1.むかしむかぁし
「ねえ、母さん、最後にあのお話、あのお話、して。あの、岩の中に閉じ込められちゃったお話」
幼い娘は、ベッドの中で、まだぜんぜん眠くならない、といった表情で母親にねだった。
「おまえは本当にあの話が好きだねえ」
可愛いひとり娘に、母親は言った。
毎晩寝る前に、いくつかしてやる“お話”の最後に、お気に入りの“岩の中に閉じ込められちゃったお話”をしてやらないと、このごろ彼女は寝つこうとはしなかった。
「このお話が終わったら、いい子で眠るんだよ」
母親は言った。
「むかしむかぁし……」
母親はお話をはじめた。
昔々、あるところに、一匹のドラゴンが棲んでおりました。
そのドラゴンは、あまり暴れんぼうのドラゴンではなく、どちらかといえば、むしろ気の小さい、おとなしいドラゴンでした。でもそのドラゴンだって、お腹がすけば、何か獲物を捕らえて食べなければなりません。
ですから、お腹の減っている時、そのドラゴンが棲んでいる近くを運悪く通りかかった人間を、ドラゴンは何人か食べた事がありました。
だって人間は、他の動物たちよりも、ずっとのろまで、捕まえやすかったのですもの。とはいっても、何千年かの間にそのドラゴンが食べた人間は、ほんの数人でしたけども。
でも、人間たちはそのドラゴンの事を、いつの間にやら“黒い森の洞穴の悪魔のドラゴン”、などと、なんともおおげさな名前までつけて、そのドラゴンが今までに、何百人も、何千人もの人間を捕って食べたかの様に言い伝えておりました。
なものですから、“ドラゴン退治”などと称して、鎧兜に身をかため、騎槍や大剣をたずさえた人間が、洞窟の奥で気分よく昼寝をしているドラゴンのもとにやって来ては、
『やあやあ我こそは……』
などと迷惑にもやかましくわめきたる事も時々はありました。
でも、ドラゴンにしてみれば、人間なんて、鼻息をちょっとかけてやっただけで、吹き飛んでいってしまいます。
人間の昔話の中には、山の様に大きくて凶暴極まりないドラゴンを、いとも簡単に退治した聖人や勇者のお話がいくつかありますが、あんなのはみいんな嘘っぱちです。
だって考えてもごらんなさい、ネズミがライオンに真正面から立ち向かっていって、勝つのと同じ様なものでしょう?
それにドラゴンはライオンとちがって炎も吹けて、空も飛べるのよ?
もしも人間に負けそうになっても、その時は、さっさと飛んで逃げちゃえばいいんですもの。
なものだから、“ドラゴン退治”に人間たちがやって来ても、ドラゴンはいつも適当にあしらって、お腹がすいている時は、ついでにおやつにしてもおりました。
そしてある時……
ドラゴンが、人間なんかよりずっと食べごたえがあって、味も最高の森の大鹿を食べ終えて、幸せな気分で昼寝をしていると、洞窟の前に神様がやって来てこう言いました。
『おまえは人間を食べる悪いドラゴンだ』
神様はむずかしい顔をして、もっともらしく言いました。
でも、人間だって、他の動物を殺して食べるのよ?
人間は牛や豚を飼って、それを食べちゃうけど、ドラゴンが人間を飼って、それを食べちゃったりしたら、やっぱり人間や神様は文句をつけるのでしょうね。
人間は、恐竜の次に神様のお気に入りになってからわがままのしほうだいで、困った事に、神様はお気に入りになった動物をとっても過保護にしちゃう悪い癖があるの。
人間も神様も、まるでだだっこみたいでしょ?
