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第一話 聖女の帰投

本日二回目の更新です。

 眩しさを感じて、麻由良は意識を取り戻した。目を擦っているとき、身体がふわりと浮いているような感覚を覚えて目を開ける。

「気が付かれましたか」

「っ!! アラン……!」

 目の前にあった、自分を覗き込むアッシュブロンドの髪を持つ端正な男の顔に驚き、麻由良は思わず身を仰け反らせた。アランとのあまりにも近いその距離から逃れようとしたのだが、逞しいアランの腕がそんな麻由良の動きを軽々と封じる。

「暴れないでください。落ちますよ?」

 そう言われて初めて、麻由良は自分がどんな状態にあるかを確認した。どうやらアランの物らしいマントに包まれた麻由良は、アランの膝の上に横向きに座らされ、そのしなやかに鍛えられた左腕でしっかりと抱きしめられていた。

 アランの右手は飛竜を繰る手綱を握っている。麻由良が覚えた浮遊感は、今二人が乗っている飛竜が、風を切って飛んでいたことによるもののようだ。

 あぁ、そっか。私、さっき倒れたんだっけ。また治癒魔法を使い過ぎたんだ。

 麻由良は一人納得した。


 この世界に迷い込んだ麻由良は、何故か治癒の魔法を使えるようになっていた。それも、この世界の人が驚嘆する程に強力なものらしい。

 力を授かったことを知った後、乞われるままに、麻由良は人々を癒してきた。怪我人も病人も、重い症状でも軽い症状でも、遠方でも近所でも。そしていつしか『女神の加護を受けし漆黒の聖女様』と呼ばれるようになっていた。

 『漆黒の』という単語がわざわざ入っているのは、麻由良の持つ日本人らしい黒髪黒目が、この世界で崇められている女神様の容姿に酷似しているからである。麻由良のいた世界と違い、この世界の人々は皆、色素の薄い容姿をしていた。


 今日も麻由良は、国境に程近い村へと人々に治癒を施すためにやってきていた。昨日までしばらく続いた長雨のせいか、その村の裏手にあった崖が突如崩れたのだ。怪我人が大勢いると聞き、救助の任を与えられた騎士たちとともに飛竜に飛び乗った。

 そして訪れた村で人々に治癒を施して周り、力を使い果たしてしまったのだった。


「私、帰って大丈夫だったの? まだ他に、怪我してる人がいたんじゃない? 治療した人が、状況はかなり酷いって言ってたけど」

「大丈夫です。先程の方が最後だったそうですよ」

「そっか」

 アランの言葉に麻由良はホッと息をついた。皆の怪我さえ治せば、後は騎士たちと村人たちでなんとか復旧していけるだろう。惨状を目にしてしまったために帰ることに後ろめたさはあるが、土木作業など慣れていない、体力があるわけでもない麻由良が残っては、却って迷惑になるのは明白だ。

 それにしても。

「最後の一人まで気力が持ってよかった」

 そう言って麻由良が微笑むと、対照的にアランは眉間に軽く皺を寄せた。

「あまり無茶をしないでください。毎度毎度気を失われては、こちらの心労が絶えません」

「ごめん。でも、目の前に苦しんでいる人がいたら、アランだって放っておけないでしょう? 私は治す力を授かってるんだし、できる限りのことはしたいの」

 即答する麻由良に何を言っても無駄だと悟ったのか、アランは溜め息をついた。

「わたしと一緒にいるときだけにしてくださいね」

「ん、わかった」首肯してから、麻由良は苦笑する。「まったく、アランは心配性ね」

「聖女様をお守りするのがわたしの役目ですから」

「うん、知ってる」

 アランは目を眇めたが、特にそれ以上何か言ってくることはなかった。

 麻由良は首を回して飛竜の進行方向を見た。風が気持ちいい。飛竜は順調に進んでいるようだ。

 飛竜を使えば、国内のたいていの場所には日帰りで訪れることができる。今日も、日が沈むまでには帰り着けるだろう。

 眼下には町や森や山々が広がっているのだろうが、アランにしっかりと抱き留められたこの姿勢では、麻由良にそれを見ることは叶わなかった。

「ねぇ、アラン。下ろしてくれる? 景色を見たいの」

 麻由良はそう口にはしたが、実のところ、言葉の通り景色を見たい気持ちもあるが、近過ぎるアランから離れたいという気持ちの方が強い。

 それを知らないアランは躊躇したが、「お願い」と麻由良が上目遣いで両手を胸の前に組むと、渋々といった表情で麻由良を膝から下ろした。

「ありがとう。──あは! リュークに乗るの久しぶり」

 リュークというのは、今二人が乗っている飛竜の名だ。黒くて硬い皮膚に覆われた、トカゲのような身体とコウモリのような翼を持つこの翼竜はアランのものである。

 初めて見たとき、麻由良は恐怖を覚えたものだが、リュークは賢く主への忠誠心も人一倍(竜一倍?)で、その癖に人懐っこい性格だったこともあり、今では可愛いとすら思っていたりする。獰猛そうな外見に反して、実は草食動物で、果物が好物だと知ったときは、かなり驚愕した。

 麻由良は、アランの脚の間、リュークの背に腰掛けると、両腕を突っ張って身を乗り出した。思った通り、麻由良の元いた世界とはまるで違う、自然豊かで素朴な風景が広がっていた。

