オープニング ブルー
『……暗い。ここは……どこなのか?』
闇の中で目を動かすも映るは暗黒のみ。
『……わたし……は……』
経緯を思い出そうとすると、ノイズが走るような頭痛。
しかし、身じろぎすらかなわない。
『……? 右手が……』
感覚が無い。下半身もだ。
とはいっても、左手を動かしたり、頭を巡らしたりも出来ない。そして、心臓の音もほとんどしなくなっていた。
『……ああ、そうか……』
自分は死ぬのか。
と、唐突に悟った。
すると、不思議なことに頭痛が収まった。
それまでの事が、鮮明に思い出された。
『……我が帝国は……勝てたのだろうか?』
ごちる。
敵は別の強大な帝国だった。我が帝国はそれに挑んだ。
その決戦で、自分は奇襲を受けた。
ともに出陣していた姉や妹たちが次々に倒れる中、一矢報いんと奮闘したが、届かなかった。
敵の攻撃を受けて足をやられて動けなくなったところを集中攻撃され、右腕を失い、腹に強烈な一撃を受けて戦闘力を奪われた。このままでは不味いと必死に戦友たちを逃がしたが、さらに追撃を受けて意識が途絶えた。それからどれだけの時間が経ったのか?
まるでわからなかった。
『……みなは……無事だろうか?』
戦友たちの笑顔が思い出される。踏みとどまると言う彼らを必死に説得し、無理矢理逃がしたのだが、逃げ切れたか定かではない。
『……ふふ、いまわの際にすら自分のことより皆を思うとは……』
つくづく仲間に恵まれていたらしい。
『……寂しいな……怖いよ……みんな……』
暗闇の中で小さく漏らした瞬間、締め付けられるような恐怖が襲ってきた。
『怖い? ……わたしが……?』
そんな感情が自分にあるという事を始めて知った。
それが、自らが失われようとして始めて得られた感情だとは、皮肉も良いところである。
『……怖い……怖いよみんな……姉さん……雲龍……キャプテン……みんな……』
親しい者たちの顔が脳裏をよぎり、それがさらに恐怖を助長していく。
恐怖と悲しみが“こころ”を支配していく。
「……みんな……わたしは……」
と、不意に破片が降ってきた。何事かと意識を集中し、上の方を見ると、硬いモノが砕け、金属がひしゃける派手な音が響き、光の点が見えた。
そして、
『どぅわあぁぁあっ?!』
と、情けない悲鳴が上から降ってきた。
ぼふんっ! と砂煙が舞い上がり、一人の人物が身を起こした。
「げほっげほっ、ひどいホコリだな……何年放置されていたんだか……」
癖のある黒髪を少し伸ばした頭にヘルメットをかぶり、ツナギを着たひょろりとした背の高い青年だ。若そうな顔をしてはいるが、どことなく疲れたような雰囲気で、三十位に見える。
先ほどの光の正体は、ヘルメットに取り付けられた照明具のようだ。
「……どなたですか? といいますか、重いのですが」
「へ?」
声をかけると、間抜けそうな声を出した。きょろきょろと辺りを見回してから、そーっと下を見る。蒼い瞳が彼を見上げた。
「……」
黒い瞳と蒼い瞳が見つめ合う。
と、青年の瞳が下を向いた。
そこには青年の手があるのだが、その手の中には蒼いスペーススーツに包まれた、ボリューミーな柔玉がひとつ。
青年が確認するように手を動かすと、それはやわやわと変形し、柔らかさと弾力を彼に伝えた。その柔らかさが気に入ったのか、青年はしばしそれを弄んだ。
「……変態ですか?」
「うわったぁっ?! 違うっ!? あまりの柔らかさに堪能してしまったが、断じて変態ではないっ!」
ジト目で訊ねられ、青年は慌てて手を離した。
「……やはり変態ですね?」
「なんでそうなるっ!?」
「いえ、女性をベンチ代わりに座っているのですから、やはり変態かと」
言われて初めて青年は少女の上に尻餅を着いている自分に気づいた。
「う、うわわわあぁぁあっ?! ス、スマン悪気はなかったんだ!」
「……まあ、事故だというのは認めましょう。しかし、私の胸を揉みしだいたのは故意ですよね?」
「……す、すみませんでしたあっ!」
二秒で土下座余裕でした。
と、女性がクスリとわらった。
「……冗談です。わたしは人間ではありませんから、犯罪にはなりません。まあ、人形の胸を揉みしだいただけだと思えば良いでしょう」
