緑の日々
グリーンショップ「風花」に依頼された低木の鉢はニオイバンマツリだった。
花は紫で咲き進むにつれ、白へと変化していく。名前の通り、香りが強いのが特徴だ。花言葉は「浮気な人」。
初めて贈った花らしいから、贈った本人は花言葉など知らなかったに違いない。
もっとも花言葉なんて人が勝手につけたものだ。花に罪はない。贈る側の気持ちが伝われば良いのだ。
あれから一週間。
俺は蓬の部屋のベランダにあった鉢を確認していた。
あれだけ黄色かった葉は全て落ち、坊主になった枝からは小さな新芽があちこちから吹き出し始めていた。
その芽の伸び具合から峠を越えたらしいのは解る。
「良かったじゃないか」
「ん」
後ろにいた蓬に感想を述べた。
小さな相槌だったけど、嬉しそうな表情は隠せていない。彼女なりにこの一週間は不安だったに違いない。
思い出の鉢を自分の所で枯らしたくない。その一身で世話をしてきたはずだ。
もっとも俺に言わせれば例え枯れたとしても仕方がない。
ここに持ち込まれる鉢は玄人の職人すらもお手上げのものばかり。それを一介の高校生である彼女に背負わせるのすらおかしいと思っている。
それでも彼女はやってくる依頼を受けるのだ。
自分にしかできないのなら……と。
労いを込めて彼女の長い髪を梳く。
大人しくされるがままになっていた彼女がゆっくりと俺の腕の中へ入ってきた。
すっぽりと収まった体を優しく抱きしめる。やはり緊張していたようだ。
その緊張を解すように髪を、背をそっと撫で続けた。
どうしてか、なんて理由はない。
産まれた時から彼女が植物の側にいればいる程、その植物は異様に活性化する。ただ活性化するだけなら、誤魔化し様がいくらでもあったかもしれない。
でも真冬にひまわりが咲いたり、秋に桜が咲いたりするのだ。
花は多少の変化でもわかり易い。昨日咲いていなかったはずの花が満開になったりと。
だから花の少ない、グリーンショップなのだ。
この事を知っているのは蓬の家族と俺だけ。
表向きには大地さんが依頼を受け、手入れをしている事になっている。
それで良い。この平穏な日常を守れるなら―――。
*
すっかり持ち直した鉢はあんまり早く引き渡しても怪しまれるとの理由で、一ヶ月経った後に持ち主へと返された。返しに届いたのが、依頼主からの菓子折り……感謝の文が添えられていた。
それを読んだ時の蓬の微笑に、こちらまで嬉しくさせられる。
季節は暑い夏へと差し掛かっていた。
今年は誰一人倒れる事無く無事に終業式が終わり、打ち上げを兼ねて風花には妙子ちゃんと涼が来ていた。
「やっと一学期終わったねぇ~♪」
「俺、宿題終わるか自信ない」
「うぐっ……終わったばっかりで宿題の事考えちゃダメだよっっ!」
「妙子ちゃん、受験生って自覚は?」
「ないっ!」
「いや、妙子……そこは持て!」
「妙子さんファイト……」
「うわぁん!」
俺に突っ込まれ、蓬に叱咤されとカウンターに泣き崩れる妙子ちゃん。
その光景が面白かったのか、常連さん達の忍び笑いが聞こえる。
俺と蓬も笑いながらも、今日のランチであるホットサンドを作っている。
蓬が具を挟み込み、俺がそれをホットサンドメーカーへ挟んで圧力を掛けていく。中身はタマゴ、バジルチキン、ハムとチーズの3種類。サラダとドリンクをつければ完成だ。
「美味しそう~♪いっただきますぅ!」
「お先に頂きます」
大きな口でぱくりと食べる妙子ちゃん。
何かのCMに出れば売れそうな位、美味しそうに食べてくれる。
早々と一つ目が消え、2つ目のサンドに手を伸ばしながら妙子ちゃんが聞いてきた。
「そう言えば真幌と新君は?」
「真幌は氷屋さんのバイト。新は後から来るって言って」
「真幌さん、またマイナーなバイトですね……」
「かなりハードらしくて時給も良いらしいよ?」
「マジですか!?俺もやろうかなぁ……」
「重い冷たい眠い」
「へっ?」
俺はホットサンドを二つに切り分けながら突っ込んだ。
こんがり焼けたホットサンドに刃を入れると、サクッと小気味良い。
サクッ。
「一つ、氷1つ滑らせて運ばなきゃいけないくらい重い」
サクッ。
「二つ、冷凍庫からだしたばかりの氷は冷たい」
サクッ。
「三つ、氷を買うのは主にバー等の夜のお店。したがって夜が遅いので眠くなる……らしい」
「なるほど……」
「楽な高時給があったら私だってやってるって」
きり終えたばかりのサンドを一つ摘みながら蓬が答える。
残ったサンドを皿に盛り、漸く昼飯にありつける事となった。
既に妙子ちゃんの皿が空っぽだったのは見なかった事にしよう。
1時間程他愛もない話をし、本来のバイト先であるグリーンショップへと向かった。
妙子ちゃんと涼はこれからカラオケでバトルらしく、二人とも息巻いて出かけて行った。
今日はもうこのまま、何事もなく過ぎていく―――と思っていた。




