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第八話 騎士の真実

 麻由良が目を覚ましたと聞き、アランは部屋へと馳せ参じた。

 アラン自身は、あの日の翌朝には、少し貧血を感じはしたものの、既に動けるまでに回復していた。身体には傷跡一つ見当たらない。

 隣国の間者は一人一人が手練れだった。それを四人同時に、意識を失った麻由良を守りながら応戦したため、かなりの深手を負ったはずだというのに。麻由良の力で治癒を施されたのは明らかだった。

 少々ふらつく身体を叱咤してヴァレリーの執務室を訪れたアランが聞いたのは、麻由良が高熱を出して臥せっているということだった。無理もない。ただでさえ熱のある状態で、アランの怪我を治したというのだから。

 それから二日、クラリスと交代で麻由良を看病した。昨日の夜には熱も落ち着き、そろそろ目を覚ますかもしれないと思っていた矢先だった。

 逸る気持ちを抑えて部屋の扉をノックする。許可が下りるのを待って、中へと入った。


 麻由良はベッドの上に居た。上体を起こしてはいるが、重ねた枕に凭れている。まだ身体を動かせるまでには回復していないのだろう。

「聖女様」

 アランが声をかけると、麻由良は柔らかく微笑んだ。

「目が覚めたのね。よかった」

「はい。おかげさまで。治癒を施してくださったと聞きました。ありがとうございました」

 礼を言いながら、アランは頭を下げた。

「私のせいで、怪我をさせてしまったんだもの。お礼を言われるようなことじゃないわ。私の方こそ、助けに来てくれてありがとう」

「聖女様を守る騎士として当然のことをしたまでです」

 アランがそう言うと、麻由良は目を伏せた。しかしそれは一瞬のことで、すぐに麻由良は普段と同じように無邪気な微笑みを浮かべると、アランに尋ねて来た。

「そういえば、お見合いはどうだったの?」

「なぜそれを!?」

 予想外の質問に、アランは驚き瞠目する。

 見合いのことなど、麻由良に一言だって伝えた覚えはなかった。父に呼び出されて家に帰ると言っただけだ。麻由良に見せた手紙には、確かに見合いのことにも少々触れられていたが、麻由良が未だこの世界の文字を読めないことは知っている。

 アランが驚いたこと自体に、麻由良は驚いたらしい。微笑みを消し、眉根を寄せてアランから視線を外した。

「ごめんなさい、クラリスに聞いたの。クラリスはヴァレリーに聞いたと言っていたんだけど」

 自分の主ながらヴァレリーに対して、余計なことを、と思いつつ、キッパリとアランは答えた。

「破談となりました」

「そう……。残念だったわね」

 視線を落として気遣うように言う麻由良の言葉に、アランの心の中で黒い感情が渦が巻く。

 この方は、私が誰かと婚することを望んでいるのだろうか。

「ごめんなさい。きっと、私のせいなのよね。私が行方不明になったと聞いて、お見合いを中断させてしまったんじゃない?」

 謝る麻由良に、アランは「いえ、そのようなことはありません」と頭を下げた。

 もともと、誰かを妻に迎えることなど考えていない。わたしが共に生きたいと願うのは、この世でたった一人しかいないのだから。

 だから、挨拶もそこそこに、見合い相手にこちらからお断りをさせていただいたのだ。慕う方がいると。この身を捧ぐと心に決めた方がいると。

 そして愛しいその方が居るはずの城へと馳せ帰ったのに、聖女様が行方不明になったという報告を受けたのだ。そのときのわたしの気持ちを、この方は想像したことがあるのだろうか? もう二度と微笑みながらわたしの名を呼んでもらえないかもしれないと、恐怖にも似た思いを抱いたわたしの気持ちを。

