騎士王子と囚われのお姫様
昔、ある国に一人の王子様がいました。
騎士団に所属する彼は勇敢で心優しく、国民の憧れでした。
ある日、王子様は一つの噂を耳にします。
森に住む邪悪な魔女が隣国のお姫様を捕らえたというものです。
正義感に厚い王子様にとってそんな事は許しておけません。
すぐさま助けに向かいます。誰も巻き込みたくないと一人で。
森に入ってすぐ、王子様は敵と遭遇します。魔女が従える狼です。
狼の力は強大で王子様も一度は負けてしまいます。
しかし王子様は諦めません。この瞬間にもお姫様は助けを待っている筈なのです。
彼女の苦しみに比べれば自分の痛みなんてないも同然。
奮起した王子様は狼を倒し、魔女の住む館に辿り着きました。
邪魔をする手下をあっという間に蹴散らし、魔女の元へ到達します
魔女は王子様に言います。「何故そんな苦労を背負ってまでここに来たのか」と。
王子様は答えます。「苦しむ人を助けるのに理由はいらない。それが人の正しい在り方なのだ」と。
そして王子様は魔女を打ち倒し、お姫様を救い出します。
精悍な王子様と美しいお姫様。たちまち二人は恋に落ちます。
王子様はお姫様と結婚して王様になり、二人は末長く幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
「はあはあ……くそ!」
地面に座り込んで木の幹に背中を預け、荒い呼吸を整える。視界を覆う冷気を帯びた霧も戦闘で火照った体には心地良い。剣を地面に突き立て体の状態を確認する。
纏っているチェインメイルは腹部や肩部に損傷があり、露出する皮膚には浅いながらも裂傷や打撲痕が残っている。更に目を凝らすとくすんだ銀の毛が付着しているのが見える。
「ちぃ……」
痛みに耐えながら持ち込んでいた酒で傷口を洗う。応急処置にはなるがそれだけ。
早くきちんとした治療を受けなければ拙いと思いつつ、何故こうなったのかと自問自答する。
自分はこの国の王の七男だ。九男四女の大家族。思春期の頃には「親父も節操無いな」と思っていたが、過去には王子が相次いで夭折し、傍系から養子を取った例も存在する。その時には誰を後継者にするかで国が割れる一歩手前まで行ったらしい。そんな過去に倣えば多くの子供を作っておくのは王の義務と言える。
だが、何の因果か自分達の代は子供達が全員元気にすくすくと育ちましたとさ。
既に甥や姪が何人もいる。国王や家臣は安心しただろうが、自分はそうはいかない。
王子とはいえ七男ともなると重要度は極めて低下する。女なら他国の王族に嫁ぐなり国内の貴族に降嫁するなりして跡継ぎさえ生めば悠々自適な生活が待っている。が、男は違う。
血税で食っちゃ寝するのもいい加減周囲の目が煩わしくなってきたので独立を決意してから早数年。
まず最初に考えたのは土地を貰って大公となる事だった。格がある家なら頼まなくても優秀な人材が集まってくる。そいつ等に任せて自分は日がな一日のんびり過ごす。そういう構想を練って父である国王に王領の下賜を願い出たのだが、父には土地を分け与える気が一切ないらしかった。
基本的にこの国では土地を受け継ぐのは長男のみなので元々期待薄だったが、やはり落胆してしまう。前王朝時代は次男以降にも分割相続で土地を与えていたというが、そのせいで領地が細分化していって経営が苦しくなったり、狭すぎて新しく領地を貰えなくなった子息が不満を溜め込んだのが前王朝終焉の一因である。それを考えれば現王朝のやり方は非難出来ない。戦争が起きた時に貴族達にやる気を出させる為に王領という餌を確保しておきたいという思惑もあるだろうし。
子供のいない貴族の養子になって領地を継ぐという選択肢もあったが、残念ながらどこの家も跡継ぎがいるか、既に養子を取っていた。我が国はあまり王権が強くないので無理矢理割り込むという事は出来ない。
文官になるのは正直面倒で宗教家は退屈で御免蒙る。市井に下るのは家臣から止められた。王族がいると自由競争が阻害されるとか何とか。あと体面の問題。