「あなたはこうなっちゃいけないのよ?」
母親は娘に言った。
「で、その神様に、ドラゴンは言いました……」
母親はお話を続けた。
『おそれながら、神様』
ドラゴンは言いました。
『私は人間たちが言うほど、たくさんの人間を食べてはおりませんよ。あの噂話は濡衣もいいところです。神様なら、本当のところは、よくお分かりでしょう?』
『しかし、幾人かの人間を捕って喰ろうておるのは事実であろう』
『そりゃあ、そうですけど……』
ドラゴンは正直に言いました。だって、神様に嘘なんかついても、無駄にきまっていますもの。
あいかわらず神様は仏頂面で言いました。
『おまえたちドラゴンは、わしがこの世界の天地を創造する時、その手助けをさせるために誕生させたのだ。この世界が完成したあかつきには、この世界の他の者たちに姿を見せてはならぬと、あれだけ言うておったであろう?それを事もあろうに……』
神様はおおげさな身振りで、ドラゴンに嘆きました。
『人間を捕って喰うとは!』
神様は大声でわめきました。神様は自分の思いどうりに事が運ばないと、すぐにそうやってヒステリーをおこすのです。
「あなたはこうなっちゃいけないのよ?」
再び母親は娘に言った。
「で、その神様に、ドラゴンは言いました……」
母親はお話を続けた。
『おそれながら、神様』
ドラゴンは言いました。
『私だって、貴方様がお創りなられた生き物です。お腹だってすきます。
生きるために他の者を食べるという事が罪悪だと言うのなら、この世の中の生き物たちは、全て罪深い存在だという事になりませんか?……それに、これを見てくださいよ』
ドラゴンは神様に、自分の右手を見せました。
『人間たちは、私がおとなしくして相手をしなくとも、槍や剣で私をつつきまくるんですよ。まるで蜂みたいに。こないだなんか、爪と指の間に鉄の槍を突き刺して、おまけにぐりぐりほじくるんだから。たまったもんじゃありませんよ。
これじゃまるで拷問ですよね。違いますか?そこは今もとっても痛むんですよ?』
『……』
神様はドラゴンの指先を見つめました。
なるほど、ドラゴンの人差し指と爪の下に、まだ血でにじんでいます。
『それに私は、自分から人間を襲いに出かけた事は一度だってありませんよ。いつだって、人間のほうから、こちらへ出向いてくるんですからね。で、勝手に私の事を“悪魔のドラゴン”、だとかなんとか言ってるんだから。私に出くわしたくなかったら、私の棲んでいるここに来なけりゃいいじゃありませんか。
貴方様がお創りになられたこの世界は、とっても広いんだし。ねえ?』
『……』
神様は痛々しいドラゴンの傷を見つめ、そしてドラゴンの顔を見ました。
ドラゴンの言う事ももっともな事なので、神様は何も言う事ができません。
『悪い事をしてもいない者の事を、まるで大悪人の様に噂して騒ぎ立てるのは、どう考えたって間違った事ですよね?
そりゃあ、森の中でいきなり出会って、人間たちをびっくりさせたりすると、ちょっと可哀相な事をしたかなとも思う時もありますけど。
でも、ひどい奴等なんて、私が泉で水を飲んでいると後ろからこっそり忍び寄って来て、いきなりお尻を剣や槍で刺すんですよ。びっくりさせられているのは、何も人間たちだけじゃないんですからね。
水が気管に入ってむせちゃって、とっても苦しかったんだから。
むせこんだ息でまわりの木が何本か倒れちゃって、思わずロからあふれ出ちゃった炎であたりは焦げちゃうし、森の他の動物も憩いの場にしている泉の景観が、だいなしになっちゃったんだから』
神様が仏頂面のまま何も言わないので、ドラゴンはどんどん話を続けました。
だって、人間には本当にひどい事ばっかりされていたんですもの。
『それに、私が洞窟の中に金銀財宝をため込んでいるっていう話も、どうにかなりませんか?
