停電
由美との宅飲み以降、憲彦とまたちょくちょく顔を合わせるようになった。
憲彦は変わらず、あたしに声をかけようとしていたと思う。しかし出勤前だったり宅配が来たタイミングだったりと、都合が良くない時ばかりだった。
あたしは自分から声をかける勇気がなかなか沸かなかった。弟切さんにもらった勇気はかなり萎んでいて、もう一度膨らませるのが難しかった。
そんな状態が2週間続いたある日。
この日は会社から帰る途中、ゲリラ豪雨にみまわれた。ダッシュして帰ったがびしょびしょで、急いでお風呂に入りたかった。
濡れた状態で震えながらマンションのエレベーターに乗ると、扉が閉まる直前に
「乗ります!」
とダッシュしてきた人がいた。
ギリギリ乗り込むと、笑顔で
「すいません、押し入って―」
言いかけて止まった。
憲彦だった。
気まずい沈黙になった。
あたしが目を逸らすと、
「――ごめん」
そう言ってエレベーターの扉を向いてしまう。
あたしは何も言わなかったが、ここで話しかけるべきと気持ちを奮い立てた。いい加減、トラウマを解消したい。
由美達を見て思ったのだ。やっぱり誰かと一緒にいられるのはいいな、と。幸せそうで、お互いに信頼していて、そんな関係が素直に羨ましかった。
あたしも前を向かなきゃ。
「憲彦」
声をかけるとピクンと彼の肩が動いた。
そこまでビビらなくても……。
「前言ってた、話がしたいってやつ―」
「うん……。あれは俺が一方的に考えた事だから………気にしないで。依織が嫌なら無理にとは言わないから……」
「あたしも――」
話しだそうとした時、突然エレベーターがガタン、と強い衝撃とともに急停止した。
そして真っ暗になる。
「えっ?!」
「何?停電?」
何も見えなくなりパニックになった。狭いエレベーター内は暗闇で、自分の手すら見えない。
「やだ!暗い!」
「落ち着けって。すぐに非常灯がつくはず……」
憲彦は冷静にそう言ったが、数十秒待っても明かりはつかなかった。
「真っ暗なままだけど?」
「おかしいな……。ちょっと待って……」
ゴソゴソ音がした。荷物をあさっているようだ。
急にパッと小さく明かりがついた。スマホのライトだ。ぼんやりと姿が見えて緊張が和らぐ。
憲彦はどうやら仕事帰りのようで、スーツに薄いコートを羽織っていた。
あたしほどずぶ濡れじゃない。
「停電時でも非常灯がつくんだけどな……。もう少し時間がかかるのかも」
憲彦はエレベーターのボタンを全部押した。
「――反応しないか。それにバッテリーも稼働しないな。このマンション古いから装着がついてないのか?」
「装着?」
「今のエレベーターは停電時でも一番近い階まで自動移動して、かご内に閉じ込められないようになってるんだ。その装着がついてないってことは、けっこう古いエレベーターだな、これ」
「……やけに詳しいね」
「建築家だからな、俺。エレベーターの構造を知るのも仕事の一つだよ」
へぇ、そうなんだ。
憲彦はエレベーター内にある電話ボタンを押して、外部と連絡を取ると、あたしに話しかけた。
「救助がくるからこのまま待とう。依織は平気――じゃなさそうだな」
スマホのライトであたしを照らすと、憲彦は溜息をついた。
きっと青い顔をしていたのだろう。
「お前、昔から暗闇だけは苦手だったもんな。怖いんだろ?自分のスマホのライトつけろよ」
その通りで、あたしは暗闇が苦手だ。遊園地に行った時、絶叫系は全部乗ったのに、お化け屋敷だけは入れなかったのを覚えているらしい。
あたしは憲彦が向けてくれる明かりを頼りにスマホを見つけ出し、ライトをつけた。
多少はマシになって肩の力が抜けると、
「くしゅん!」
今度は寒気がきた。
ただでさえ雨に濡れていたのだ。早くお風呂に入って温まろと思っていたのに……。
「風引くぞ。これでも羽織ってろ」
憲彦はあまり濡れてない上着を貸してくれた。
「……いいよ」
「痩せ我慢するな。ガタガタ震えてるくせに」
確かに歯が鳴りそうなくらい寒かった。
「後ろ向いててやるから、上着とブラウス脱げって」
そう言って、また扉の方を向く。
あたしはしかたなくスーツの上着とブラウスを脱いで、憲彦の上着を羽織った。
上着からは憲彦の匂いがした。高校時代、一緒に歩いた時も感じた匂い。
その事が一気に蘇り、自分でも驚いた。
着るものを変えると多少震えはマシになるが、寒さは変わらない。
