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第五話 聖女の逃亡

本日二回目の更新です。

 二年も住んでいると、広い城の中もある程度詳しくなる。この城の中に、使われていない部屋がいくつもあることを麻由良は知っていた。

 麻由良はショールを羽織り、未だぽろぽろと零れ落ちる涙を手の甲で拭いながら、人目を避けてその一つへと身を隠した。

 部屋には家具らしいものは何もない。四方の壁の内、一辺だけは、作り付けの本棚になっているが、中は空である。窓には厚手のカーテンが引かれたままだ。掃除だけはされているようで、床は綺麗だった。

 薄暗い部屋の最奥に蹲ると、誰も見ていないという安心感からか、また自然と涙が溢れてくる。それでも、いつまでもここに籠っているわけにもいかない。自分が部屋から居なくなったと知れれば、クラリスもヴァレリーも騒ぎ始めるだろう。

 麻由良は気持ちを落ち着かせようと目を、瞑り静かに深呼吸した。床に尻を付いて膝を抱え、背中と頭を壁に預ける。そのとき、頭に何かが当たった気がした。あれ? と思うのと同時に

 ガゴン……

 という音がし、ひゅぅっと風が部屋に入って来る。

 麻由良は驚き目を開くと、辺りを見回した。窓も部屋の扉も閉まったままだ。特に変わったところはないように見える。しかし、麻由良の左手、作り付けの本棚の一角に、人が一人屈んで通ることのできる程度の大きさの穴が開いていた。自分の背にある壁をよく見ると、ちょうど頭が当たる高さに、壁紙の模様に溶け込んでいてよく見なければわからないくらいの、小さなスイッチのようなものがあった。

 どう見ても、隠し通路だった。もしかしたら、昔この部屋は高貴な身分の方の部屋だったのかもしれない。有事の際の避難経路として造られたのだろう。だが、長い歳月の内に、その存在が忘れられしまったのだ。

 あまりの驚きに、麻由良の涙はいつの間にか止まっていた。そっと穴に近付き、その奥を窺ってみる。思った通り、細く狭い通路が続いていた。ところどころに、ぼぅっと光る灯りもある。多分、何かの魔法なのだろう。麻由良は好奇心に駆られその通路へと入って行った。

 元の世界でちょうど平均値くらいの麻由良の身長で、特に屈まずに歩ける広さのその通路は、一本道だった。途中に階段があったものの、特に迷わず進むことができた。数分も歩くと行き止まりが見えてくる。ここで終わりなのかとも思ったが、傍まで寄ると、それは行き止まりではなく扉であることがわかった。

 麻由良は扉を細く開け、外の様子を窺ってみる。特に人の気配はない。思い切って外に出てみると、そこは城の外、城門へと昇る階段の脇であった。ちょうど背の低い植木の影になっており、誰も麻由良が突然出てきたことにすら気が付かない。

 麻由良は出てきた扉を閉める。外側は周りとカモフラージュされていた。

 一人で出掛けないように、と以前に言われたヴァレリー言葉が頭を過ぎる。だが今は、その罪悪感よりも気を紛らわせたいという気持ちの方が勝っていた。

 麻由良は髪を頭のてっぺんに纏めて結い留めると、それをすっぽりと隠すようにショールを被り、顎の下でリボン状に結んだ。

 この世界で、麻由良の黒い髪は目立ち過ぎる。以前に市井へ治癒をしに出たとき、自分と同じ世代の女性が薄布を被っていたのを麻由良は覚えていた。この世界で帽子は高級品だ。購入できない庶民層の女性が、帽子の代わりに布を纏っているらしい。そう聞いた時には不思議に思ったものだが、今はその風習がありがたかった。これで周囲に溶け込めるはずだ。

 少し空が曇っているのが気にはなったが、麻由良は城下町へと向かうことにした。しばらく散歩して気を紛らわし、気持ちが落ち着いたら帰るつもりだ。怒られるのは確実だが、それは甘んじて受けようと思った。


