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恋のトラウマは始まりを告げる  作者: 栢瀬 柚花


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買い物


「依織はいつも隣駅のスーパーまで行くの?」

 さっぱりした憲彦は、一緒にエレベーターに乗りながら尋ねた。

 少し石鹸の匂いがする。

「この辺り、スーパー少ないから。一番近いスーパーは割高だから、滅多に使わないよ」

「へぇ。なら買物の度に電車使うの?」 

「普段はチャリ。今日は買うもの多いし重い物が多いから、電車にするの」

「そうか…。近所のスーパー割高なんだ。俺、ずっとあそこで買い物してた。電車賃考えるとどっちがいいんだろうな」

「さぁ?パスもあるけど電車賃払いたくないなら、やっぱりチャリが一番いいよ。買い物に電車使うのは仕方ないかな、都会だからね。基本はチャリで行くこと多いけど、面倒だから仕事終わりに寄ることが多い」

「やっぱりそうなるよな。俺も職場へのアクセスを一番に考えてマンション決めたから……。普段の買物まで気を使わなかった」

「次に引っ越す時は気をつけなよ」

「そうする。当分予定はないけど」


 エレベーターを降りてマンションを出る。

 燦々と照る日差しは眩しく、目が眩みそうだった。

 

 駅までの道のりを2人で歩く。

 久々に並んで歩くと、昔を思い出した。あたしは身長変わってないけど、憲彦は10センチは伸びていて目線を少し上げないと顔が見えない。

「憲彦、背が伸びたよね」

「そうだな。オヤジが身長あるから。今は同じくらいになった」

「昔と違って見上げなきゃいけないから、首痛くなりそう」

「そっか。次出かける時はヒールにしたら?少しはマシになるんじゃない?」

「…………次があればね」

「―――そうだな」

 

 ついついそっけない態度や言葉遣いになってしまう。 

そうしたいわけじゃないのに、完全に心を許すことができなくて、不安でこうなってしまう。

 

 ぎこちなく話しながら駅に着き、スーパーまでの道のりを説明した。

「ちょっと入り組んでるな……」

「憲彦、方向音痴じゃないから平気でしょ?」

「まぁな。でも毎回ここまで来るのは骨だな……」

 

 それからお互いの買い物をして会計し、また駅まで歩く。

 日はまだまだ高くて、夕方でも汗ばむ気温だ。

 

「今日は暑いからビールが美味そう」

「ビール好きなんだ。一人で飲むの、楽しい?」

「まぁね。毎日飲んでるわけじゃないけど、たまの楽しみってやつだな」

 肩に掛けたエコバッグを持ち直す。トイレットペーパーとキッチンペーパーで両手が塞がっているので、体がよろめいた。

「重そうだね。持とうか?」

 憲彦が手を出してきた。

 あたしはその手を見ただけで、渡すのを躊躇する。

「いや……いいよ。自分の分だし」

 明らかに警戒したのが分かったのだろう。

「昔みたいに下心あって言ってるわけじゃないよ?」

 と憲彦は付け加える。

 流石にそこまで疑ってなかったので、

「そこまで思ってなよ」

 そう返すと、

「ならいいだろ?新しいスーパーを教えて貰ったお礼。少しは役に立たせてよ」

 ん、とさらに手を出してきた。

「なら遠慮なく……」

 と重いエコバッグを渡す。

 憲彦は少し嬉しそうに笑い、

「せっかく隣の部屋なんだから、これくらいはさせて」

 とあたしを見た。


 

 電車内で、

「依織は毎日料理するの?」

 カゴに入れた食材を思い出したのか、料理の話になった。

「まぁね。一人暮らしだし、外食より自炊が多いのは確か」

「俺も似たようなもの。依織ほど上手くできないけど。

お裾分けのおかず見て思ったけど、昔よりレパートリー増えたよな」  

「どうだろ……。昔はお弁当に入れること考えて作ってたから」

「そっか……。随分と気を使わせてたんだな……。ありがとうな」

「……今更だよ」

「今更でもちゃんと伝えたい。お裾分けを食べてたら、依織が作ってくれた弁当を思い出したよ。自炊するようになって、弁当作りの大変さも分かった。けっこう大変なとこしてくれてたんだって」

「…………そこまで手間じゃなかったよ?」

「それでも買い出しとかメニューとか考えるのは労力だろ?今でもよく覚えてるんだ、卵焼きの味。自分でも作ろうとしたけど、依織と同じ味にならないの。レシピサイト見て色々試したけど全部違った……。なんでだろうな……」


 ずっと味を覚えててくれたんだ……。

 

「あのさ、…………卵焼き、作って欲しいって頼んだら作ってくれる?」

 随分と控えめな声で尋ねられた。

 

 実を言うと、卵焼きだけはあえて作るのを避けていた。どうしても2人の思い出の味である気がしたからだ。

 

 あたしは自分の中で随分と葛藤した。

 あれを作るという事は、自分の中での堰を一つ壊して憲彦に近づくことを意味する気がした。

 

 長く沈黙した後に出た言葉は、

「まぁ……気が向いたら」

 だった。

 

「ほんと?!やった!」

 当時と同じ喜び方で、小脇で小さくガッツポーズする。

 それがおかしくて、クスッと笑ってしまった。

「喜び方、変わってないね」

 憲彦は少しあたしを凝視すると「……そうかな」と頭をかいた。

「そうだよ」


 少し和んだ雰囲気になると、駅に到着した。マンションまでの短い距離を一緒に歩く。お互いに多くは話さなかったが、決して気まずい時間ではなかった。

 

 部屋のドア前に立つと、

「荷物ありがとう」

 エコバッグを受け取ろうと手を伸ばしたあたしに対し、憲彦は動かなかった。

 

「―――エレベーターの中でした告白の件、覚えてる?」

 

 突然切り出させれた。 

「…………何?急に」

 声を落としたあたしに、憲彦は引き下がらずに言葉を続けた。 

「あの時の気持ち、ずっと変わってない。依織が好きだよ」

 

 あたしは固まった。

 でもあの時と違ったのは、あたしの中に僅かな喜びがある事だった。


「買い物、一緒に行こうって誘ってくれて嬉しかった。それに……やっと笑ってくれた」


 あたしはドキリとした。

 前に弟切さんから言われた言葉を思い出す。

 

 ―――下山の前で自然に笑えるようになれば前進かもね。


「久々に見たよ。本当に……変わってない。いや、あの時よりも綺麗になった。見惚れるくらい綺麗になった」


 憲彦は慈しむものを見るように、優しく目を細めた。


「好きだよ、依織。―――卵焼き、気が向いたら作ってね。……待ってる」


 エコバッグを受け取ったあたしは何も返事が出来なかった。

 前回の告白の時と自分の心の反応が違い、戸惑ったからだ。


 結局、何も返事ができないまま別れた。

 部屋に入るなり、その場に座り込んだ。

 

  ――――胸が痛い。苦しい………。


 それは久しく感じていなかった恋心だった。


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