どんどん選択肢が減っていったが、それでも最後に一つだけ残された職があった。
家を継げず、かといって市井には馴染めない不適合者の貴族子弟共の為に国が用意した雑用集団。プライドの高い連中の自尊心を充足させるべく騎士団と呼称されている職場だ。
騎士団での日々は中々楽しかった。平民は王族と聞けば委縮してしまうが、貴族出の連中は七男には大した事は出来ないと理解しているので気安く接してくるからだ。
嫉まれる事もあったが事前の想定内。気心の知れた友人も出来た。出世に興味のない奴等で集まって緩い空気の中で仕事をこなす。
幸せを享受し、こんな日常がずっと続けば良いと思っていたが、その思いは儚く打ち砕かれた。
発端は隣国から抗議が届いた事だ。曰く、我が国の姫が貴国の魔女に誘拐された、と。
当初国の上層部は言いがかりだと判断した。
よりにもよって魔女である。毎年数人は魔女に会ったと言う者が現れたり詐欺で捕まる者がいるが、お伽噺の存在というのが大多数の認識だ。
一応魔女が住むと言われる森はあるが、実際に魔女がいると思っている大人がどれ程いるか。精々子供の躾の際に引き合いに出す程度だ。
そしてこういう言い伝えはどこの国にもある。隣国にだって大蛇が棲むという湖がある。
国王を始めたとした面々が言いがかりだと考えたのは当然の成り行きだ。無茶な言い分をふっかけて何らかの譲歩を要求するか、あるいは戦争の大義名分にでもするつもりか。
しかし、それにしては理由があまりにもお粗末。王や家臣が首を傾げ対応を決めあぐねていた時、王の寝室に手紙が届けられた。そこには隣国の姫を誘拐し、森で暮らしているという旨が記されていた。ご丁寧に魔女の名義付きでだ。
こうなると新規に協議する必要がある。警備担当の処遇を決めるのと並行して手紙の真偽について議論され、結論として騎士団の派遣が決められた。
本当に魔女がいるならそれで良し、出鱈目でも時間稼ぎにはなる。そういう考えであり、部隊の長には自分が抜擢された。問題解決に向けて本気で取り組んでいるというアピールだ。
変な任務を押し付けられたと溜め息を漏らしたが、このままでは戦争になる危険がある以上、迅速に解決せざるをえない。
自分達は王に信頼されているとか国の未来が双肩にかかってるとか英雄願望を煽る演説を行って士気を上げ、森に突入した。
異変が起きたのはそれから間もなくだった。
霧が立ち込める森を隊列を組んで進んでいたのだが、他の騎士とはぐれてしまったのだ。
その事に気付いた時、自分はとにかく混乱した。霧が出ているとはいえ一歩先が見えないという濃度ではない。
自分は先頭を歩いていたので部隊の様子を正確に把握していたとは言い難いが、背後から話し声や足音、鎧の擦れる音は聞こえていたのだ。それは何気なく後ろを振り向く直前までそうだったと自信をもって言える。
孤立する筈がない状況。超常的な力の存在を感じて背筋に怖気が走った。
焦る自分に追い討ちをかけたのは森に響き渡る叫び声。そして「あれ」が現れた。
二足歩行の狼だ。伝説でしか見聞きした事がない魔獣。直感で理解させられる暴力の権化。
狼が口を開くたびに生臭い臭いがこちらまで漂ってきた。恐らく森に住む動物を散々食い散らかしたのだろう。
その中に仲間が含まれていないか不安になるが、あの時にはそんな余裕はなかった。
恥ずかしながら、立ち向かおうという気持ちは一切起きなかった。もし誰かに「戦わないのか?」と問われても自分は意味を察する事が出来ず間抜けな顔を晒した事だろう。
それだけ自分は恐怖に包まれ、即座に背中を見せて無様に逃げ出した。
これで逃げ切れていれば良かったのだがそうそう上手くいかない。
力強い足音が一回だけ聞こえ、次の瞬間には視界が滅茶苦茶に吹き飛んで土の味を味わった。
飛びかかってきた狼に攻撃されたのだと今なら分かるが、あの時は思考する余裕などない。
必死に起き上がるとまた逃げ出す。それから何度か追撃されたが辛うじて逃げ切る事が出来た。
