叶わない願い
向かった先は王家の為に用意された部屋ではなく、人気のない中庭だ。
暗がりで近寄らなければ、誰がどんな表情をしているかわからない。
備え付けられたベンチ、前にではなく隣に座ったロバートに、横抱きに近い状態で抱きすくめられる。
「ここでなら泣いても良いよ、マリアンヌ」
成長期になったロバートとの身長差は日に日に大きくなる、鼻孔に広がる兄の匂いが、酷く安心感をもたらして、気が付けば視界が歪んでいた。
嫌、泣きたくないの、首を振るが自然と溢れだす滴に、頬が濡れていく。
「に、…さま!」
「言ってなくて、すまないな。あの通りジュリアナをマリアンヌと思い込んで、どうにもならない。王家とウィルトン家との婚約は、まだマリアンヌのものだ。けれど、婚約は個人ではなく家同士のつながりだから…」
知らなかった、いや、あえて知らされなった現実に、途方に暮れる。
「私は…マリアンヌではなくなるの?」
「マリアンヌはマリアンヌだよ。誰が何を言おうと、私とっては唯一だ」
「兄様。…ごめんなさい」
私のせいでたくさん苦労かけてしまって。
貴族の娘に生まれたなら、家の為に婚約をし、家の為なら、其れを破棄することだって文句は言えない。
あぁ、それでも。
頭ではわかっていても、涙はとどまることを知らない。
いつか、きっと、言い聞かせて。
リリーシュではなく、マリアンヌと、真実の名と愛を囁いてくれる日を待っていた。
そんな日が来ると信じていたかった。
だから、妹扱いも我慢できたのに。
私の名は実の妹に奪われる。
婚約者と共に。
「謝ることはないよ。愛しいマリアンヌ」
零れる涙を指先でぬぐってくれるのは、優しい兄。
妹の将来を憂いて、笑顔に陰りが生まれる。
「にいさま」
もうすぐ成人を迎えると言うのに、幼い子のように泣きじゃくる私を、微笑ましく見つめて抱きしめてくれる。
私は、マリアンヌ・ウェルトンだ。
ウェルトン家のことを思えば、妹だと思われているだけの私より、婚約者と思われるジュリアナが嫁いだ方が良い。
だが、マリアンヌを表す最大称号である王子の婚約者が剥奪されれば、これから一体どうなってしまうのだろう。
周りから見れば、ただの婚約破棄された哀れな令嬢だ。王家から、と枕詞がつけば最早社交界で生きていくことはできないのかもれない。
「疲れただろう?大丈夫だよ。後は私に任せて」
小さなころのような膝枕、低い声が落ち着かせるように、ゆっくりと長い髪をすいてくれる、優しい手つきに、子どものように、まどろむ。
いつだって手を差し伸べてくれる、その人が大丈夫だと言ってくれる。
けれど。
言い聞かせる其れは。
きっとそういうことなのだろう。
幼い日からの願いは、もう叶えられない。
何の躊躇いもなく、信じることは出来ない。
あの日から確実に、マリアンヌは、一枚一枚自身が剥ぎ取られるように、擦り減って、追いつめられていた。
暗闇の中、手探りで進んで、掴んだ手のひらの中にあるのが空虚なら。
もう、どうでも良かった。
何もかも。
明日が来なければ良い、呪いに似た願いを胸に宿しながら、マリアンヌは瞼を閉じる。