数分の無言な時間が過ぎると、
「……なぁ、停電になる前、何を言いかけたんだ?」
振り返ることなく、憲彦は尋ねてきた。
「どうせ救助が来るまで2人きりなんだ。少し話そうよ」
こんな時だからだろうか。口調が柔らかい。
あたしは喋りやすい雰囲気を感じて口を開いた。
「なんであの時、浮気してたの?」
話し始めから一番聞きたかった事を尋ねた。
「おかげでバッチリトラウマ残って、未だに引きずってるんだけど……。いや、それよりもあたしのこと本当に好きだった?もう昔の事だから正直に話してよ……」
思ったよりも冷静に質問できた。もっと声が震えたり、怒って癇癪を起こすかと思ってたのに。
憲彦は扉の方を見たまま、答えてくれた。
「好きだったよ、本当に。浮気したのはごめん……。あれは完全に俺が悪い。まだ青臭かった俺は、声かけてくれる人とならいつでも遊んでた。サイテーだな……」
自傷気味に笑っているが、本当にサイテーだ。
「俺、中学生の時からコンビニ行っても道歩いてても、しょっちゅう女子に話しかけられてさ。完全に浮かれてたんだ。高校入ってからも変わらなくて、色んな女子から見られてるのは知ってた。モテてる自覚があったから、待ってればいずれは告白されるよなってヨユーこいて、自信過剰に待ってたんだ。でも1年が過ぎても何もなくて。あれ?これって彼女できない感じ?って焦ってた」
そりゃ、みんな様子伺いしてたからね。他校に彼女がいるかもって皆が遠慮して、し続けた結果、誰も告白してないって状況だった。
「思ったよりもサイテーな奴だったんだ、憲彦」
あたしは遠慮なしに言った。
「そうだよ。さりげなく重い物持って、優しい言葉かけて笑って……女子がポッーてなるの見てて楽しんでた。全部計算だったんだ。ホント、嫌な男だよな」
「ほんとサイテー」
「―――でも、そんなサイテー男に告白してくれた女子がいた。2年の夏休み前。初めて人を好きになったって、顔真っ赤にして勇気振り絞って告ってくれた子がいたんだ」
あたしは黙った。
当時は緊張し過ぎて、何も考えずにストレートに思ってた気持ちを伝えた。今思うと恥ずかしい黒歴史だ。
「『1年の頃からの好きでした。見続けるのがしんどくて、気持ちを伝えるだけのつもりだから付き合ってくれなくてもいいです。これからも下山くんが幸せになるのを祈ってます』
当時の告白はそんな感じだった。合ってる?」
あたしは驚いた。当時そんな事を言った記憶があるが、よく覚えてるな。
「……そこまで詳細には覚えてない」
「そっか……。俺は衝撃でさ。告白してきたのに付き合わなくていいの?って。しかも俺の幸せを祈ってるって……健気というよりバカだなって思った」
おい!
「こんなサイテー男の事を好きになって、そんな奴の幸せなんか望んで……。なんでそんな風に思えるのかって興味が湧いて、付き合うことにした。
そう答えたら、めちゃくちゃ喜んで飛び跳ねてさ。なんだ、やっぱり付き合いたかったんじゃん、なら素直にそう言えよって思った。
それから一緒に帰ったり登校したり……。でも今まで声かけてきた女子とは違って、どこか壁がある。一歩引いてるというか、遠慮してると言うか……。
俺のこと好きならもっと近くに来て、腕組んだり引っ付いてくればいいのにさ。全然そんなことしないの」
「だって恥ずかしいじゃん…….。近くにいるだけでも緊張するのに」
「やっぱりそう思ってた?」
少し振り返った憲彦は、クスリと笑った。
「今までの女子はさ、すぐに体くっつけてくる奴ばっかりだったんだ。腕組んでわざと胸を擦り付けたり顔を近づけてきたり……。付き合ってない女子でそうなら、彼女になった子とセックスするのなんて簡単じゃん、って思ってた」
「……どうしようもなくサイテーだな、憲彦」
「本当にな……。でも彼女は違った。全然近づいて来ない。俺が手を伸ばしても繋いでこないし、逆に逃げてしまう。そんな事初めてだったから戸惑った。全然目も合わせてくれないし、隣を並んで歩いてもくれない。俺の後ろを歩いて、話しかけても短い返事しかしない。彼女なのに……思ったのと全然違った。
今から思えば、本気で俺のことを好きだったから恥ずかしかったんだよな。当時の俺はそんな事分からなくて、どうすれば目を見てくれるのか、隣を歩いてくれるのか、笑ってくれるのか、手を繋いでくれるのか、話してくれるのか……そんなことばっかり考えて彼女を……依織をずっと目で追ってた」