 既に城門の外にいるのだから、門兵に咎められることもない。麻由良はすぐに城下町へと辿り着いた。足の向くままに歩いて行くと、いつの間にか城下町の中でも庶民向けの商店が並ぶ地区に入っていた。威勢のいい声が飛び交い、人々が往来する。活気が溢れていた。

 麻由良は特に目的も作らず、のんびりと街並みを見て歩いた。

 一人で来る城下町は新鮮だった。誰一人として、麻由良のことを『聖女様』として見ないし、病人や怪我人を治してくれと縋るように乞われることもない。麻由良は久しぶりの開放感を味わっていた。


 一時間ほど歩いただろうか。お金も持たずに出てきたので、ただ見て回っているだけだったが、この世界の人々が活き活きと生活している姿を見ている内に、麻由良の沈んでいた気分もだいぶ浮上して来た。

 今ならもう、普通に笑える気がする。さっきは、とてもじゃないけど笑顔になんてなれなかったもの。

 どのみち私とアランは住む世界が違うし、私は元の世界に帰るつもりなんだもの。アランが素敵な女性と結婚してくれるなら、この気持ちにもケリが付くわ。

 麻由良はそう思いながら、城へ戻るべく足をその方角へと向けた。城を振り返って初めて、いつの間にか、随分遠くまで来てしまっていることに気付く。城門に着くまで三十分ほどかかるかもしれない。一人で外から戻って来た麻由良に門兵たちは驚くだろうが、この髪を見れば『聖女』であると知れるだろう。

 しかし、歩き始めてすぐ、曇っていた空からついに雨が降ってきた。酷くはないが、服を濡らすには十分な強さだ。町を行く人々がそれぞれ自宅や軒下へと駆け出す。麻由良も小走りで手近な店の軒下へと逃げ込んだ。

 空を仰ぐ。城から出てきたときよりもずっとどんよりとした雲が広がっていた。しばらく止みそうにない。このままいつになるのかわからない雨上がりを待つよりは、多少濡れてでも城へ戻った方がいいかもしれない。

 麻由良は意を決して軒下から駆け出した。


 通りはもう人気もまばらだ。城下町の地理に明るくない麻由良は、とにかく城の見える方へと道を選んで向かった。雨水はすぐ服に滲み込み、麻由良の身体をも濡らした。

 しばらくして、前方に人影があることに気付いて足を止める。手で庇を作り視界を確保しつつその人を見ると、目の前にいた男は明らかに意思を持って麻由良を見つめていた。その嫌な視線に男を避けようとその脇の方へ足を向けるが、そこにはまた別の男がいた。正面にいた男と同様に、やはり麻由良を油断なく見ている。

 いつの間にか、麻由良は前方を四人の男に阻まれていた。男たちはそれぞれごく普通の綿でできた服を着ており、一見するとただの一般市民のように見える。だが、纏う雰囲気はどこか鋭く、麻由良には見た目通りの人間とは到底思えなかった。距離は未だ各々数メートルずつ離れているのだが、麻由良をじっと見据えたまま、じりじりと近付いて来ている。

「聖女マユラ様でいらっしゃいますね?」

 最初に見た男が静かに問うその声に恐怖を覚え、麻由良は咄嗟に身を翻して走り出した。

「追え!」

 後ろから男の声が聞こえてきた。走っている内に結んでいたショールが解けて取れ、黒い髪が露わになる。

「やはりか」

「捕まえろ」

 雨は先ほどよりも酷くなり、割と広い通りだというのに、既に人っ子一人いなくなっている。

 とにかく逃げなければと闇雲に走っていた麻由良は、進む先に現れた男の一人に驚き足を止めた。後ろからは他の二人が追ってきている。もう一人見当たらないが、同じように麻由良を追っているはずだ。麻由良は辺りを見回し、男たちと自分との間に細い路地を見つけると迷わず駆け込んだ。