「落ちないようにしてくださいね?」

「大丈夫よ。もし落ちても、アランが助けてくれるもの」

 景色を楽しみながら、心配するアランの方を見もせずに麻由良が言うと、腰にアランの腕が巻き付いた。

 どきりと熱くなる身体を誤魔化し、麻由良は平静を装う。

 アランにとって、これは仕事だから。義務で私を守ろうとしてくれてるだけだから。だから、こういう行為に、深い意味はないの。

 声には出さず自分自身にそう言い聞かせていた麻由良の耳に、アランの落ち着いたテノールが聞こえてくる。

「信用されているようで何よりです」

「うん、頼りにしてる」

 これは麻由良の本音だ。

 アランが微笑んだのが気配でわかった。きっと、深い碧色の目を柔らかく細めて。麻由良の気持ちも知らずに。


 それからどれくらい飛んだのだろうか。日が傾き、少し風を冷たく感じ始めた頃、アランが前方を指差しながら言った。

「聖女様、城が見えてきましたよ」

 遥か前方に、夕日の光を受けて朱く染まる、石造りの荘厳な古城が見えてくる。麻由良がこの世界で寝泊まりさせてもらっている、この国の王が住まう城だ。

 城の手前には湖があり、夕日を反射してキラキラと輝いている。城と湖が、まるで一枚の絵のように美しい風景を作り出していた。

「綺麗……。いつまでも見ていたいくらい」

 麻由良が呟いた。アランが優しい声で応える。

「今度ゆっくり見に来ましょう」

「本当? 約束ね」

 リュークは湖の上を飛び、城に近付く。

 城の面積に対してかなり広い範囲を城壁が囲っているのは、城と共に城下町やそこに住まう人々をも守るためだ。長い城壁の上に、見張りの騎士が何名かいるのが見えてくる。

 リュークはあっという間にその最南端の門を飛び越え、城下町の上空を通過し、城のとあるテラスへと舞い降りた。身体を伏せてくれたリュークの背から降りようとして、麻由良は脚に上手く力が入らないことに気が付いた。まだ、治癒の力を使い過ぎた後遺症が残っているのだ。

 どうしよう?

 と思う間も与えられず、麻由良の身体がふわりと持ち上がる。麻由良は脇と膝の裏にそれぞれ腕を通され、アランに軽々と抱き上げられていた。

「まだ歩ける状態にないのではありませんか?」

 突然の事態に思考がついて行かず質問に答えられない麻由良を、アランはどうやら肯定と判断したらしい。麻由良を横向きに抱き上げたまま、ひょいとリュークから飛び降りた。

 テラスに着地すると、アランはリュークを振り返る。

「ありがとう、リューク。助かった。また頼む」

 アランが礼を言うと、リュークは嬉しそうに「クェーッ!」と一声鳴き、大きな翼をバサリとはばたかせて飛び去って行った。

 風圧で土埃が舞い、麻由良は小さくくしゃみをする。途端にアランが顔を顰め、テラスへ出入りするための吐き出し口へと大股で歩き出した。


 テラスと繋がっていたのは、この国の王太子の執務室だ。部屋の最奥に当たる場所に置かれた、書類が積み上げられた大きなデスクに座っていたのは、この部屋の主であるヴァレリー・オルブライトその人であった。その傍らには、亜麻色の髪を持つ美しい女性が椅子に座り、何やら分厚い本を手に一生懸命読んでいた。

「ヴァレリー様、ただ今戻りました」

「アランか。ご苦労だったな。疲れたであろう」

 そう言いながら読んでいた書類から顔を上げたヴァレリーは、アランに抱かれている麻由良を見て苦笑を浮かべる。

「またマユラは力を使い過ぎたようだな」

 この状態で帰って来る麻由良に、ヴァレリーは既に慣れてしまっているようだった。心配は心配だが、呆れもしている、そんな感情が表情から読み取れる。

 女性が本を置いて立ち上がり、心配気にアランに抱かれたままの麻由良の方へと近づいてくる。

「マユラ様、お身体は大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、クラリス。アランが大袈裟なの。ちょっと休んだら治るから」

 麻由良がクラリスに微笑みかけると、クラリスも安心したように手を胸に当てて息をついた。

「わたしは聖女様をお部屋へとお連れします。ヴァレリー様、ご報告はその後でもよろしいですか?」

「わかった、そうしてくれ。クラリスを向かわせるのは少し待ってくれるか。少々調べごとを頼んでいるのだ」

「承知しました」

 ヴァレリーから許可を得たアランが、麻由良を抱いたまま礼をして部屋を出た。


 城内の厚い絨毯が敷き詰められた広い廊下に人気はないが、いつ誰に見られるかわからない状況で、この状態──お姫様抱っこ──というのはあまりにも恥ずかしい。表情や態度に出さないよう努めてはいるが、先程からずっと心臓がどきどきと鳴り止まないのだ。

 麻由良はアランの名をを呼び、頼んだ。

「ねぇ、下ろして。自分で歩けるから」

 アランは森を思わせる深い碧色の瞳で麻由良を一瞥し、すぐ前を向いた。

「先程倒れた方が何を仰ってるんですか。もうすぐお部屋ですから、このまま臥榻がとうまでお連れします」

 全く足を止める様子を見せないアランに、麻由良は自分の願いが聞き入れられないことを悟る。


 麻由良は自分を包むマントに顔を隠し、声を出さずに祈った。

 『もうすぐ』の間、どうか、どうか、この心臓の音に気付かれませんように。赤くなっている頬に気付かれませんように。

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