人間の中には、他の人々のためや、自分の腕を試すために私のところへ来るのではなくて、そのありもしないお宝にありつくためにやって来る者も多いんですよ。
ひとの物を盗み出して、楽をして暮らそうだなんて、なんてあさましくも嘆かわしい事でしょう。
やはり生き物は、額に汗して働いて、その日その日を生きてゆかなければ。
これは貴方様の教えでもありますよね?それからそれから……』
ドラゴンは次の言葉を続けようとしました。
が、神様はもじゃもじゃの白い眉をつりあげ、鼻面に皺をよせまくり、ぴくぴくと震えながら、
『ええい、うるさいっ!黙らんかっ!』
と、とうとう大癇癪を起こしてしまいました。
ドラゴンはちょっとおしゃべりが過ぎたようです。
たとえそれが本当の事であっても、延々と長話を聞かされるのは、誰だって嫌なものですものね。
それが自分のひいきにしている者の悪口であれば、なおの事です。
『!』
神様の自分勝手ぶりをよぉく知っているドラゴンは、しまった、と思って黙りました。
でも、もう後の祭りです。神様はカンカンに怒ってしまって、今や人間の子供のきかんぼうよりも、もっとたちの悪い存在となっています。
『とにかくっ!』
神様は足を踏み鳴らしてわめきました。
『わしが殊更に目をかけておる人間を、事もあろうに喰ろうてしまうとは何事かっ!それだけで立派に大罪に値するわ!』
神様は顔を真っ赤にして、額や首に筋を浮かべてわめきました。
『もういいっ!おまえの態度によっては考えなくもなかったが、おまえがそうまで言うのなら、可哀相だが反省のためにも、神罰を下してくれるっ!』
『えっ?!』
ドラゴンはあわてました。
神様が下した罰とやらは、今までろくなものであったためしがありません。
神罰とやらで、ひどい目に遇ったドラゴンが沢山いる事を、ドラゴンはよぉーく知っていました。
『ちょ、ちょっと待って下さいよ、神様!今の私の話で、人間にいじめられているのは私の方だって、よくおわかりになられたでしょう?それなのにどうして私がおしおきを……』
『うるさいっ!!わしがいいと言うまで、よく反省するがよい!』
神様は怒髪天をついたまま、またもわめきちらして右手を天へと振り上げ――そしてドラゴンへと振り下ろすと、神様の指先からまばゆい白い光がほとばしり、それがドラゴンの身体を取り包むと、ドン、という大きな音とともに、不思議やドラゴンは、ひとつの大きな岩と化してしまいました。
『ふん』
ドラゴンを閉じ込めた大きな岩の塊を眺めて、神様は鼻を鳴らしました。
『少しは反省した態度を見せれば、ここまではしなかったものを。愚かな奴め』
とはいっても……神様ははじめから、ドラゴンをこうするつもりでいたのでしょうけれども。
神様はいつだって、自分のお気に入りの者以外の生き物で、こうして日頃のストレスの鬱憤ばらしをしているのです。本当に困った事ですね。
まあこんなひどい事をするのは神様だけではなくて、人間もまたそうなのですけれども。
で、そして神様は再び天へと帰ってゆきました。
『ばかーっ!』
その神様の後ろ姿を岩の中から眺めながら、ドラゴンは生まれて初めて、そういうとても下品で無教養な悪態をつきました。
『反省するまでって、それで、いつここから出してくれるのさーっ?!私には好きに生きる権利が無いってのーっ?!』
ドラゴンはヤケクソで、神様に聞こえるようわざと大声でわめきましたが、しかし、神様は知らんふりをして行ってしまいました。
それから。
ドラゴンが中に閉じ込められてしまった大きな岩の塊のまわりには、人間たちが、
『この岩の中にはドラゴンが閉じ込められている』
とか言って、わいわいと見物に来るようになりました。
ドラゴンが閉じ込められたところを人間は見てはいなかったのに、どうしてそれを知っているのでしょうか?