知らなかった。
そんな風に考えてたなんて。
「友達やクラスの男子とは普通に話して笑ってボディタッチまでしてるのに、彼氏の俺には全部なし。なんで?ってイライラした。思い通りにならなくて、想像してた彼女と全然違う。だからどうすれば依織が俺に触れてくれるのか、そればっかり考えてた。頑張って話をしてデート重ねて、行きたい所連れてって……。
そうしてるうちに、だんだんと笑って隣に並んでくれるようになった。目を見て話してくれるようになった。それが凄く嬉しかった。依織に会えない日はつまんなくて、少しでも目が合って手を振ってくれただけで、楽しい1日に変わる。いつの間にか、俺のほうが本気で好きになってた」
憲彦は懐かしむように笑った。
「付き合い始めてすぐに夏休みになったから、毎日一緒には居られなかったよな?宿題したりプール行ったり……。遊園地は楽しかった。びしょびしょになって2人で大笑いしてさ。あの時買ったフード付きタオル、まだ持ってるよ。作ってくれた弁当もおいしくて、甘い卵焼きが好きだった。たまに卵の殻が入っててガリッてするの。花火大会ではキスしたよな。俺、凄く震えてさ。依織がキスをオッケーしてくれるとは思ってなくて、凄く緊張して花火なんて全然見てなかった」
―――そうだったんだ。
「凄く楽しかった。依織といる時は全部が、ずっと楽しくて……俺は完全に浮かれた。やっと想像してた彼女になったから」
そこで声のトーンが落ちた。
「だから色んな女の人に声をかけられても、平気で相手できた。だって、俺には依織がいるから。依織がいればそれで良かったから。寄ってくる女子は軽くあしらって、依織を一番大切にしてれば怒られないと思ってた。
だからあの日、あんな事言ってたんだ。――大学生のオネエサンがいたのも一個上の先輩がいたのも…本当。触らせてくれるっていうのは、足とか胸ね。向こうがすり付けてくるから。依織は絶対そんな事しない。軽い気持ちでそんな事する奴らは、好きにやらせておこうって思ってた。でも、依織に全部聞かれてて……。あの時の依織の泣き顔、忘れた事ない……。叩きつけられた弁当の中身も、さよならって言葉も………」
「…………なんで卵焼きが一番マズイって言ったの?」
「あの後、依織が弁当持ってきてくれる思ってたから……一番美味しいのが卵焼きって教えたら、取られると思ったんだ……。だから味付けも濃くてレパートリーも少ないって逆の事言って……。ガキすぎるよな…………。まぁガキだったんだけど。
それから依織と連絡取れなくなって、待ち合わせ場所に行っても教室に行っても目を見てくれなくなった。まるで依織にだけ見えていない人になった気分で、毎日つまんなくて色がなくなった。どうしても依織との思い出にすがりたい時、楽しかった頃の思い出の場所に行って、依織の事考えた。何回も何回も足を運んで……あの時に戻りたいって泣いた」
だからあちこちで憲彦を見かけたんだ――。
「高校卒業して、気がついたら依織は街からいなくなってた。人伝に県外に行ったって聞いて…………。もう二度と会えないんだと思った。辛くて前を向けなくて、このままじゃ全然進めない。あの街には依織との思い出がいっぱい過ぎて悲しくて……。だから俺も街を出た。知らない街で一人暮らしてた方が楽だったんだ」
憲彦はあたしを見た。
高校の時より背が伸びて声が少し低くなった憲彦は、いつになく真剣な顔で言った。
「ここへ引っ越してきて驚いた。ずっと会いたかった依織がいたから。あの日からずっとずっと謝りたかったんだ。――傷つけてごめん、全部俺が悪かったし間違ってた……。時間は戻せないし傷つけた事がチャラにもならない。俺のことは許さなくていい……。ただ謝らせてくれ…………本当にごめん、依織―――」
憲彦は深く頭を下げた。
あたしは憲彦を憎いと思わなかった。ただ、バカなことしたしょうがない奴だと思った。それに、本音を聞けてスッキリした気分だった。
憲彦はあたしの事、ちゃんと好きだった。
それが一番確認したかったことだったから。
「ありがと、謝ってくれて。これでやっと前を向ける気がする……。新しい恋ができる気がするよ……」
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