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約一ヶ月の入院治療の後に母は退院する事となった。

父は抗癌剤の治療を受けながら、母の介護を始めた。

私は腰のヘルニアが悪化の一途を辿り、鎮痛剤を飲んでも気安めにしかならず、覚醒している間は常に激痛でうめき声をあげ、ほぼ寝たきりの生活をしていた。

家の事や息子の事は大学生の妹に任せるしかなく、家の雰囲気は重くなるばかり。



 そして、とうとう私もヘルニアの手術を受ける事となる。理由は単純に鎮痛剤も効かず歩行困難になったのだ。

自分の事ながら、手術の心配はあまりしておらず、恥ずかしながら手術予定日が生理中で(モレたらどうしよう?)とアホな心配ばかりしていたのである。

心配していても麻酔から醒めたら手術は終了、一応不測の事態の為にと付き添って貰っていた姉が

「見たくなかったけど、神経に刺さってた軟骨見せられた」

と教えてくれた。言われた自分もボンヤリした意識の中で、血にまみれた白いナニカを見た気がする。多分3〜4個。結構刺さってたのね。


翌日から二足歩行が出来るようになり、トイレも苦でなくなる。およそ術後一週間程で退院の許可がおり、自宅へ帰ると療養しながら少しずつ家事を手伝い始めた。その頃の父は調子も良く、母の介護は専ら父に任せっきりで、私はあまり関わっていなかったと思う。

母は糖尿病も患っており、毎日食前に三回、インスリン注射をしていたので、父にとっては大変だったはずだ。毎朝血圧測定、食前の血糖検査に注射。毎日のリハビリの為の通院。

癌を患っていた父に、母の介護はストレスの連続であっただろう。失語症の為に意思の疎通がままならず、記憶も途切れ途切れになって子供のように癇癪を起こす母を、宥めすかして車に乗せ、山の麓の病院まで。

二階で寝ていると、時々、父が母に怒鳴っている声も聞こえていた。そんな父に癇癪を起こす母。

今なら、それが父のサインだとわかるけど、当時の私はまたいつもの事だと軽く聞き流していたのだ。



介護の一般的な解釈として、介護される側をクローズアップしているけど、私はいつも疑問に思う。


介護する側の人権は?尊厳は?人生は?


一度、介護を始めたら簡単に投げ出すことは難しい。

なぜなら、自分と世界の倫理観で雁字搦めになってしまっているから。逃げ出すことは、投げ出すことは、相手の死を願う事に繋がってしまうから。


勿論、これは私個人の考えで、全ての人に当てはまる訳じゃない。すごくデリケートで、難しい。国民性もあるだろうし。

けど、母と過ごす内に私は介護する側、される側で線引きされた枠の中に閉じ込められている気がして、おかしくなりそうだった。その時に、父の怒鳴っている声を思い出して、そうか、父もこんなやるせない気持ちでいたんだ、って、漸く思い遣ることが出来た……










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