 人が一人やっと通れる程の幅しかない路地をジグザグに曲がって逃げる。走りながら後ろを振り返ると、男たちの姿が見えなくなっていた。

 撒けたのかしら。

 一瞬そう思ったが、あの『普通』ではない者たちをそう簡単に撒けるはずがない。

 麻由良は走るのを止め、足音を忍ばせて慎重に歩き始めた。降り注ぐ雨に全身がずぶ濡れだ。裾の長いドレスも重い。しかしそんな泣き言を言ってもどうにもならない。

 角に来ると、麻由良は路地の壁に背を当て、そっと曲がった先の様子を窺った。やはり男の一人の姿が見える。男は辺りを見回していた。明らかに麻由良を探している。

 麻由良は男が別の方向を向いているときを狙って、先へと進んだ。

 しばらくして、麻由良は自分が倉庫街のような場所に居ることに気が付いた。どうりで人気がないわけだ。人が生活している場所ではないのだから、人が居なくて当然なのだ。

 そして同時に、麻由良は、この地区に辿り着いたのが、偶然ではなく必然であったことを悟る。男たちの巧みな誘導によって、麻由良はどんどんと人の少ない方へと追い込まれていたのだ。

 角を曲がった途端、目の前に高い石壁が現れて麻由良は足を止めた。見上げると壁の上にツィンネが見えた。どうやら城壁らしい。城下町の一番端にまで追い詰められてしまったということだ。

 後ろから足音が聞こえてきて振り返ると、先程の男たちがやって来ていた。完全に逃げ道を塞がれている。

 未だ降り続く冷たい雨が、濡れた麻由良の身体を滴り落ちて行った。ずっと走っていたために息が荒い。それなのに麻由良の身体は冷え切っており、寒さすら感じた。

 昨日の疲労からまだ回復し切っていなかったんだろうな、と麻由良は思った。心なしか、意識もぼんやりとする。

「なぜ護衛も付けずに一人でいたのかはわからんが、こちらとしては好都合だったな」

 男の一人がそう言っているのが聞こえてくる。四人の内、リーダー格らしい最初に見た男が麻由良の方へ一歩進み出た。

「聖女様、我々の国までおいでいただけますか。大人しく我々に付いて来ていただければ、手荒な真似はしないと約束します」

 男の言葉を聞きながら、麻由良は身体の力が抜けていくのを感じていた。既に足の感覚がない。


 ──ここまで、かな。

 私、自分で思っていた以上に、今までずっとみんなに守られていたのね……。

 きっと、罰が当たったんだ。みんなの好意を踏みにじって、ヴァレリーの注意も聞かないで、勝手に出てきちゃったから。きっと今頃、私が居なくなっていることに気が付いて、お城は大騒ぎになっているはずだ。

 ごめんね、アラン。ごめんね、ヴァレリー。ごめんね、クラリス。ごめんね、みんな。心配ばっかりかけて、迷惑ばっかりかけて、本当にごめんなさい……。


 この男たちに付いて行けば、もう二度と、ここへは戻れないだろうと麻由良にはわかっていた。しかし、この状況で、他にどんな選択があると言うのだろう?

 ぼんやりとする頭で麻由良はゆっくりと、しかし、はっきりと、こくりと頷いた。

 麻由良にもう逃げる気がないとわかったのか、最初に見た男の右隣に居た男が麻由良の方へと近付いてくる。その手が麻由良の肩に触れようと伸ばされた刹那、別の男が叫んだ。

「避けろ!」

 呆然として意識を保っているのもやっとな状態の麻由良の目の前で、手を伸ばしていた男の身体が薙ぎ倒された。吹き飛んだ男が建物の壁に強かに背をぶつける。

 何が起こったのか理解できない麻由良の視界を、大きな背中が遮った。アッシュブロンドの髪が雨に濡れている。


 アラ、ン……?


 薄れ行く意識の中、麻由良は自分の名を呼ぶアランの声を聞いた気がした。

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