に、何かがプツッと切れるのを感じた。
「ふざけんな!!」
勢いよく立ち上がり怒鳴りつけると、先輩は悲鳴を上げた。
「あのお菊は、死んだ婆さんの形見なんだよ!! もういない婆さんが、俺にって譲ってくれたんだよ!! 金だ見た目だ関係あるか!! 何で婆さんの形見をあんたの姪だかにやらなきゃなんないんだ!? ふざけんな!!」
失せろ! 失せろ! この人でなし!! たかり魔!! 物乞い女!!
そんなことを仕切りに怒鳴っていた。
クラスの皆も先輩に白い眼を向けてヒソヒソと言っていた。騒ぎを聞きつけた担任の先生が皆から事情を聴いた後、先輩を追い出してくれた。
皆は「今の酷いよね」、「あんなの気にすんな」と言ってくれた。先生は「災難だったな」と言ってくれた。
この一件は、すぐに学校中に広まった。
あの先輩は自分のクラスの担任から叱責を喰らい、自身のクラスメイトから冷たい目を向けられるようになったらしい。「貧乏人」だとか、「乞食」だとか、色々言われているとも聞く。
らしいというのも、殆ど知らないからだ。興味もない。
それに部室にあの先輩が来ることはなくなった。そもそも学校にも来ていないというのを聞いた。いわゆる不登校だ。
顔を合わせる必要もないし、あの人が来なくなってからは平和だ。どうやら他の部員もそう思っていたようで、皆集中して手芸に取り組めた。
そんなとある下校時に、事故が起きた。
起きたといっても俺が巻き込まれたわけではなく、目の前で起きただけのことだった。
だったが、とにかくすぐ近くで人が撥ねられるというのが衝撃的だった。
周囲に悲鳴が上がり、救急車を呼び出そうと携帯を取り出す人たちの中、俺は別の事で驚いていた。
誰かが車に撥ねられた時、ポーンと何かが俺の方へ飛んできた。
思わず受け止めたのは、ぐしゃぐしゃになってはいるものの、見慣れた黒髪と着物姿。
「お菊!?」
何でお菊が飛んできたのかと思った後、撥ねられた相手にまた驚く。
ひしゃげた両腕を道路に放り出し、血を流すその人は顔こそ確認できないものの、派手な髪色に気崩したブレザー姿の、最近不登校の先輩だった。
後日、先輩の事故が学校中で噂になった。
俺はお菊の持ち主ということもあり、報告ということで警察に教えられた。ただ情報がどこから漏れたのか、学生の殆どが知っている状態になっていた。
なんでも先輩は俺の家に忍び込んだ後、お菊を盗んだらしい。
病院に搬送され目が覚めた時、彼女は「ない、ない!? あの人形どこいったの!? 折角盗ってきたのに!!」と叫んだという。
お菊たちはご近所では有名だったから、その言葉に先生は不審だと思ったようだ。警察も呼んで問いただすこと数時間、ようやく彼女は白状した。
両親が共働きの俺たちは所謂鍵っ子だったから、予備の鍵を玄関横の植木鉢の下に隠していた。それを見つけた先輩が、鍵を開けて侵入したようだ。
そうして盗み出した後に先輩は、車に撥ねられた。
事故を起こした車は無人だった。エンジンは切れていたはずだし、鍵だってかかっていたはずだ。その車の持ち主は、鞄に鍵を入れていたのだから。
話が少し逸れそうだ。戻そう。
先輩の姪云々は嘘だった。
彼女は手芸部などで人に強請って貰った作品を、ネットで売りさばいていたらしい。目を付けられた一人である俺はそこまで重要視されていなかったが、お菊を知ったことで目の色が変わったようだ。
お菊は初期の方に作られた、現在では伝統人形に分類される骨董だ。売れば高い。そう思ったので、何としても欲しくなったという。
元々窃盗癖があったようで、家に入った時に印鑑とかも盗もうとしたけど、物が落ちてきたり鍵が掛かったりで、盗れなかったようだ。それについては、お菊が他の物まで盗まれないようにしてくれたのだと考えている。
彼女の両腕が完治する可能性が絶望的というのも、恐らく改心する気のない先輩に対するお菊の報復だろう。盗みを働くような手なら、要らないということだろうか。怪我そのものは同情する。
ちなみにその時、ロザリーは家にいなかった。
多分、兄のリュックに忍び込んで学校内をうろついていたんだろう。小学校での修学旅行の時、置き去りにされた事を彼女は根に持っていたから。
