イントロダクション
埃の舞う部屋の中、咳の音が静寂を破った。
誰が咳をしたのだろうと考えてみる。暫しの思考のあと、考えるまでもなく私自身であることに気づいた。
普段の不養生が祟ったか、咳は暫く経っても止まる気配を見せず、喉にひりひりと焼け付くような痛みを残す。
ところで、咳というのは案外エネルギーを使う行為であるらしい。確か一回あたり2kcalであったか。
これ以上私の活動力を浪費するわけにはいかない。私のエネルギーは全て読書に当てられるべくして蓄えられたものなのである。
これ以上エネルギーを無駄にしないためにも、私は久しぶりに窓を開けることにした。
正直窓に向かうためのエネルギーすらも惜しいが、背に腹は変えられない。
カーテンを少し動かすと、その隙間から射し込む光が、部屋に舞う埃達を白く輝かせた。
普段見えなくともこれ程の埃が部屋に舞っているのだなと思うと、また一つ二つ咳が出た。
カーテンを全開にし、私は早速窓を開けようと試みたが、これがどうしたことかつっかえたように開かない。人間も窓も長年使わないと駄目になるらしい。
五分程に渡る窓との格闘の後、顔を真っ赤にした私の前で窓はバキっと何やら嫌な音を立てることとなり、私はようやく清浄な空気を肺に取り入れることができた。
風が部屋を巡り、読みかけの本のページをぱらぱらとめくる。
窓の外からちりん、とかわいらしく風鈴が鳴る音が聞こえた。
……はて? 風鈴?
ここ最近の記憶を振り返ってみても風鈴など買った覚えがない。
というかここ最近外に出た覚えがない。
私の生活はこの空間で完結している。
暫く考えた後、結論は出た。
深く考えないでおこう。
窓辺に風鈴があるのも中々風流なものではないか。もうけものもうけもの。
このちりん、という音を聞くとなんとなく涼しい気分になれる。
気が付けば、私は窓を開けたり閉じたりして風鈴を鳴らして遊んでいた。
ちりん、ちりん。
うむ、涼しい。
ちりん、ちりん、ちりん。
ん? 少し風が出てきたか?
ちりんちりんちりんちりんちりん。
突如として大風が私を襲った。それまでの気持ちの良いそよ風が嘘のようである。
店がガタガタと悲鳴を上げた。
風が部屋を蹂躙し、本や小物がそこら中に散乱し、世界の終わりとも形容できる景色を作り出している。
私は急いで窓を閉めた。
ガタガタと窓枠が唸り、今にも窓が弾け飛びそうになる。
しばらくすると段々と風は収まり、また店に静けさが戻った。
また面倒なものが生えてきたか。
一つ大きなため息をついて、私は部屋の惨状に向き直った。
とにかく、まずは風でぐちゃぐちゃになった店内を片付けなければ。
もう一つため息をつこうとしたが、咳がそれを邪魔した。風で埃が巻き上げられたのであろう。
……もう掃除しなくていいかな。どうせ客なんて来ないことだし。
私は掃除を諦めて読書に戻ることにした。
こんな晴れた日は読書に限るのだ。ちなみに雨の日は明かりをつけて本を読むのに限る。
しかし人生、何かしらをしようと思った時に限って邪魔が入るものである。
例えば、宿題をしようとした瞬間に母親から「宿題やったのー!?」と聞かれ、テスト前に一念発起し、勉強しようと思い立った時に限って教科書を学校に忘れ、初恋は告白する前に相手に彼氏がいることが判明し幕を閉じる(これはそのおかげで命拾いした例と言えるが)。
それに加え、ずっと待ち望んでいたものが来て欲しくない時に来たりするのでたまらない。
洗車をし始めた途端に雨が降る、雨が降って欲しくて洗車する場合を除いて。
マーフィーの法則でもキルクルの法則でも好きなように呼ぶがいい。
今回もご多分に漏れず、来て欲しくない時に来て欲しいものが現れたのである。
コンコンと何年ぶりかに聞いたノックが私の耳をついた。
ああ、望まれない客だ。
思えば、なぜ私は客が来るのをあんなにも心待ちにしていたのだろうか。
こんな店に来るやつなんて、碌でもない変人しかいないというのに。
「誰かいらっしゃいますか?」
はるか昔に書いたお話の焼き直しであります。
単なる悪ふざけの結晶でありますので、気張らずにお読みください。