それはきっと神様が、得意気になって人間たちに話して回ったからにちがいありません。
だってその事を知っているのは、ドラゴンの他に、神様しかいないんですものね。
というわけで。
長い長い年月の間、いつの時代も人間たちは飽きもせず、毎日毎日、そのドラゴンが閉じ込められている岩を見物にやって来て、ドラゴンが棲んでいた静かな森の洞窟は、すっかり観光地となりはててしまいました。
洞窟の前の森を切り開いてつくった広い駐車場に、二階建ての大型バスがやって来るや、中から蟻のようにぞろぞろと人間たちが出てきては、ぽっかりとまぬけに大口を開け、物見高く岩を見物してゆきます。
そしてその人たちに、ガイドのお姉さんが手の旗を高くかかげて言います。
『皆様、こちらが“ドラゴンの岩”でございまぁすっ!』
まるで自分がその岩にドラゴンを閉じ込めたかの様な、得意満面の様子で、見物客たちにそう言います。それにしても……ガイドのお姉さんたちは、どうしてたいがい、化粧が濃いめなのでしょうか?
そして見物客は昼間だけではなくて、夜にも“肝試し”とやらに押し寄せて来ます。
夜になると岩の中からドラゴンのうめき声が聞こえてきて、そしてさらにいつの間にやら、それだけではなくて、岩の前には白いドレスの、長い金髪の美しいお姫様の亡霊が現れ、そして、そのお姫様の亡霊をめぐって、毎夜、金の鐘兜に身を包んだ騎士の亡霊と、黒い鐘兜に身を包んだ騎士の亡霊が現れ、お姫様の前で夜明けまで果たし合いを繰り広げている、という噂話まで出来ていたのです。
人間たちは、それらを聞いたり見たりしたいがために、夜中じゅう、岩の前で待ちかまえているのです。
岩の中からのうめき声はともかくも……お姫様や騎士の亡霊は、もちろん嘘っぱちです。
人間は、どうしてこうも根拠の無い事を、次から次へと考えつくのでしょうか?
だいたい、育ちのいいお姫様なら、うじゃうじゃとたむろしている人たちの前になど、恥ずかしくて出てこれたものではありませんし、騎士たちだって、大勢の人ごみの中では果たし合いなど出来たものではありません。
そうして何百年だかの間、ドラゴンが閉じ込められた岩のまわりは、人間たちでにぎわっておりました。
でも、ある日を境に、
人間たちは、ぱったりと姿を見せなくなりました。
いいえ、人間の姿が見えないのは、岩のまわりだけではありません。
この広い世界中から――
人間は姿を消してしまいました。
そして他のほとんどの動物たちも。
「どうして?」
眠たくなるどころか、いっそう目を輝かせて、娘は母親にたずねた。
「核戦争よ」
母親はにっこりと笑って言った。
「人間が起こした核戦争で、おおかたの生き物が、死に絶えてしまったの」
母親はお話を続けた。
人間が作ったお話の中には、核戦争の後も、いくらかの人間たちが生き残るお話がたくさんありますが、現実は人間にとって、そう都合のいい事になるはずありません。
だって、核爆弾なんてものは、はじめっから人間を沢山沢山殺すためにつくられたもので、おまけにその頃の人間たちはお互いに疑心暗鬼のカタマリになってしまっていて、地球上の生き物すべてを、数十回は繰り返し殺すに足りる科学兵器や爆弾を、それぞれの国でつくりまくっていたのですもの。みーんな一人残らず滅んでしまっても、当然ですよね。
だから人間は、自分たちがつくったロクでもないもので、みんな滅んでしまいました。
そしてその後に生き残ったのは、主にゴキブリと、ドブネズミと、その他もろもろの、とてもしぶとい生命力の生き物たちでした。
人間が核戦争で滅んだ後、生き残るのはゴキブリとドブネズミだという人間たちの立てた仮説は、これで証明されたわけです。
で、世界は少し変わってしまいましたが、ドラゴンが閉じ込められた岩は、相変わらず同じ場所にありました。