「はあ……」
思い返すと実に情けない。我ながら怯えすぎだ。
だがあの時はとにかく恐ろしく、勝てる気がしなかったのだ。醜態を誰にも見られなかったのは幸いだ。
しかし、これからどうしたものか。仲間を探すか一度森から出るか。
選択肢を上げながら思案していると、
「……!」
霧を貫き、遠雷のような哮りが浴びせられた。
心臓が嫌に高く震えた。咄嗟に剣を持って立ち上がる。
「ぁ……」
白い闇の中から狼が現れた。
「……」
体を内側から打つ鼓動は狼にも聞こえるのではないかと思えるほど大きい。
そして悟ってしまった。自分はこの狼からは逃げ切れない。前提が違ったのだ。この場においては自分が獲物で狼が狩人なのだ。
戦って勝つしか生き残る道はない。
獲物に逆襲される狩人も多い。そう自分自身を励ましてゆっくりと移動する。背後に木があっては動き辛い。
「――!!」
狼の咆哮に森が揺れる。全身からどっと汗が噴き出し、握った剣の切っ先が揺れる。喉がからからに乾燥して息を吸うだけで痛む。
狼の体格は自分より一回り大きい程度だというのに、まるで氾濫する大河に挑むような圧迫感に襲われる。
そんな自分の動揺を感じ取ったのか、狼がこちらに向かって駆け出した。間合いはあっという間に埋まり、巨躯が眼前で荒ぶる。
繰り出される爪の一撃を何とか剣で逸らす。本当は攻撃に腕を合わせて斬り落とすつもりだったが、肉が鋼のように硬い。
手に跳ね返る痺れを気迫で押し殺して次に備える。
狼はもう片方の腕を振り抜いた。弩のような速さと鋭さを伴った一撃を剣を胸の前で構えて辛うじて防ぐ。剣から衝撃が伝わって全身を突き抜けた。足が地面を離れ、体が宙に浮く。軽々と吹き飛ばされ、どうにか着地するも膝を突いてしまう。
「……くそ」
短い戦いにも関わらず息が荒れる。狼がこちらに襲いかかる気配を見せているのに視線が下を向く。
弱気が心を苛むのだ。諦めて餌になってしまおうか。そんな考えが頭をよぎるが、不意に人の顔が思い浮かんだ。
それは家族だったり幼い頃から仕えてきた家臣の顔だったり、警邏中に果物をくれる商店のおばちゃんだったり酒場で馬鹿騒ぎをする仲間だったり。
「――はっ」
物心付く前から国に尽くせと言い聞かせられてきた。
魔女がいるかは不明だが、少なくともこの狼は倒さなければ国に災いをもたらす。ここで始末しなければならない。
見事に洗脳されてしまったなと内心で苦笑しながら深呼吸。それだけで不思議と落ち着いた。
意識は今までにない程に鮮明で、狼が次にどう動くか手に取るように分かる。体が思った通りに動く。いや、思考より先に体は反応している。
空気を唸らせて迫る狼の連撃。直撃すれば一発で命を刈り取る猛攻を的確に捌く。まるで自分の体ではないようだ。
今までか弱い獲物だと思っていた存在が急に手強くなった事に怒ったのか、狼の攻撃が大振りになった。
当然隙も多くなる。放たれる単調な突きに対して膝を曲げ身を深く沈める。頭上を通過する爪撃が髪を散らすのを意識の隅で感じながら懐に潜り込み、大地を踏み締めると同時に刺突を喉元に突き立てる。
鈍い悲鳴。勢いよく鮮血が噴き出すかと思ったが、血は静かに体を伝って地面に染み込んでいく。
命の具現とも言える血が流れ切った狼の肢体は地面に崩れ落ち、それからぴくりとも動かなくなった。
「やった……!」
全身を満たす達成感。ついつい頬が緩んでしまう。
手の甲で顔の汗を拭い、呼吸を整えると足が自然に動く。突き動かすのは全能感。今の自分なら何をやっても上手くいくという境地だった。それがいるかどうかも分からない魔女の捜索だろうと。
向かった先にあったのは狩猟が趣味の王族の為に建てられた館だ。
子供の頃に来た事があるが、その時と比べてやたら鋭角な部分が増えている気がする。
歩きながら観察していると館の扉が開き、等身大の木彫り人形がわらわらと向かってきた。動作の滑らかさも速度も人間並だが、
「邪魔だ!」