家に帰った後、今日もお菊の髪を切る。
ガタガタと震えなくはなったものの、怒りは収まりきっていないらしい。掴まれてぐちゃぐちゃにされた髪をどんどん伸ばすお菊に、「今日は白玉餡蜜出すからな」とお供えの事を伝えながら、伸びまくる髪を切って整えた。
お盆の前夜、完成した小袖と帯を前に、お菊が口元を抑えながら目に涙を浮かべている夢を見た。
次の夜、お菊は笑顔だった。
◇◇◇
あの事件以降はトラブルもなく、志望校に合格した。
そこでも手芸部に入って縫物をするようになって、一年。入部見学に来た子の一人が、俺の方を見た。
「手先、器用なんですね。すごいです……!」
言葉でいうように、すごいというような眼差しを向けてくるのは、ふわふわとした印象の可愛らしい少女だった。小柄で、顔の作りも全体的に小造りで、小動物か、小さな女の子が持っている人形みたいな子だ。
その子は仮入部した後、正式に手芸部の部員になった。
ただ、彼女は手が器用というわけではなかった。どちらかと言えば不器用な方で、いつ針で指を差さないか見ていて冷や冷やする。
本当に危なっかしい縫い方をしていた時、思わず代わって縫ってしまった。彼女は怒らなかった。むしろ縫い方を教えてくださいと俺に頼み出て、気づけば俺が彼女に手芸を教えるようになっていた。
その子とは自然と距離が近くなっていくのを感じた。
元々人懐っこい性格なのだろう。クラスメイトや他の部活の先輩などとも、よく話すようだ。気難しいと言われる先生からも、わりと可愛がられているのを見たことがある。
中学の件から俺の裁縫の腕について褒める女性には、苦手意識が出来ていた。その後にも、裁縫を頼んでくる人が何人か来たから。
ただその後輩の場合は、そんな依頼はなかった。それもあって、好意を感じ始めていた。
だけど、金曜日の夜、お菊が夢に出た。
「あの子とのお付き合いは、止めた方が良いですよ」
申し訳なさげな、けれど意思のこもった声だった。
お菊の言葉に戸惑いを感じながら、日々を過ごす。
前に比べて後輩とのやりとりがぎこちないものに変わるのを、自覚していた。
長年一緒にいたお菊と、後輩と、どちらを信じれば良いのか。
すぐに思いついたのは、お菊を信じることだ。だけど、だからといって後輩を疑って、慕ってくれる彼女を「お菊に止めておけと言われたから」と遠ざけるのは正しいのかとも感じた。すごく、迷っていて、なぁなぁだった。
しばらくして、気が付くと、彼女が部室に来なくなった。
どうしたのかと思っていると、男の後輩部員が教えてくれた。
「あの子、もう学校に来ないと思いますよ。すごい虐められたから」
話の内容が一瞬、頭に入らなかった。
始まりは先週の月曜日からだという。
彼女の机に、落書きがされていた。『阿婆擦れ』、『詐欺師』、『猫かぶり』、『援交女』、『性病がうつる』。そんな言葉が机一面に書かれていたんだという。
他にも彼女が美術室や準備室に閉じ込められたり、盗撮写真がツイッターや投稿サイトなどに載せられていたり、提出課題を駄目にされたり、そんなことが立て続けに起こったという。
「それ……誰がやったか、分かったのか?」
「いや、なんにも」
「調べたりとかは?」
「ないです」
何でだ、とすぐに問い返した。
いくらなんでも度が過ぎている。何で誰も言わない。
「調べないというか、調べられないんですよ。気味悪くて」
気味が悪い。その言葉を呟いた後、彼は顔を歪めた。本当に気持ち悪いという顔で、僅かに血の気が引いている。
「最初に言った落書き。あれ、書いてないんですよ。消そうとしても全然消えないんです。油性か何かかなって、薬品みたいなので消そうとしても駄目。でも刃物で彫ってる感じでもなくて……なんか、うん、滲み出てる? みたいな」
「滲み出てる……?」
「閉じ込められた、ってのもそうです。閉じ込められてる所、見た奴から聞いたんですけど、鍵掛かってないって。つっかえとかもなくて、そもそも閉じ込めようと扉押さえつけてる奴もいなかったって。信じらんないですけど」
話すことで思い出しているのか、なおさら顔色が悪くなり、自分の肩を抱いて二の腕を擦りながら、それでも話を続ける。