なんていったって、神様が手をお下しになった岩なんですもの、たかだか人間なんぞがつくった爆弾で、壊れてしまうわけがありません。
あたりがすっかり静かになって、ドラゴンはほっとしました。まあ、静かすぎて、少し退屈にもなりましたが。
と、そこへ、
『さあ、わしが罰を下した哀れな者よ』
神様がやって来て、言いました。
『今こそおまえの罪を許そう。出てくるがよい』
そして神様は、ドラゴンが閉じ込められている岩を、こんこん、と軽く拳で叩きました。
すると不思議や、大きな岩の塊は、まるで卵の様にぱかり、と真ん中から真二つに割れ、その中から、ドラゴンは外へと転がり出ました。
『ああっ!』
ドラゴンは久しぶりに身体をいっぱいにのばし、大きく深呼吸して叫びました。
『ここから出る事が出来ようとは!』
『ドラゴンよ』
神様はいつものとうり、むずかしい顔で、もっともらしく言いました。
『おまえも知ってのとうり、あの未熟な人間どもは、自らの手で滅んでしもうた。あれは恐竜ども以上の、大失敗作であった。わしの生涯最大の汚点だ。……して、喜ぶがよい、ドラゴンよ』
神様は、よりもっともらしく取りつくろって言いました。
『これからはおまえたちの時代だ。わしの加護のもと、より繁栄するがよい』
神様はにっこりと笑って言いました。
神様はいつだってこうです。ご自分のご都合しかお考えになりません。
「あなたはこうなっちゃいけないのよ?」
みたび母親は娘に言った。
「で、その神様に、ドラゴンは言いました……」
母親はお話を続けた。
『おそれながら、神様』
ドラゴンは言いました。
『それは誠でございましょうか』
『おお、わしが嘘を言うた事があろうか?わしがおまえたちのためにならぬ事をしたためしがあろうか?』
神様はますますにっこりと笑って、ますます勝手な事を言いました。
『実を言えば』
神様は言いました。
『おまえをあの様なひどい目に遭わせたのは、こういった時のためであったのだ。あの人間の阿呆どもが、自分を含めた、すべてのものを滅ぼそうとした時のためのな。この世界の生き物はだいぶと少のうなってしもうたが、なに、おまえたちがいてくれるだけで、わしは充分じゃ。これからは、人間などの目を気にせず、自由きままに暮らすがよい。我がもっとも愛しき者よ。では』
そう言うだけ言うと、神様は、また空へと帰って行きました。
「それで?ねえ、それでそのドラゴンは、それからどうなったの?」
娘は母親にたずねた。
「それから?それからは、いつもお話しているとうりよ」
母親はにっこりと笑った。
「そのドラゴンが岩から出て来た後、やっぱり神様に人間を食べた罰として、ずっと山の下に閉じ込められていた、大きくて立派なオスのドラゴンがやって来て、二匹のドラゴンはお互いを一目見るなり相手が気に入って、結婚して……」
母親は言った。
「それでおまえが生まれたのよ」
母親はにっこりと笑った。
「私、このお話、大好き。いつ聞いても、わくわくしちゃうわ」
娘も母親に、にっこりと笑った。
「でも……」
そして娘は、オレンジ色の鉤爪がついた、黄緑色と金に光る鱗の手で、彼女等の住まいの外を指さした。
「本当に、母さんは、ずーっと、あの岩の中に入っていたの?何百年も、ずーっと、それも、ひとりぼっちで?」
鉤爪よりも少しばかり濃い色をした無邪気な瞳で、洞窟の外に転がっている、大きな岩の塊を見つめる。
その真二つに割れた形をした岩は、中が空洞になっていた。
ちょうど、彼女の母親が、身体を丸めて入れるくらいの空洞に。
「そうよ」
母親はうなずいた。
「寂しくなかった?」
「いいえ、ちっとも」
母親は言った。
「ドラゴンにとって、たかだか何百年なんて、ほんのひと眠りの間の事ですもの。そりゃあ、目を覚ましていればいたで、色々ときままに過ごしもするけど」
「ふーん……」
娘は少し不思議そうに、石と木の枝と枯れ草のべッドから母親を見上げた。