「……ほんともう、勘弁してください……」
青年は半泣き状態だった。
「あ、あら?」
女性としては許したつもりだったが、青年にしてみれば一分の一柔らかフィギュアの胸を揉んで喜んでいたと言われたに等しい。
彼の心のライフは確実に削れていた。
「な、泣かないでください。いい歳をした大の男がみっともない。恥ずかしくないのですか? お、怒っていませんから……」
動揺し、支離滅裂に口走る。
と、青年がきょとんとした顔で彼女の顔を見た。
美しい女性だった。サファイアの瞳にコバルトブルーの髪。肌は白磁の陶器のようで、目鼻立ちは整っている。
そう、ホコリにまみれてなお彼女は“まるで人形のように美しかった”。
「……君はもしかして……」
その表情が、まるで感情など無いかのように変化しないことを除けば。
「CPBU、中枢演算処理用生体ユニットか?」
そう問われて、女性はホコリを簡単に払ってから居住まいを正した。
「申し遅れました。私は地球帝国極東軍所属、飛龍型航宙母艦の二番艦、蒼龍。その中枢演算用生体ユニット“蒼龍”と申します」
そう名乗り、腰を折る。その所作一つ一つが美しくあり、かつ人形じみていた。それを見て、青年は苦笑ぎみに笑った。
「そうか。僕はエド。エドワード・ラッセルだ。よろしくね蒼龍さん」
そう言ってエドは彼女に右手を差し出した。その手に蒼龍は虚を衝かれたようになった。
それから少し考えて、彼の手を取る。
「……よろしくお願いしますキャプテン」
「……へ?」
青年が間抜けな声を漏らした。その顔を蒼龍の蒼い瞳が見つめた。その瞳の奥で、電子パネルやウィンドウがせわしなく開かれ、閉じていく。
「ど、どういうことだい? 蒼龍さん?」
「……指紋、声紋、虹彩の登録終了。現在当艦には責任者不在のため、艦の機能が著しく低下しており、このままでは作戦行動に支障があります。まもなく帝国の決戦が始まるでしょう。そこに間に合わないわけにはまいりません。故に、あなたを仮のキャプテンとして登録し、帝国への救難要請を……」
「……戦争は終わったよ。蒼龍さん。もう戦場に戻る必要はないんだ」
「…………え?」
エドの言葉に、蒼龍は呆けた。彼は言いづらそうに続ける。
「地球帝国と銀河帝国の戦争は、もう五十年も前に終わってる。互いの首都星を失ってね」
「! ……いま、なんと?」
「……二つの帝国の戦いは終わったんだ。双方の首都星を消し去ると言う最悪の引き分け方でね」
蒼龍はハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。スタビライザーで完璧に保たれている平衡感覚が失われ、足から崩れ落ちる。
「危ないっ!?」
倒れ込む蒼龍を、エドがとっさに支えた。しかし、彼女はお礼を口にする余裕すらなかった。
「そ、そんな……我が母星が……地球が……」
呆然とつぶやく蒼龍。そんな彼女をエドは抱き締めた。
「……悲しいときには泣くべきだよ? 蒼龍さん」
「!」
耳元に、するりと入ってきた言葉に目を見開いた。
「わ、私は生体ユニットです。人間ではありません。悲しむことなど……」
狼狽して否定する蒼龍に、エドは優しく笑った。
「バイオユニットだからって悲しくないわけはないだろう? こういうときは泣いてしまった方が良いよ」
その言葉に、胸が詰まり、目頭が熱くなった。
「うっ……くっ……ふっ……」
溢れるものを止められず、彼女の双眸にクリスタルの輝きが現れた。
「ふっ……う、うぅ……」
嗚咽を漏らしながら、彼女は初めて自分が泣けることを知った。
そんな彼女を、エドは優しく抱き締めた。
その胸に顔を埋めた蒼龍は、自身の悲しみを受け止めてくれたこのぬくもりの主である彼こそ、彼女の新たな主にふさわしいものだと思った。
「……そんな風に思っていた時期が、私にもありました……」
つぶやいてコバルトブルーの髪を揺らした女性が、サファイアの瞳を半眼にして肩を落とした。
その目の前には、ボサボサの頭を掻きながら、あくびを噛み殺しつつ指揮卓の上であぐらをかいたエドの姿があった。
続くと良いなあ……。