これから
―――やっと笑ってくれた。
先ほど言われたことを思い出す。
いや、でも、笑ったのは昔を思い出しからで……。
当時と変わらなかったのが懐かしく思えたから……。
だから、好意とは違う……。
そう言い訳してみるが、自分の心に嘘はつけない。
エレベーターの中で告白された時とは明らかに違う僅かな喜びが、あたしの中にある。
確かに、あたしは憲彦に好意がある。
憲彦への恋心は、あたしを酷く混乱させた。
よりにもよってトラウマを植え付けた人をまた好きになるなんて……
暗く重いぐちゃぐちゃとした気持ちがずっと拭えず、悶々とした。休日で誰に相談できるわけでもなく、仕事で気を紛らわせる事もできない。
弟切さんに助けを求めたかったが、休日に連絡するのは気が引ける。何より、仕事用の連絡先しか知らなかった。流石に仕事スマホにかけるわけにはいかない。きっと持ってないだろうし……。
結果、ひたすら料理した。テレビもサブスクを観る気になれず、ひたすら無心になれる料理に逃げたのだ。
憲彦を思う気持ちはあっても、完全に信じきれない自分がいるのも本当だった。好きの部分よりも、信じきれない部分が圧倒的に大きい。
――信じてもらえるように努力するよ。これからの全ての時間をかけて、依織に証明していく。
以前言われた言葉を思い出す。
約束通り、憲彦はあたしに触れないし部屋にも入って来ない。ちゃんと守ってくれている。
なら、あたしはどうすればいい?
憲彦がコツコツと積み上げる努力を見て、じっと待っていればいいのだろうか?
いや、違う。
それはあまりにも受け身すぎる。
幸せになりたいなら、待っているだけでいいはずはない。恐れて逃げて隠れるばかりじゃダメだ。
自分からも動かなくては。
あたしも変わる努力をしなくては。
「自分が感じたことをはっきり伝えよう……」
憲彦はきちんと言葉で示してくれた。あたしも同じようにしなくちゃいけない。
心を開いていかないと。
すっかり日が落ちた夜。お皿に料理を持って、憲彦の部屋のドアの前に立つ。
緊張で冷えた指でノックする。
すぐに「はーい」とくぐもった声がした。
ガチャとドアが開くと、
「依織?どうしたの」
うつむくあたしにそういうと、手に持った皿に目がいった。
「おすそ分け?」
「まぁ……そんな感じ…………。卵焼きじゃないけど」
「そんなの全然いいよ」
破顔した憲彦は手を出してきたが、あたしは皿を渡さなかった。
「あの……少し話をしていい?」
かなり小声で言ったあたしの言葉はちゃんと聞こえたようで、
「いいよ。……どうする?依織がいいなら俺の部屋入る?」
あたしは少し悩んで、頷いた。
憲彦はドアを開けて、招き入れてくれた。
初めて入る憲彦の部屋は、複数のパソコンと大きな机で部屋の半分が埋まっていた。
「これ、全部仕事道具?」
同じ間取りなのに、あたしの部屋より断然狭く感じる。
「そう。建築家も今はデジタルだから、パソコンは欠かせないんだ。製図板もあるけどね」
机の上を見ると、確かに端っこに定規がついた板のような物があった。
「散らかってて悪いけど、適当に座って」
確かに、お世辞にも綺麗な部屋とは言えなかった。
紙が幾つも重なった机、本棚にも乱雑に本が突っ込まれている。
ベットの上は服や靴下が脱ぎ散らかされ、食事がかろうじて出来るテーブルにはコップや皿、コンビニ弁当の残骸が転がっていた。
「よくGが出ないね」
「出るよ?定期的に殺虫剤撒いてる」
「……あたしの部屋、出たことないよ?」
「なら、依織の部屋のGを俺が招いてるんだな。おかげで依織は快適に暮らせていると」
「…………そうかもね」
笑えない部屋の状況だったが、憲彦は気にもとめずよく人を招けるなと思ってしまう。
あたしは散乱した本や紙を簡単にまとめると、自分の場所を確保した。
冷蔵庫に差し入れを入れた憲彦が目の前に座ると、改めて「ゆっくり話すには適してなくてごめん」と言った。
「そこは否定しない」
「だよな?本当はもう少しキレイだから。休み中の男の部屋なんてこんなモノだからね」
「必要な知識か変わらないけど、覚えとく」
少し調子を崩されたが、あたしは気を取り直して口を開いた。
「――告白のことなんだけど……。あたしなりに色々考えた」
「……うん」
「結論から言うと、あたしは憲彦が好きだと思う」
はっと息をのむのが分かった。
あたしは憲彦が何か喋る前に「期待しすぎないで」と先手を打った。
「あたしには憲彦から植え付けられたトラウマがある。それは消えてないの――」
「……それはもちろん分かってる」
「あたしの中で、憲彦への不信感が小さくなっても消えることはない。常に『また裏切られるかも』って疑ってる」
「うん……」
「もうあんな思いはしなくないし、傷つきたくない。でも恋をして、心を通わせて安心したい。矛盾してるけど、それが本音」
「……うん」
「たがら……付き合うっていう距離感ではないかもしれない。友人に近い関係性かも。手を繋いだりキスしたり……それはずっと先にしか出来ないと思う――」
「……分かってる」
「―――それでもいいなら一緒にいよう」
憲彦は噛み締めるように黙ってあたしの話を聞いてくれた。
「それでもいい、なんて言わない。
こんな俺と向き合おうとしてくれてありがとう。好意を持ってくれて嬉しい……」
憲彦の目が少し潤んでるのは気のせいじゃないだろう。
「依織、手を握ってもいい?依織に誓いたい事がある」
真剣に言われ、あたしはテーブルの上に手を置いた。
憲彦は両手で包み込むようにあたしの手を握ると、真っすぐに目を見て言った。
「チャンスをくれてありがとう。依織の信頼を得られるように頑張るよ。約束は必ず守るし、絶対に裏切らない。それに嫌なことは嫌って教えて。俺は鈍いから、言われないと分からないんだ」
「……知ってる」
「俺といると落ち着く、安心するって思ってもらえるように努力するよ。じっくり時間時間をかけて依織のトラウを溶かしていく。責任を持って解消してみせる」
グッと力を入れた憲彦の手のぬくもりをあたしはテーブルひしひしと感じた。
「依織、これからよろしく」
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