「私たちドラゴンは、とっても強い生き物なのよ」
母親は胸を張って言った。その拍子に、緑色の炎が、鼻の穴からちろちろとのぞいた。
「……さ、もういい子にして寝なさい。遅いわよ」
母親は深緑と濃紫と金に光る鱗の手で、娘の頭を優しくなでた。
「はぁい」
娘はにっこりと笑うと、聞きわけよく目を閉じた。
彼女がひとり娘を寝かしつけてしばらくすると、彼女の夫、“大きくて立派な”黒いドラゴンが、彼等の棲みかの洞窟へと帰って来た。
「お疲れさま。今日はいかがでしたか」
彼女は夫を出迎えて言った。
「いつもながらさ」
彼は言った。
「まだまだひどいもんさ」
彼がそういいながら、ため息混じりの大きな息をひとつつくと、彼の口元と鼻から白い煙をたてて、紅蓮の炎があふれ出た。
「今日も一日、炎を吹きまくって、オゾン層を修復して、放射能とダイオキシンとPM2.5のひどい地域を浄化してみたがね。なにせこの地球ほぼ全体がてひどくやられているからなあ。
人間どもめ、なんて事をしてくれたのやら。まったくひどい話だよ。
数少ない我々の手で、またこの世界を緑の世界にするとなると、いったいいつになる事やら。
神は、生き残った我々の手でこの世界を蘇らせる事にこそ意義がある、などと言っておられるが……」
彼はもう一度大きく息をつき、そしてどすんと地響きをたてて座り込んだ。
と、その彼の前を、何か小さな姿の者が鳴き声をたてながら、さっと横切った。
「うわっ?」
彼はそれに驚いて飛び上がった。
そして彼はその小さな姿の者を見て、わめいた。
「ネ、ネズミだっ!」
彼は金の目をつりあげ、憎悪に顔を歪ませて、それが逃げ込んで行った、彼等の棲みかの岩壁の割れ目を睨みつけた。
「あれだけは生かしてはおけん!」
彼はその割れ目に、ゴウとばかりに炎を吹きつけた。
たちまち、割れ目のまわりが真っ黒になった。
彼女は夫に言った。
「もういませんよ。あれはすばしこいですから」
「しかし、姿を見かけた時に、徹底して退治しておかなければ。あれはあっという間にウヨウヨと増えてくれる。もうこんなところにまで棲み着きだしたとは。あれは病原菌のカタマリだ。それにもまして……あれは哺乳類だ」
彼は言った。
「これからの進化の途中で、あれらから、また人間の様なロクでもない動物が出てくるかもしれん。おまえも知っているだろう?あの恐竜時代末期に現れて、恐竜どもの卵を喰い荒らして、あげく恐竜どもが絶滅した後もしぶとく生き残って、次の哺乳類時代のおおもとになった原始哺乳類は……あのネズミに似た動物だった」
「ええ、ええ」
彼女はうなずいた。
「覚えていますとも。……さあ、あなた、疲れているでしょう?もう運いわよ。お休みになったら?ネズミのいそうなところには、明日私が炎を吹きつけておきますから」
彼女にそうなだめられながら、彼はもう一息炎を割れ目に吹きつけると、二匹して洞窟の奥へと入って行った。
その、彼女等の洞窟より、地球を十分の一周ほどしたところにある、やはり洞窟の中で、
「きゃーっ?!」
ついこの前、卵を初めて産んだ若いメスドラゴンが、悲鳴をあげた。
「わ、わ、私の……」
自分の巣の中を見つめたまま、顔を強張らせて言う。
「私の卵がっ!」
「どうした!?」
彼女の声に、彼女の夫がそばに駆け寄って来た。そして彼も巣の中をのぞきこむなり、
「うわっ!」
思わず目を見張って、声をあげた。
彼女が丹精こめて作った巣の中で、彼女等の初めての子供になるはずであった卵は……
無残にも、ネズミに喰い荒らされていた。
「………」
若いメスドラゴンは、あまりの事に、卒倒して、巣のそばに倒れ込んでしまった。
「あっ、しっかりしろっ!」
彼女の夫は、あわてて彼女を抱きかかえた。
その彼等のすぐ横を、数匹のネズミが小さな鳴き声をあげなから、走っていった。