「盗撮の話とか、特にやばい。あれ投稿したの、彼女自身のアカウントだったんですよ。でも写真は明らかに自分じゃ撮れないようなのもある。……なら、誰が撮ったんだよって。どうやって人のアカウントのパスワード開けて、盗撮して投稿したんだよって。相手に気づかれないように相手のスマホ取って」
その言葉だけでも、かなりの得体の知れなさと不気味さを感じた。
だけど、でも極めつけはあれなんですよ。彼はそう言葉を続けた。
「提出課題が駄目になったっていうのも、隠されたとかじゃないらしいです。むしろ出した課題の上から、すんごい真っ赤なインクで上乗せされて読めなくなっちゃってるって、聞きました」
もはや蒼白だった。完全に血の気は失せて、歯をガチガチと言わせていた。
それでも、彼は、続けた。
「その内容が、マジ怖いんですよ。彼女が昔、誰をどんな風に虐めてたとか。何月何日の何時頃に男とラブホ入ってセックスしてたとか。妊娠した子供を何回くらい中絶しただとか。生々しいことが赤裸々に書き殴られてたって。で、それを教師たちに見られたって。もう学校来れるわけないですって、こんな事までされたら。怖すぎますってマジで」
「…………それ、が、本当とは」
「俺、その時の彼女見たけどすごかったですよ。髪振り回して、意味わかんねぇこと叫びまくって、紙束分捕ろうとして先生に食い掛ったんですよ。あれ身に覚えがあるからじゃないかなって、皆言ってるんです。あんな怖い顔した彼女見たことないし、彼女と同中の女子は『化けの皮が剥がれた』って言ってたし」
マジ怖い……、女怖い……、ブツブツと呟きながら顔を手で覆ってすすり泣く後輩に、何も言えなかった。
ただ俺は、それをしそうな奴が脳裏に思い浮かんでいた。
家に帰った後、俺は兄の部屋に向かった。
「恭弥」
「京香か」
入れはいれ、という兄の言葉に従って、扉を開ける。
兄の傍には、金色の髪と青い目をした少女の人形の姿があった。お菊とはタイプの違う、だけど美しい西洋人形だ。豪奢なドレスを着た彼女もまた、お菊と共に祖母から譲り受けた形見、ロザリーである。
俺はロザリーを一瞥した後、兄に尋ねる。
「恭弥、先週より前に俺の後輩に会わなかったか?」
「お前の後輩? ……あー、お前の名前で呼んできた子か。小動物みたいな」
「その時、ロザリーも居たか?」
「居た。リュックにまた入って来てやがったよ」
その言葉で全て察した。
俺の後輩だった子を虐めた犯人は、このロザリーだ。
ロザリーはお菊と違ってかなり攻撃的な性格をしている。ロザリーが曰くつきだと信じず馬鹿にした奴は三日三晩高熱にうなされ、彼女の顔にお化粧と称して油性マジックで落書きした少女は、数日後に長く残る傷を顔に負った。
一番凄かったのはロザリー用のお供えを勝手に食べた親戚の子が、彼女にお詫びの菓子を供えるまで何を食べても食中毒で苦しんだ事だろうか。
祖母と一緒にいたお菊とは仲も良く、窓辺で日光浴している様子も見ているのだが、それとこれとは関係ないので省略しよう。
「なんだ? お前もしかして何かあった?」
「……多分だけど、ロザリーが俺の後輩を虐めて学校に来れないようにした」
「あー、なるほどな」
俺の返事に兄は肩を竦める。
「あの子、俺がお前じゃないって訂正した後も『先輩のお兄さんだから』って、多分お前にすんのと同じ態度だったんだよな。それが気に食わなかったのか」
「あと、お菊もロザリーに後輩の子について話してたんだと思う」
お菊があの夜、彼女はやめた方が良いと言っていたのを思い出す。
もしかしたら、何か感じ取っていたのかもしれない。
「大方、また校内うろつきまわって、どんな子か調べてたんだろうな。でもって昔に何してたか、今も何してるか知って、切れたんだろ」
言いながら、兄が紙束を差しだしてくる。
「それは?」
「ロザリーの調査した奴」
また勝手に人のルーズリーフ使いやがって。兄が睨んだ先で、ロザリーがそっぽを向いていた。
まぁ良いけど、と呟いて肩を竦める兄からまたロザリーに目をやると、先ほど同様に正面に向き直っている。
俺は紙束に視線を落として、息を飲んだ。
