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恋のトラウマは始まりを告げる  作者: 栢瀬 柚花


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9/14

これから



  ―――やっと笑ってくれた。

 

 先ほど言われたことを思い出す。

 いや、でも、笑ったのは昔を思い出しからで……。

 当時と変わらなかったのが懐かしく思えたから……。

 だから、好意とは違う……。

 

 そう言い訳してみるが、自分の心に嘘はつけない。

 エレベーターの中で告白された時とは明らかに違う僅かな喜びが、あたしの中にある。

 

 確かに、あたしは憲彦に好意がある。


 憲彦への恋心は、あたしを酷く混乱させた。

 よりにもよってトラウマを植え付けた人をまた好きになるなんて……

 

 暗く重いぐちゃぐちゃとした気持ちがずっと拭えず、悶々とした。休日で誰に相談できるわけでもなく、仕事で気を紛らわせる事もできない。

 

 弟切さんに助けを求めたかったが、休日に連絡するのは気が引ける。何より、仕事用の連絡先しか知らなかった。流石に仕事スマホにかけるわけにはいかない。きっと持ってないだろうし……。


 結果、ひたすら料理した。テレビもサブスクを観る気になれず、ひたすら無心になれる料理に逃げたのだ。

 

 憲彦を思う気持ちはあっても、完全に信じきれない自分がいるのも本当だった。好きの部分よりも、信じきれない部分が圧倒的に大きい。


――信じてもらえるように努力するよ。これからの全ての時間をかけて、依織に証明していく。


 以前言われた言葉を思い出す。

 約束通り、憲彦はあたしに触れないし部屋にも入って来ない。ちゃんと守ってくれている。

 なら、あたしはどうすればいい?

 憲彦がコツコツと積み上げる努力を見て、じっと待っていればいいのだろうか?

 

 いや、違う。

 それはあまりにも受け身すぎる。

 幸せになりたいなら、待っているだけでいいはずはない。恐れて逃げて隠れるばかりじゃダメだ。

 自分からも動かなくては。

 あたしも変わる努力をしなくては。


「自分が感じたことをはっきり伝えよう……」

 

 憲彦はきちんと言葉で示してくれた。あたしも同じようにしなくちゃいけない。

 心を開いていかないと。


 


 すっかり日が落ちた夜。お皿に料理を持って、憲彦の部屋のドアの前に立つ。

 緊張で冷えた指でノックする。

 すぐに「はーい」とくぐもった声がした。

 ガチャとドアが開くと、

「依織?どうしたの」

 うつむくあたしにそういうと、手に持った皿に目がいった。

「おすそ分け?」

「まぁ……そんな感じ…………。卵焼きじゃないけど」

「そんなの全然いいよ」

 破顔した憲彦は手を出してきたが、あたしは皿を渡さなかった。

「あの……少し話をしていい?」

 かなり小声で言ったあたしの言葉はちゃんと聞こえたようで、

「いいよ。……どうする?依織がいいなら俺の部屋入る?」

 あたしは少し悩んで、頷いた。

 憲彦はドアを開けて、招き入れてくれた。


 

 初めて入る憲彦の部屋は、複数のパソコンと大きな机で部屋の半分が埋まっていた。

「これ、全部仕事道具?」

 同じ間取りなのに、あたしの部屋より断然狭く感じる。

「そう。建築家も今はデジタルだから、パソコンは欠かせないんだ。製図板もあるけどね」

 机の上を見ると、確かに端っこに定規がついた板のような物があった。

 

「散らかってて悪いけど、適当に座って」 

 確かに、お世辞にも綺麗な部屋とは言えなかった。

 紙が幾つも重なった机、本棚にも乱雑に本が突っ込まれている。

 ベットの上は服や靴下が脱ぎ散らかされ、食事がかろうじて出来るテーブルにはコップや皿、コンビニ弁当の残骸が転がっていた。

「よくGが出ないね」

「出るよ?定期的に殺虫剤撒いてる」

「……あたしの部屋、出たことないよ?」

「なら、依織の部屋のGを俺が招いてるんだな。おかげで依織は快適に暮らせていると」

「…………そうかもね」

 笑えない部屋の状況だったが、憲彦は気にもとめずよく人を招けるなと思ってしまう。


 

 あたしは散乱した本や紙を簡単にまとめると、自分の場所を確保した。

 冷蔵庫に差し入れを入れた憲彦が目の前に座ると、改めて「ゆっくり話すには適してなくてごめん」と言った。

「そこは否定しない」

「だよな?本当はもう少しキレイだから。休み中の男の部屋なんてこんなモノだからね」

「必要な知識か変わらないけど、覚えとく」


 

 少し調子を崩されたが、あたしは気を取り直して口を開いた。 

「――告白のことなんだけど……。あたしなりに色々考えた」 

「……うん」 

「結論から言うと、あたしは憲彦が好きだと思う」

 

 はっと息をのむのが分かった。

 あたしは憲彦が何か喋る前に「期待しすぎないで」と先手を打った。

 

「あたしには憲彦から植え付けられたトラウマがある。それは消えてないの――」 

「……それはもちろん分かってる」 

「あたしの中で、憲彦への不信感が小さくなっても消えることはない。常に『また裏切られるかも』って疑ってる」 

「うん……」 

「もうあんな思いはしなくないし、傷つきたくない。でも恋をして、心を通わせて安心したい。矛盾してるけど、それが本音」 

「……うん」 

「たがら……付き合うっていう距離感ではないかもしれない。友人に近い関係性かも。手を繋いだりキスしたり……それはずっと先にしか出来ないと思う――」 

「……分かってる」 

「―――それでもいいなら一緒にいよう」


 憲彦は噛み締めるように黙ってあたしの話を聞いてくれた。


「それでもいい、なんて言わない。

 こんな俺と向き合おうとしてくれてありがとう。好意を持ってくれて嬉しい……」

 憲彦の目が少し潤んでるのは気のせいじゃないだろう。

「依織、手を握ってもいい?依織に誓いたい事がある」

 

 真剣に言われ、あたしはテーブルの上に手を置いた。

 憲彦は両手で包み込むようにあたしの手を握ると、真っすぐに目を見て言った。


「チャンスをくれてありがとう。依織の信頼を得られるように頑張るよ。約束は必ず守るし、絶対に裏切らない。それに嫌なことは嫌って教えて。俺は鈍いから、言われないと分からないんだ」

「……知ってる」

「俺といると落ち着く、安心するって思ってもらえるように努力するよ。じっくり時間時間をかけて依織のトラウを溶かしていく。責任を持って解消してみせる」


 グッと力を入れた憲彦の手のぬくもりをあたしはテーブルひしひしと感じた。


「依織、これからよろしく」

  

読んでいただきありがとうございます!とても励みになっています。

誤字・脱字報告もありがとうございます。助かっております。

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