裂帛の気合と共に突けば胴体をたやすく貫通。振り下ろせば両断され、横薙ぎにすれば数体纏めて吹き飛ぶ。
全滅させるのには一分もかからなかった。呆気ないと物足りなさを感じる余裕すらあった。
「無礼なお客様ね」
館に入ってすぐの広間にそれはいた。
黒いローブを頭から被った人物。艶やかな声と胸部に僅かに見て取れた起伏から恐らく女性。更に僅かに覗く形の良い唇やすっきりとした顎から連想するに、かなりの美人だと思われる。惜しい。
「お前が魔女か?」
「……ええ。もしかしてあの娘を助けに?」
先方から事実を認めた。なら話は早い。
「お姫様を返してもらおう。拒否するなら……」
剣を向ける。実力行使も厭わないという脅しだ。
「乱暴ね。あの娘は私の物。誰にも渡さないわ」
「交渉決裂か。残念だ」
言い終るより早く魔女へ疾走。距離を見極めて剣の払いで胴体を狙う。けれど手首を捻って腹の部分を向ける。
殺すつもりはない。王の寝室への侵入経路を問い質さなくてはならないし、処断は隣国に任せた方が無難だろう。
だが、来ると予想していた手応えがない。剣が触れた瞬間、魔女は霞のように消えてしまったのだ。バランスを崩して踏鞴を踏んでしまうが何とか堪える。
白昼夢でも見ていたのかと思ったが、床に落ちたローブは微かに温かかった。それが先程の光景は現実なのだと教える。魔女はいたのだ。直前まで間違いなく。
「……」
疑問はあるがお姫様の保護を優先させるべき。そう思考の一部が囁いたので素直に従う。
客室の一つ。そこに彼女はいた。
椅子に座ってこちらを見る女性。さぞ商人や職人の懐を潤わせただろうなと思わせる豪奢なドレスに煌く装飾品。血筋と栄養のある食事で形成された美貌。心労とは無縁な生活が作る瑞々しい肌に滑らかな金の髪。
多分本人で間違いないだろう。兄なら実際に会った事がありそうだからすぐに確認出来ただろうが。
「よう。君がお隣さんの姫様?」
「……はい。あの魔女は?」
「俺が倒した」
告げた瞬間、お姫様は笑顔を咲かせた。
「騎士様! ありがとうございます」
椅子から立ち上がり駆け寄って姿勢の良いお辞儀をする。
そして頬を上気させ上目遣いで見上げてくる。無垢の中に扇情的なものが混じった表情。自分の頬が熱を持つのが分かった。
この状態で何かお願いされたら大抵の事は聞いてしまいそうだ。
「ぶしつけだとは思いますが、私と結婚してください!」
「は? やだよ」
お姫様は表情を引き攣らせて硬直する。呆然とした顔すら美人なのだから称賛に値する。
隣国の王は有能だが、ただ一点。後継者問題に関しては別だった。
自身も血みどろの後継者争いを経験したからか、王は非常に猜疑心が強い。子供が自分を殺して王位を簒奪するのではないかと恐れているのだ。男子は既に殺されるか幽閉されているらしく、まだ幼い孫か娘の結婚相手が次期国王になるのではと言われている。
そして隣国の貴族の間では婚約ブームが起きているとか。まあそれも仕方ない。配偶者候補に選ばれるような家の人間は結婚せずとも国内有数の権力を持っているだろうし、財力は王家を上回っている場合すらあるだろう。そんな人間がわざわざ死地に赴く筈がない。
ならば先に婚約してしまえばいい。大貴族同士の婚姻は警戒されるので中小規模の家から嫁を取る。生まれながらの大貴族というのは野心は小さいし、相手の家柄に拘らない者が少なくない。恵まれた者特有の余裕と言うべきか、寛容な人間も多い。
嫁を迎える方は保身が出来て幸せ。嫁に出す方は大貴族と繋がりを持てて幸せ。王は自分の座を脅かす者が増えなくて幸せ。誰もが幸せになる素敵な案だ。
と、お姫様が動き出す。
「あの、私じゃ駄目ですか?」
「……見事な演技だよ、本当。しかし、俺に対しては境遇を説明して庇護欲を誘った方がまだ可能性があったな」
貴族や王族は幼い頃から訓練された役者だ。
相手によって表情、態度、仕草、口調などを使い分けて敵を作らないよう無難に過ごす。その一方で必要とあれば威圧し、時には弱々しく振る舞って情に訴える事もする。
