遠くへ行くための言葉/イリナ・グリゴレを読んで
最近、イリナ・グリゴレという人を知った。
ルーマニアから日本に留学し、今は人類学の研究者として弘前に暮らしている。
彼女が日本語で綴る小編は、エッセイなのか、あるいは自伝小説なのか。
読み進めるうちに、映像のように鮮やかな色彩が浮かび上がってくる。
ルーマニアでの子ども時代の記憶、チェルノブイリの影、母国の哀しみ、そして日本という資本主義社会で暮らすこと。
二人の娘さんの感性を、見事に掬い上げて言葉に描く才。
この日本語の素晴らしさはどうだろう。
川端の『雪国』を読んだとき、「わたしの喋りたい言葉はこれだ」と思ったという。
ー 何千年も探していたものを見つけた、自分の身体に合う言葉を。
「なぜ日本に来たのか」と幾度も問われたが、今ではシンプルに「遠くへ行きたかったから」と答えるそうだ。
わたしはふと、英会話学校に通っていた頃を思い出した。
フリートークで英語を話す時間が、何より好きだった。簡単な会話なら、頭の中で翻訳しなくても、そのまま英語が口をついて出るようになったとき、わたしはそれまで感じたことのない自由を味わった。日本語から離れ、日本という文化のしがらみからも離れ、窮屈な重い上着を脱いだような軽さがあった。
当時、母国で心理学を専攻しているというイギリス人の若い先生は、「いのちの電話」のボランティア講習を受けていると言った。
日本に暮らす外国人のための英語によるボランティアだが、英語で電話をかけてくる日本人も少なくないという。
追い詰められたとき、英語でなら心をさらけ出せる。
その気持ちが、分かる気がした。
『雪国』を読んで、自分の身体に合う言葉を見つけたイリナ・グリゴレ。
彼女は、遠くに行きたくて日本に来た。
母国語ではない日本語で心に映る光景をありのままに綴りながら、きっとどこまでも遠くに行けるだろう。




