ハジマリノ side蓬
蓬視点です。
颯が隣へ行き、妙子と涼は映画へ行った。
なんでも一週間しか上映されないアニメを見に行くんだとか。
好きな作家さんが一緒だったらしく、「行かなきゃ!」と二人意気投合して出て行った。
……一体あの二人はどうなっているんだか。
去年のあの事件から二人は付かず、離れず。
傍から見ても謎の二人だ。
いくら考えても本人達ではないのだから、答えが出るはずもなく。
黙々と拭いていたグラスもこれで最後だ。
ふっとため息のような吐息を吐き出し、誰もいなくなった店内を見回す。
特に汚れてる所もなさそうだ。
その時、窓に入り込んだ人影に気づいた。新だ。
あちらもこちらの視線に気づいたのか、よっと軽く手を挙げてから扉を開けた。
カウベルがなり、先ほどの挨拶の真似をするようにこちらも手を挙げた。
「遅かったね。一度家に帰ったんだ?」
「遅かったか。……ちょっと野暮用で帰宅した」
「ふぅ~ん。なんにする?なんか食べる?」
「いや、まだいい。カフェモカで。皆は?」
時計を見れば16:30。夕飯には少し早いか。
エスプレッソの用意をすべく豆を細かく挽く。
すぐに豆の良い香りが充満し、金属製の器具に粉を入れタンピング。そのままエスプレッソマシーンへとセットした。
「颯は隣。妙子と涼は映画観に。真幌はバイト前の仮眠。武尊は……」
「……皆、忙しいのは良く解った」
「そりゃ何より」
肩を竦め、暖め終わったミルクにチョコレートシロップと抽出されたエスプレッソを合わせた。
本来なら生クリームで仕上げて完成なのだが、新のリクエストで乗せていない。
お得意様仕様のカフェモカを新の前に置いた。
「すまない」
「いやいや、お仕事ですから」
新がここへ通うようになってから知ったのだが、彼は口下手ではないが率先して話す方でもない。
だから私も率先して話すような事はしない。これは接客の基本でもある。
使ったエスプレッソマシーンから器具を取り外し片づけを始めると、後ろから「旨い」と呟く声が聞こえ、思わず口角があがってしまう。
振り返ればじっとこちらを見ていた様な新の顔がそこにあった。
「……蓬」
「ん?」
「いや……なんでもない」
「変なの」
何やらおかしな新に首を傾げるものの、話したい事があればまた口を開くだろう。
そう思いながらカップを温める用にいつも沸かしてあるやかんに手をかけた。
カタカタ……
店のカップが揺れてる?と思った瞬間に、大きな縦揺れが襲った。
「でかいぞっ!」
「!?」
ガシャンと大きな音と共にやかんが転がる。
「あつっっ!!」
「蓬!?」
咄嗟に身構えようとしたのが悪かっのか、やかんに手を引っかけたらしい。
不幸中の幸いか、お湯のかかった範囲は手の甲だけ。
「大丈夫」
「そんな訳あるかっ!」
慌ててカウンターに入ってきた新は有無を言わさず私の手を掴み、流しの水で冷やし始める。
どんどん炎症しているのが解るくらいジンジンと痛み出した。
「これくらい大丈夫だよ」
「火傷を甘く見るなっ」
「大げさな……」
「うるさい」
「……はい」
暫くされるがままになっていたが、これ以上は冷やしても変わらないだろう。
水を止め、新の手から自分の手を引き抜いた。
「後は薬塗って終わり」
「しかし……」
「やっちゃったものは仕方ないじゃん。ぱっと治るわけでもなし」
新の顔に落ち着けと言わんばかりに、ふりふりっと火傷の負った手を振り水気を飛ばす。顔に水がかかろうとも無反応で何故か怖い顔の新。
何をそんなに考え込んでいるのかと、覗き込むように顔をみた。
「……蓬、もう1回手を出して」
「もう冷やさなくて良いよ」
「良いから」
しぶしぶ言われるがままに手をだした。
その手を新が取る。
ぶるっと体が震え強張った。
体温が一気に下がったような震えに、体が動かない。
視線だけ、繋がれたままの手に落とす。
あるはずの傷。先程まで痛みによりその存在を主張していたはずの火傷が、どこにもなかった。
腫れも、痛みも。
「―――っ」
戸惑いと驚きで声が詰まる。
繋がれた手が逃れるように離れる。
頭が現実に追いつかない。停止したままの思考。
ただ、反射的に新の手を引き戻した。
新の手の甲にあったのは、先ほどまで自分にあったはずの火傷に見えた―――。




