何の知識もなく始まった介護生活。
尊厳や人道的なアレコレとか思う方もいらっしゃると思いますが、介護力ゼロからの出発をどうか優しい気持ちで見守って頂ければと思います。
そして、『私』が心から願う事。
今、介護に疲れている方々へ…
この『私』と『和ちゃん』のアレコレが少しでも明日への活力になりますように。
私には『和子』という母がいる。
『和子』は時に『和ちゃん』になったり『和コッティ』になったり『ばーさん』に呼び名が変わったりする。
私は『和ちゃん』か『和コッティ』が定番の呼び方なので、このお話の中の母の呼び名は、主にこの2つが頻繁に登場するだろう。
このお話は、私という娘と和ちゃんとその子供たちの日常のヒトコマで、楽しかったこと、苦しかったことの思い出を思いつくままに書き散らす事で、私の中に積み重なっていた様々な感情を浄化しようという、個人的なモノです。
まずはじめに……
私は8年間実母の介護をしてきました。
多分、介護を始めるきっかけなんて「突然」なんじゃないかなと思うんだけど、私もいきなり始まりました。
予兆というか、母の不調は緩やかで何か変だと思った時には、少し遅く病院に行った時には医師に怒られました。
母は脳梗塞で、主に言葉と記憶と視力に障害が残ってしまったのです。
父は当時、末期の肺癌を患いながらも、懸命に和ちゃんを介護し、そして自分が死んだ後の母の事を心配していました。
半年後、2度と自宅へは戻れないと覚悟した父から「ばーさん、頼むな…」と繰り返し言われたこと、何度思い出しても涙が出てしまいます。だって、それまでの二人は毎日喧嘩している様なものでしたから。夫婦仲はあまり良くない、そう思ってた娘の私は、その時になって初めて両親の間の愛情を知ったのでした。
それから2ヶ月後、父が亡くなり本当の意味での一対一の自宅介護が始まったのです。