部下や領民に対しても同様。反乱を起こされない程度に親しみを持たれつつ、舐められないよう威厳を保つ。常に微妙な塩梅を心がけて生きているのだ。
女の場合は良き妻、良き母として実家と諍いが起きないよう調整する役割がある。男に媚びる技術は必須。
心で嗤いながら顔は笑う。それは王侯貴族にとっては基本であり、呼吸と同じように無意識で行える。
そういうものだと頭では分かっていても、いざ目の前で演じられるとドキりとするのだから男とは単純だ。
「待って下さい! このままでは私の身が危ないんですよ!?」
演技がバレた事でお姫様はなりふり構わず詰め寄ってきた。
「だからって俺に肩代わりさせようとするんじゃない! 第一、他国の人間がいきなりやってきて納得するか!?」
「しますよ! 大陸の王族なんて皆親戚みたいなものじゃないですか! 辺境の貴族よりよっぽど血の繋がりはありますよ!」
ああそうだろうよ!
平民や弱小貴族は生活レベルが変わらない限り誰が王でも気にしないだろうし、大貴族は今回に限ってはむしろ歓迎するに違いない。
官僚は進退に関わるので気にするだろうが、嫌うどころか逆に新たな王に取り入ろうとするだろう。
自分の祖国にとっても隣国との関係強化が出来るので悪い話ではない。
また、国外に嫁いだり婿入りした王族と生まれた子供には王位継承権がないと国法にしっかりと明記されている。つまり乗っ取りの心配もない。
更に難儀な事に、もし隣国の王になったら廃位されない程度に祖国を優遇しようと考えている自分もいるのだ。
「多くは要求しません! 官僚の皆さんは優秀なのでただ書類にサインをしてもらえれば!」
「何の書類だ? 俺の死刑執行書か?」
「わざと悪く取らないでくださいよ!」
「諦めろ。俺は既に婚約者がいる」
「え……」
まるで世界最後の日に立ち会ってしまったかのように顔を青褪めさせた。
ちょっと悪い事をしたか? だが自分も命が大切なのだ。
「ま、魔女様ー!」
お姫様はよく分からない事を叫んだ。
何故ここで魔女の名前が出てくるのか。訳が分からないと眉を寄せると、
「あらあら。嘘は駄目よ」
背後から聞き覚えのある声。
慌てて振り向くとそこにはついさっき対面していた魔女の姿があった。
馬鹿な。足音は聞こえなかったし、隠れられそうな場所もない。戸惑っていると自分の脇を通り抜けてお姫様が魔女に抱きついた。
「魔女様! どうしましょう!」
「ごめんなさいね。私のシナリオが甘かったみたい」
「……どういう事だ?」
親しそうな二人の様子に困惑は深まるばかり。
浮かんだ狂言という可能性について検討していた時、魔女の視線がこちらに向いた。
「そうね。説明が必要ね」
応接間でテーブルを挟んで魔女と向かい合う。お姫様はお菓子を用意すると言って退室しておりここにはいない。
「で、お前は何なんだ? 人間離れした力を持った存在だという事は分かったが、何故こんな事をしている」
「簡単に言うと魔女兼童話作家?」
「もっと具体的に」
「人の前に時には敵として、時には味方として現れて導く役目。そして物語として世に出すのが私達一族の使命。物語を読む事で人は正義を信じ、愛を育み、希望を胸に宿す」
語りは歌うように淀みない。
「今の私は悪役。最後に敗北する運命を背負う代わりに絶大な力を行使出来る。厳重な警備を掻い潜って城に侵入したり、邪魔な端役を退場させたり、ね。人間の思考はある程度誘導するのが限界だけれど」
「……」
「今回の物語を読めば子供は困っている人を助けようとする。題名は何が良いかしらね。「騎士王子と囚われのお姫様」とか?」
魔女の口調は楽しげだが、自分はどうしても気になる事があった。
「……辛くはないのか?」
我が身が一番可愛い自分からすれば悪役を演じるというのはどうにも理解の範疇外だ。
けれど魔女は肩を揺すり、ふふと笑った。
「自分が世界を思うがまま動かしているという快感を一度でも味わってしまえば抗えないわ」
……傍迷惑だこの女!?