とてつもない内容のものだった。
「これ、全部、本当なのか?」
「どこまで本当かは俺も知らねぇよ」
俺全く関与してないから、と兄はため息をつく。
「けどなんか、相当やばい事やってたみたいだぜ。虐めはもちろん、二股だ不倫だ援助交際だ、虐めた子を自分の信者に襲わせて、脅迫しながら売春させて売り上げを奪ってた。高校の方でも、お前以外にも五人そこらに色目つかったり、気に食わない奴を虐めたり、なんかの冤罪被せたりしてたって書いてるぞ」
信じたくない。
だけど、それは本当なんだろうと感じた。
お菊ほどではないにしても、兄の譲り受けたロザリーともまた長い付き合いだ。だから知っている。
彼女は攻撃的だが、何もしていない相手を傷つける子ではない。
自分に何かしらした相手へ報復するか、兄が中学時代に素行の良くない教師に目を付けられた時みたいに、嫌がらせを返り討ちにしたり妨害する程度だ。
「落書きは素行を知って切れた腹いせだろうけど、他は被害者を出さないためだろうな。美術室なんかに一人で居たのは、虐めかなんかのために細工しようとしてたから。盗撮したのは他の子を虐めてる時の様子とか、援助交際相手とヤッてる時、あと中絶手術の書類」
「ロザリー……スマホ、使えるのか」
「こいつ母さんに許可貰って、ブログとかしてるからな。スマホがお手のもんだとしても、驚くようなことじゃねぇよ」
ちなみにパスワードは、元のものから勝手に変えたらしい。だから後輩だった彼女は、投稿された画像を消せなかったのだ。
「最後のはトドメだろうな。ここまでしなけりゃ、入れ込んじまってる連中が守ろうとするかもしれねぇって感じで」
「そうか……」
「まぁ、なんか、ごめんな」
「いや、良い。知って良かったんだと思う」
ありがとう、ロザリー。そう言うと、貰った紙束に赤い文字が滲み出てきた。
『なら、お供えしなさい。私、今日はマドレーヌが良いわ』
「……分かった」
頷くと、新しい文字が滲み出る。
『あとお菊ちゃんにもお礼言っときなさいよね。あの子が私に言わなかったら、今でもあの変な女に騙されてたわよ? そしたら手遅れになっていたかも』
「そうだな、うん」
そしてまた、赤い文字。
『分かったなら、早くお菊ちゃんの所に行ってきなさい』
頷いて、俺は兄の部屋を出た。
お菊とロザリーにお供えし、寝た。
夢に出てくるお菊に、俺は礼を言う。
「お菊、ありがとう」
俺の言葉に彼女は首を振る。優しいけれど、申し訳なさそうな悲しみの色を乗せた微笑みだ。
「貴方の話すお嬢さんから、嫌な予感がしたのです。だから私は、彼女とのお付き合いを反対しました」
「そうか」
「でも、それで貴方が思い悩む数日は、辛かった。貴方の心を傷つけてしまったのではないかと、思いました」
「そんなことない」
確かにあの時、どうしてだとは思った。
だけどそれは、俺の身を案じての言葉だったんだ。
「亡くなる前、彼女は、心配していました」
お菊がぽつりと語る。
「恭弥と京香は、自慢の孫だと。優しい、自慢の孫たちだと。でもだからこそ、その優しさで傷つき苦しむのではないかと、彼女は心配していました」
祖母の事だった。
きっと、亡くなる前に話していた事なんだろう。
「だからこそ、私たちは貴方たちの元に行くことにしたのです」
「俺たちの?」
「はい。私と、ロザリーは、彼女に頼みました。これからは私たちがあの子たちを見守りますと。貴方の分まで見守りますと。そして謝りました。共に眠る約束を、破って申し訳ありませんと」
彼女たちは、祖母と共に供養されるつもりだったらしい。だけど、それを先延ばしにしたのだ。だから、約束を破ったと。
「彼女は許してくださいました」
お菊の目から、涙が零れる。
「どうか私の分まで、あの子たちを守ってあげてくださいね。よろしくお願いいたしますね。そう彼女は笑い返してくださいました、そして遺言を書いてくださったのです。貴方たち兄弟の元へ、確実に向かえるようにと」
そうだったのか。
泣いている彼女を見つめ返す。
「私たちは人形です。貴方たちを守りたいというその気持ちは心からのもの。ですが、私たちは所詮、呪いの人形。カッとなった時、どうしても許せないと思った時に、たくさんの方を傷つける」