 アランは麻由良を見つめたが、麻由良はまるでその視線から逃げているかのように窓の外へと目を向けた。先日とは打って変わって、青く澄んだ空が広がっている。

 その透き通った空とは対照的に、アランは、何かが違う、と感じていた。霞がかかったようにはっきりとはわからないが、何かが違うのだ。麻由良とアランの間にある空気が。

「ゆっくりと養生なさってください」

 そんな不安をかき消したくて、アランは麻由良へと声をかけた。

「そうね。早く治さないと。皆が待ってるわ」

「熱が下がっても、数日の間、治癒魔法は使わないと約束してください。代わりに、先日リュークの上で見た湖へお連れしますから」

 アランの提案に、麻由良は微笑んだだけだった。

 いつもなら、嬉しそうに「本当? 約束よ?」などと念を押してくるのに。やはり何かが、いつもと違う。胸がざわざわと騒ぐ。

 麻由良を見つめ続けている内に、アランは気が付いた。麻由良と視線が合わないのだ、と。麻由良はこちらを見ているようで、どこか別のところを見ている。

「治るのにあと数日かかりそうだから、その間は私に構わず自由に過ごしててね」

 そう告げる麻由良の表情は笑顔なのに、壁を感じた。

 動揺から無言になってしまったアランの表情をどう解釈したのか、麻由良が苦笑した。

「大丈夫よ、もう勝手に出歩いたりしないわ。心配させないって約束する」

 手を伸ばせばすぐに抱き寄せられる距離にいるのに、麻由良が、やけに遠い。

「──聖女様?」

「ん? なぁに?」

 麻由良の聞き返す声に、アランは我に返った。麻由良が不思議そうに首を傾げている。

「いえ……なんでもありません」

 アランはそう言うしかなかった。

 知らない内に呼びかけていた。でも、そうしないと、本当に麻由良がどこかへ行ってしまうような気がしたのだ。麻由良は確かに、ここに居るというのに。

 自分の思い過ごしだろうか……。

 アランが呆然と麻由良を見つめていると、麻由良が小さく欠伸をした。

「ごめん、ちょっと眠いの。少し眠るわ」

 そう言って、麻由良はベッドに潜り込むとアランに背を向けた。ちょっとと言っていたが実際はかなり眠かったらしく、すぐに寝息が聞こえてくる。

 言い表すことのできない不安を抱えたまま、アランは麻由良に毛布を掛け直すと、そっと部屋を後にした。


 麻由良が、自分を見ようとしない。吸い込まれそうなほどに神秘的な黒い瞳が自分を映すたびに、密かに暖かい気持ちになっていたのに。

 自分が臥せっている間に何があった?

 アランは真っ直ぐにヴァレリーの執務室へと向かった。ヴァレリーならば、何か知っているかもしれない。



 アランは以前から騎士ではあったが、麻由良の護衛となる前までは特殊任務を請け負う部隊に所属していた。潜入捜査や情報収集、場合によっては暗殺も任務の内という、いわゆる国の裏を司る暗部だ。中でもアランは、ヴァレリー専属として努めていた。

 あの日、麻由良に初めて会った日も、任務で他国の間者を尾行していた。十分に気を付けてはいたが、敵の方が一枚上手だった。森の中で見失ったところを苦無で攻撃されたのだ。辛うじて避け、腕を掠っただけで済んだのだが、敵は用意周到にも苦無に毒を塗っていた。次第に痺れていく手足と霞んでいく目の中なんとか応戦し、攻撃を受けながらも敵を倒したアランだったが、帰投のさなか、力尽きて樹に背を預けながらずるずると倒れたのだった。

 ここで死ぬのだな、薄れ行く意識の中、ぼんやりとそう思っていた。暖かい光に包まれるまでは。

 いつまでも微睡んでいたくなるような心地よい感覚を味わっている内に、身体が楽になった。自分は死んだのかと、ぼんやり思ったアランは、聞こえてきた女性の声に目を開いた。そこには、まるで女神の化身ではないかと思う容姿をした、およそこのような森の中にいるべきではない少女がいた。

 信じられないことに、身体に受けた傷は消えていた。毒も綺麗に抜けている。一瞬死後の世界にいるのかとも思ったが、アランは生きていた。

 アランは少女に尋ねた「君がやったのか?」と。

 しかし、少女はアランの言葉を理解できないようだった。何かを言ったが、この世界の共通語ではなかった。事情も分からぬまま、城へと連れ帰ることにした。不安げに揺れる黒い瞳を放っておけなかったし、悪人には思えなかったからだ。

 少女は異世界人であった。ヴァーチの腕輪を身に着けた彼女は、マユラと名乗った。そして、元の世界に戻ることを希望していた。

 帰還の術式が整うまで彼女を護衛するよう、アランは主であるヴァレリーに言い付かった。

 麻由良は賢く、自分の治癒の力の価値をすぐに理解したようだった。

 誰にでも分け隔てなく力を発揮しては力尽きて倒れる麻由良を、アランは初め理解できないと思っていたが、気付けばその優しさを好ましいと思うようになっていた。アランのことを信頼し切ってくれていることが、心地よく感じられるようになっていた。自分の名を呼ばれる度に、幸せな思いを抱くようになっていた。

 アランは麻由良に惹かれていることに気が付いたとき、同時に自分自身に失望もした。やがてこの世界から居なくなる女性に心を奪われてどうするというのだ? 命を助けてもらったから、恩義を感じているだけだ──