「だから結婚しなさいな。ハッピーエンドこそ多くの人に愛され、受け継がれていくのよ」
「断る」
「ノリが悪いわね」
お姫様だけでなく魔女もか。面倒だから話を変えてしまえ。
「そういえば、あの狼はお前の仲間か?」
「……ええ、そうね。物語を盛り上げる為の大事な舞台装置」
「危うく殺されかけたが」
「あれは「敵役」の一つだから。最初の戦いならどんな相手にだって勝てる代わりに命は奪えないし、二戦目以降は勇気なり知恵なりを見せられた途端に弱体化するの」
……もしかして戦ってる途中に妙に冴えたのはそのせいか?
「……じゃあ、あの人形は?」
「あれは主人公が力を誇示する為の「やられ役」対峙すれば素手の子供にだって勝てないわ」
「……」
種明かしをされると気持ちが萎えてしまう。己は強いと優越感に浸っていた自分は道化だ。
「というか、俺にバラして良いのか?」
「読者にバレさえしなければ演者にバレるのはそれほど問題じゃないわ。「物語」では上手く調整するから」
「そうかよ」
面白くないものを感じながら次の話題を切り出そうとした時、トレイを持ったお姫様が部屋に入ってきた。
トレイにはクッキーと紅茶が乗っており、芳醇な香りが鼻を通して気持ちを和ませる。腹が減っていたので早速いただく事にした。
クッキーはさくさくとした食感と砂糖やバターの甘みが舌を楽しませ、温かく心落ち着かせる香りの紅茶は体の芯まで染み入る。
「どちらも美味いな」
「ありがとうございます」
はにかみながら彼女は空いている椅子に座る。自分と魔女とお姫様の位置関係は上から見れば三角形か。
「王宮でもこんな?」
「――まさか。料理人や給仕の仕事を奪うなんて酷い事は出来ません」
「ははは。失礼な事を聞いたな」
結婚の話が出る前にこのまま会話の主導権を握ってしまおう。魔女の方を向いて尋ねる。
「そういえばお姫様とはどんな関係なんだ? 既知のようだったが」
「「鳥籠を抜け出して」という物語を知ってる?」
確か、女の子が病気のお母さんを助けようと魔女の家まで旅をする話だったか。侍女が姪に読み聞かせていたのを見た事がある。
孝心を養わせる為の物語だなと思いながら聞いていたが、あの話の事をこのタイミングでするという事は、
「そうそう。あの魔女は私で女の子は彼女」
魔女は顎をしゃくってお姫様を指す。
「あの時は本当にお世話になりました」
「あれは偶然出来た物語だったのだけどね。ああいうケースも多いわね」
「ふーん」
「その時の縁で困ってる彼女を助けようとしたんだけど……残念。シナリオを練り直して出直す事にするわ」
魔女が立ち上がるが、次第にその姿が薄れていく。
「私は諦めないわよ。女の子は幾つになっても恋愛物語が好きなの」
「諦めろ」
「それぞれの国に引き裂かれた男女の恋の行方を描く第二部が――」
「いるか!」
「結婚式には呼んでね。呼ばれなくても出席するけど」
「やめろ!」
空気に溶けるように消えていく魔女にあらん限りの拒絶を叩きつける。
そして腕を絡ませてきたお姫様を振り払って館から逃げ出す。
俺はまだ死にたくない!
狼さんの能力は簡単に言うと「ステータスは自分+対戦相手」「対戦相手に主人公補正を与える」