見つめた瞳はどこまでも黒かった。その黒さは、普段見る人形の彼女と、夢に出る彼女と、どちらとも違う。
「許せませんでした」
また彼女は語り始める。
「許せなかったのです。我欲のままに私を連れ去り、貴方と引き離す人が。許せなかったのです。後ろ暗い過去を隠し、何も知らない貴方に近づいた彼女が。どうしても、許せなかった。どうして自分勝手な事しかしないのかと、出来ないのかと……その気持ちのまま、私もまた自分勝手な事をし続けている」
真っ黒な瞳が、少しずつ、変わる。
どうしようもない、言い表しようのないような悲しみに沈んだ、けれど見慣れたお菊の目だ。
「私は私を連れ去る方々を、酷いと思いながら呪っています。けれど自身が、最も酷い事をしている。そして、貴方を縛り付けている。……『私が正しい』のだと、貴方の考えと心を、縛っているのではないかと、思うのです」
「……お菊」
閉じていた口を開いて、彼女に言った。
「そういう意味なら、確かにお菊は酷いと思う」
「京香……」
「だってそんな風に泣いて自分を責めるお菊を、俺は慰めてそんなことないって言いたくなるんだから。だから、お菊は酷い」
言って、だけどとも思う。
「だけど、お菊は嫌いじゃない。好きだ。だって家族だから」
「家族、ですか?」
「うん。家族。父さんや母さんや、婆さん、恭弥みたいに血の繋がりはないけど家族だよ。お菊とロザリーは」
そう告げると、彼女は涙を拭って首を傾げる。
「私は、家族……ですか?」
「うん」
「わた、くしは、あなたたちと……かぞくに、なれ、て、いますか?」
「当たり前だろ。だから大事だし、言ってる事を信じたいんだ」
彼女の目からまた涙が零れる。
「ありがとう、ございます……っ」
だけど、笑ってくれていた。
◇◇◇
かつて慕ってくれていたと、思う。思っていた後輩は、精神病棟に送られたらしいと噂で聞いた。
ロザリーの虐めで心を病んだのかと思ったが、そうではないらしい。
どうやら元から善悪の区別が付かない、現実とフィクションとを分けられない、そういう性質なのだという。
彼女の供述から考えられる見解、とニュースで報道されていた。
お菊の事を酷いと思ったけど、俺も酷いと思う。いや、実際に酷いか。
中学の、あの先輩の時と同じだ。さして悲しい、なんて思えなかった。だけど嬉しいとも感じない。特に大した感慨はなかった。
俺はさして思うところなく、高校生活を送った。
恋人が出来たのは、大学に入ってからだ。気の強い美人で、少しツンとした印象のある女性だったけど、時々見せる表情がすごく可愛いと思ったのだ。
告白した時、赤らんで言葉を噛みながらも頷いてくれた。
お菊のお供えとかを作るのもあって和食が得意になっていて、振舞った時、キラキラとした目で食べてくれる姿が愛おしかった。
俺の作るお菓子は羊羹とか、饅頭とか、見た目が地味なものばかりだったが、本当に美味しそうに頬張る姿が、可愛らしかった。可愛いというと、照れる、そんな姿も可愛かった。付き合えば付き合うほど、より一層好きになった。惹かれていく自分を感じていた。
お菊を紹介した時、彼女は少し青ざめた。
幽霊とか、曰く付きとか、そういうのが苦手な子だったらしい。失敗したかな、と少し思った。振られてしまうんじゃないか、と。それが怖かった。
だけど、彼女はお菊に歩み寄ってくれた。
彼女の夢にもお菊が出てきた時、「大和撫子って感じの、すごい綺麗な人だった」と興奮気味に話してくれた。それにすごく安心した。
お菊からも「とても素敵な女性ですね」と好感触で、そのことを伝えると彼女もまた嬉しそうにしてくれた。
お菊は俺が亡くなる時、眠るつもりだという。
元々祖母と眠るつもりだったのを引き延ばしたから、俺が亡くなったらお菊は未練がなくなるのだ。
だけど、俺は息子や孫も見守って欲しいと答えた。
辛くなったら、眠ってくれて構わない。だけど、俺たちをこれからも見守って欲しいと俺は頼んだ。家族として寄り添って欲しいと。
俺の言葉に「京香は酷いですね」とお菊は微笑んだ。
「お互い様だろ」
俺は言い返した。