 幸いなことに、仕事柄、感情を殺すことには慣れていた。ヴァレリーにすら気持ちを隠し、アランは護衛の任務に専念した。

 しかし理性で留めようとしても、麻由良を想う気持ちは膨らむばかりだった。

 意識を失う麻由良を運ぶのが、麻由良の見た目よりまろやかなラインを描く身体に触れることが、幸福感とともに苦痛をももたらした。自分に向かって微笑みながら名を呼ぶ麻由良を見て、まるで煽られているかのように思えて苛まれだ。

 悩んだ末、アランは、麻由良のことを名で呼ぶのを辞めた。護衛の任を辞退することも考えたが、麻由良の側に別の男が就くなど耐えられなかった。だから「聖女様」と呼ぶことで、心の距離を保つことにした。

 そうしなければ、いつか、自分は暴走する。帰りたいと願う麻由良をどこかに閉じ込めてしまう。守るべき人を縛り付け、傷付けてしまう。

 麻由良には、何にも憂慮することなく笑っていて欲しいのに。

 アランはいつしか、深く深く、麻由良のことを想うようになっていた。



 執務室に入ると、ヴァレリーが机に座っていた。アランの姿を見とめて声を掛けてくれる。

「アラン。マユラの容体は?」

「ええ。目を覚まされておりました。まだ動ける状態ではないようですが」

 そう答えながら、アランはヴァレリーが少し疲れていることに気が付いた。ここ数日で、目の下にはうっすらと隈ができ、頬も痩けたような気がする。

「少し、やつれましたか?」

 アランが尋ねるとヴァレリーは自嘲気味に笑った。

「……かもしれないな」ヴァレリーが大きく溜め息を付き、先を続けた。「クラリスが、婚約を解消したいと言ってきた」

「ご冗談でしょう?」

 思わず聞き返したアランに、ヴァレリーはまた自嘲しつつ「だといいのだがな」と応える。

 どうやらヴァレリーの言っていることは事実のようだった。ヴァレリーの様子がおかしいのはそれが原因だとアランは直感した。

「何かあったんですか?」

「いや、何もない。お前とマユラが帰ってきたこと以外は、本当に、何もなかったんだ」

「それでも、何か原因があるはずでしょう」

「それがわからないから焦っているんだ!」

 ヴァレリーがドンと机を拳で叩く。

「だから散々言ってきたじゃないですか。早くクラリス嬢を妻としてお迎えしろと。逃げられてからでは遅いと」

 小さく嘆息しアランが静かにそう言うと、ヴァレリーはフフフと鼻で笑う。

「本当にそうだな。もっと早く、腹を括るべきだった。

 私と結婚し、将来の王妃となれば周囲がクラリスに期待することも変わる。クラリスに辛い思いをさせたくない、そう思っていたが、婚約解消を言われて初めて、それは私自身の言い訳に過ぎなかったと気付かされた。私はただ、自分の手でクラリスを幸せにしてやれる自信がなかったんだ。だからつい、先延ばしにしていた。

 それに勝手に安心していたのだ。クラリスが私を見る瞳はいつも、私のことを好きだと言っていたから。だが、もう手遅れだ……」

 ヴァレリーが顔を両手で覆う。アランはかける言葉が見つからず、ただそれを眺めていた。


 ヴァレリーは深呼吸するように大きく呼吸している。しばらくして、落ち着いてきたらしいヴァレリーがアランの方を向くと、こう言った。

「お前の方こそ、マユラと何があった?」

「何が、とは?」

「マユラが『自分の護衛騎士を別の者にしてくれ』と頼んできたぞ」

 質問の意図がわからず聞き返したアランだったが、ヴァレリーの言葉に凍り付いた。

「なっ……!? まさか、了承されたのですか?」

「案ずるな。それは無理だと伝えた。私の知る限り、そなたより強く、忠誠心を以ってマユラを守れる者はいないからな」

「そう、ですか……」

「アラン。マユラと何があったのだ?」

「わかりません。私が知りたいくらいです」

「とにかく、私はクラリスと一度よく話す。お前も──」

 ヴァレリーが言いかけたとき、執務室の扉がノックされた。ヴァレリーが入室を許可すると、魔導士長が意気揚々と入って来た。

 魔導師長は、ヴァレリーに礼儀正しく頭を下げた後、満面の笑みを浮かべて口を開いた。

「ヴァレリー様、お喜びくださいませ。ついに、聖女様を異界へと送り届ける術式が完成いたしました!」

 嬉々として告げる魔導士長の言葉が、アランには、死刑宣告のように聞こえた。

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